10


 日中起きた喧騒が信じられぬほど静かな夜だ。辛うじて音を発生させるものといえば無機質に響く、大量のチューブを巻き付けられた少女の心音をはかる装置と彼女の小さな呼吸のそれ。
 彼女の小さな身体は限界を迎えていた。身体損傷、それも一部喪失。致命的なのはあまりにも血が流れすぎたことだろう。子どもの身体は大人よりも血の量が少ないのは当然だ。ルッスーリアや医療班なしでは今頃確実に死んでいたことだろう。そのルッスーリアですら晴の匣を使用できなかったのは何も混乱していたからではない。例の匣を利用するにはある程度の体力を有するのだ。そして彼女にはそれが残っていない。せいぜい彼女の止血する程度で終わっている。つまりこれ以上の治療はできず、あとは彼女の体力と治癒力にかかっているというわけである。

 先程まではベルやマーモンもこの部屋に来ていたのだが誰も言葉を発さなかった。これは紛れもなくベルの過失である。しかしそれに対し言及する者は誰もいない。
 あってもなくても変わらぬ命。
 雲雀ナツとはXANXUSから、否、彼女を送り付けてきた雲雀からそう説明された人間だ。これが要人であればいくらベルでも何らかの処罰対象になったのだが如何せんそういう流れで押し付けられた子どもなのだから何も咎められなかった。部屋の掃除を言い渡されただけ。それだけで。
 ベルはただ静かに彼女を見下ろしているだけだった。たかだか数日をともにした子ども……にしてはその反応は可笑しかったと長年彼と共にいたマーモンは静かに観察した。
笑いもしなければ怒りもせず、口にだすことも無く。落ち込んでいるのだ。あのベルが。
 マーモンはそれに対し何も言わない。せめてもの、と言わんばかりに有幻覚で彼女の喜びそうな小さな人形や花で周りを囲い、まるで大人用のベッドで寝かされているというのに棺に入れられているようだった。否、それは間もなく本当に、彼女の遺体を運ぶ棺となるのだろう。そう思えるほど状況は絶望的であったのだ。
 
 ピッピッピ…。

 まだ心臓は動いている。延命措置が施されたのだがこれは生きている方が逆に苦しいのでは、と誰もが思えるほど痛々しい。しかしそれは誰も口にしなかった。結果が、これだ。
 眠り続けるナツの寝顔は穏やかなものだった。月光が照らす彼女の陶器のような白い肌。人形のようである。

「……」

 ピクリ、小さく震えたのはその時だ。しかし普段は雲雀に似た、それでいて穏やかな灰色の瞳はそこにはない。
 静かに開いたその双眸は赤である。ベルやマーモン、ルッスーリアは未だ見たことのない血の色をしたそれらはぼんやりと天井を見上げていたがやがてふ、と視線を逸らし窓の外にある月を見上げた。今宵は満月、恐ろしいほどに大きく丸い月である。焦点の合わなかったその瞳に光を宿すのは数分してからだったのだろう。

「いかなくちゃ」

 呟いた声は掠れている。しかしこの状況で動くことが出来るなど誰が思っただろう。何事もなかったかのようにぐっと起き上がり、彼女は自分の命を繋ぎとめているチューブ全てを引きちぎって立ち上がる。ボタボタボタと垂れたのは彼女の血。これ以上血液が流れるのはまさに生命に関わるのだがまるで何てことのないかのようにそれらを見下ろすと覚束ない足どりで扉へ向かって歩き出す。



 遠方任務から戻ってきたスクアーロは珍しく怪我を負っていた。走り寄ってきた医療班に対しかすり傷だ何だと言いくるめ自室に戻ったのだが巻いた包帯がじんわりと血が滲む程度に傷は深い。さすがに明日は治療を受けに行くかと思ったものの疲労が上回りベッドへ横になっていた。
 やはりというべきか眠気はすぐにやって来る。ふわ、ふわと揺れているようだった。たまにこういう夢を見ることがある。恐らく眠りが浅いのだろう。温かいものに包まれているようで、しかし水底にいるようで。すべての感覚器官が狂っているようであるがそれがとても心地良い。

「…とても、良い匂いね」

 気が付けばそこに女の姿がある。見たこともない女だ。黒い髪、陶器のような白い肌。彼女は裸体であったがこれもスクアーロの夢だろうか。それにしては自分の趣味ではない、薄っぺらい身体だ。赤い瞳はXANXUSを連想させたが柔らかな眼差しのせいですぐに比較するのを止める。
 世辞もなく美しい女だと思った。
 鈴を鳴らすようにころころと笑うその声は決して耳障りでもない。

「お前は誰だ」
「良いでしょう? 別に、そんなこと」

 珍しく自我が伴う夢だ。手も足も自由に動く。負った怪我まで再現されているのは残念だったが致し方あるまい。
 女はただ笑うだけ。怪我の場所を見ると少しだけ目を見開いたかのように見えたがそのまま彼女はスクアーロの手をとり、包帯をするすると解いていく。やがてそこから覗いたのはやはり記憶の通り、任務で負傷した怪我だ。そこをじっと見つめる様子に心配してくれているのだろうかと思ったがやがて彼女は「きれい」と小さく呟く。そして、

 ――かぷり。


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