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▼その女、不運につき


 ぴちゃん、という水の音で意識はゆっくりと浮上した。
 一人暮らしで生活している期間は長く、元々眠りが深い訳でもない響は家の外から聞こえる騒音より内側の小さな音には起きるようなある意味特殊な特技を身につけていた。

 旅行のような機会がなければ人と泊まることもなく、ましてや決まった相手なんてしばらく作ってもおらず1人寝床で目が覚めることこそ当然で、それを考えれば今回の一人旅行は始めから特別だった。
 枕が変われば睡眠の質も変わるようなそんな繊細なことは無く、寧ろ彼の腕はあたたかく、だからこそXANXUSの腕の中で二度寝なんていう普段では絶対にしなかったような行動に出たに違いない。

 ごろりと寝返りながら昨日の事を思い出していた。
 彼はとても澄んだ赤い瞳をしていた。
 そういうつもりで見ていたわけではないがちらりと浴衣から覗く肌はいたるところに傷があった。確かに、きっと今から彼と知り合うことになったとするのであれば多少なりとも怯えたり、堅気の人間なのかと疑ってかかるところもあるかもしれない。
 ――けれどあの温もりを知ったところからの始まりだ、ねめつけるような眼つきをしながら響の歩みに合わせてくれる気遣いも、酒を飲んだ自分を部屋まで送り届けてくれる優しさだって彼は持っていることを知った今、拒絶されない限りきっとどんな人間であれ自分から怖がり、怯え、離れることは無いのだとも思う。
 とは言っても、響の旅行は明日で終わりなのだけど。

 旅行初日は見知らぬ男の腕の中という始まりからだったが昨夜はバーからの帰り道も覚えているしその後は風呂へ入ったことも当然記憶にある。
 こう一人の時間を過ごしていると何だか昨夜までのことが、今、毛布にくるまりながら考えていたこと全てが夢のような、そんな気もしないでもなかった。そんな夢心地でふわふわとしている中の響の意識をスッと現実の世界へと呼び戻したのはガサガサという音だった。
 最初こそ聞き間違いかも思ったが遠慮なく聞こえるソレはどうやら自分の部屋の、隣の和室から聞こえているような気がする。確かそこは本来であれば和室が2部屋続いており音がしているのは寝る用にと一番景色がよく見える窓がある和室で、女将によって布団が敷かれている場所だ。そういえば昨日は疲れてドアを開けてすぐの洋室のソファの上で毛布一枚のみを持ち込み身を横にしてしまったことを思い出した。

「!」

 ガサ、という音が大きく聞こえ神経を研ぎ澄ます。
 …誰か、何かがいる。そう思うとスッと身が冷えたような気持ちになる。もちろん響は一人で泊まっているし、酔っていたとはいえ戸締りを欠くようなことはしていないはずだ。つまり、この音の主は間違いなく忍び込んできた人間に違いない。泥棒なのだろうか。身を強張らせながら響はどうしようかと逡巡する。
 携帯は手元にあるが助けを呼んでいる間に捕まってしまうかもしれない。外に出たとしても誰もいなければそれも同様かもしれない。
 財布は手元の鞄に入れてある…大した荷物を持ってきていないのだ、あそこに置いてあるものは着替えだとかそういったものしかない。そんなもので盗人紛いなことをしている人間が満足するとは到底思えなかった。

 ――コンコンコンッ

 大きめのノック音が聞こえたのはその時だった。
 ガサガサと向こうの部屋で物を漁っていた音がピタリと止まる。様子を探っているのかもしれない。いや、それよりも侵入者の仲間という可能性だってある。
 響にその判断は非常に難しく、けれど寝ている振りだってもう限界だった。恐怖心が響を満たしている。
 けれど、

「俺だ」

 名乗る事のないその声は、しかし聞き覚えは十分にあった。
 緊張が限界まで張り詰めた響はもう何も考えることはなく、上体を起こし扉へと駆け寄った。


 気がついたのはつい数分前だ。
 昨夜は響を送った後、旅館から出る気も起きず部屋で一人飲み直し相変わらずジェット機の調子が悪いなどという変わらない報告を聞きながらグラスを一つ手で割り潰した。ヒィッと怯えた声が電話口で聞こえたので次に連絡が来るときには帰る手筈も整っていることだろう。
 それでも昨日よりも苛立ちが少なかったのは響が居た為…と彼女一人を理由にあげる訳ではなかったが確かに彼女の存在が緩和剤となっていることは否めなかった。

 楽しい、面白い、…そんな感情を、戦闘時以外の場面においてXANXUSは持ち合わせていない。
 しかし響という不思議な女といればいつもは沸々と湧いてでる負の感情が抑えられていることも認めたくはなかったが確かな事だ。それが欲望となり肉欲へと変貌する寸前で奇しくも彼女のどこか天然染みた行動のせいで消えたとなっても、だ。

「くだらねえ」

 そう呟きながら、目を瞑っているときだった。隣の部屋から何やら物音がしたのは。
 例えいくら深酒していたとしても非常時において一端頭を切り替えれば酔いや無駄な思考は片隅に追いやることが出来るのは当然のこと。ギョロリ、と透視できる訳はなかったが薄い壁を睨みつける。
 盗聴するつもりは毛頭ないがこれは響の出す音とはまた違う。焦っているような、何かを探しているような慌しい音をあののんびりとした女が出すとはおもえなかった。
 立ち上がったのは気まぐれに過ぎない。やはり響は不運な女だったのに違いない。楽しい旅行では終えそうにないその様子に不謹慎ながらも笑うと隣の部屋をノックする。

「俺だ」

 そこから、約三秒。
 扉が開いたと同時にふわりと柑橘系の芳香がしたかと思うと小さな生き物がXANXUSへと抱きついていた。言うまでも無い、響だ。
 明らかに怯えた様子だったがそれ以外の、乱暴を働かれているようには見えない。やはり何か居るのだろう。そう思ってついと響の身体をドアの外へと押しやった。
 ――「大丈夫だ」何を根拠にそう言ったのかはXANXUS自身分かってはいなかったがその言葉に響が安堵したようにコクリと頷く様子が見え知らず知らず口元を歪ませる。そして、

 ――バリンッ!

 中へと入り込み寝室への襖を開いたのと、窓の割れる音がしたのが同時だった。
 用意していたサプレッサー内蔵の銃は普段使いとはまた違ったものだったがそれでも間違いなく、躊躇いもなくXANXUSに対し背中を向ける相手へと狙いを定める。乾いた小さな銃声音が二回。
 一発は相手の動きを自分の思い通りに誘導するための囮であり、それにまんまと嵌まった相手はしかし驚く程の反射神経で僅かに身体を逸らすことで肩へと被弾するも致命傷を避けた。チラリとこちらを一瞥した後にそのまま階下へと降り立つとそのまま立ち去ってしまった。
 部屋には他に、誰もいる様子は無い。

「…逃したか」

 ただの泥棒にしては、やけに戦闘方面に手練れていたような。違和感を感じその場の様子を見渡す。荒らされたのは響のキャリーケースと、布団。確かに金銭を盗むのであればそこを探すことは当然のことだ。
 しかし、それだけであれば金庫の方へと手を伸ばしていただろうし、なにより響の場所へと赴き脅迫でもしてその手鞄ごと持っていけば済むことだったのだ。なのに、何故。

 辺りは再び静寂が支配していた。

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