amber | ナノ


▼06


「休みはいつまでだ」

 恐らくそろそろ限界が来ているのだろう。
 先程まではXANXUSと飲むペースを合わせていたようだが次第にゆっくりと、今度はソフトドリンクを頼み始めた響の顔は気がつけば仄かに赤い。それでもXANXUSが席について数杯は彼のハイペースについてきた辺り恐らく酒にある程度強いのは分かったし、そもそも最初から何杯かは口にしていたのだ。見た目とは裏腹の、なかなかいい飲みっぷりに珍しく感心しつつクイッと残りのウイスキーを呷った。

 響はXANXUSが無愛想に一言尋ねてもにこにこと嬉しそうに返しながら話題を広げてくる女だった。その様子にまったくもって怯えた様子も、媚びたようにも見えない。地位や名誉を、それからXANXUSの寵愛を求め近付いてきた数多の人間達とは住んでいる世界も当然ながら何もかもが違う。
 ただでさえ社交の場なんてものはXANXUSには不快でしかなく如何に九代目の命であろうとも断り続けていたぐらいだったがそれでも不思議とこの女はその辺りにいるような女とは随分違っているような気もしたし、傍に置いておいても煩わしいとは思えなかった。

「一週間です。そのお休みの最初の日にここへ来たんですよ」
「長ぇな」

 驚くほど穏やかな空気が流れていた。
 存外これは悪くないと思えたが、まさか彼女がこうも自分に対し怯えた様子が見られないのは何を隠そうXANXUSから拒絶の、否定の壁が一切彼女に対し向けられていないからだったが当の本人がそんな事に気付くわけがない。響はXANXUSの素直な感想ににっこりと微笑みを浮かべ「ですよね」と返す。

「私もそう思います。だからこそこうやって一人旅なんて無謀なことを試したんですけどね。初めてで不安でしたが意外と楽しくやっています」

 色々とありましたけどね、と苦く笑う響の色々とは恐らく昨夜の件であろうとピンと来た。だがその表情からは若干申し訳なさは見えども嫌悪といった類の感情は見当たらない。
 再度XANXUSが酒を呷るタイミングで、ふと響は思い出したかのように時計を見た。XANXUSもちらりと釣られるように壁へと視線を移動させ、それから何気なく彼女の細い指に目をやった。指輪は嵌められていなかった。
 本人に聞かせれば失礼な話だろうが何故だか彼女には決まったパートナーがいるような雰囲気にも見えず、そして、人馴れはしているもののあまり男慣れしている様子が無いのも昨夜で理解していた。

 …この際、この女でも構わないと思えた。
 酔った女を抱くのは一種の賭けだということは身をもって経験しているがそれであってもこの女を味わいたくもなったことも事実であるに変わりない。
 真っ直ぐに前を向いた響を無遠慮に眺める。顔は赤いが話自体はしっかりしていたし最悪の展開にはならないように思えた。己のグラスをテーブルに置き、彼女の手を掴むまであともう少し、
 ――「…すいません」真面目そうな顔をした響がXANXUSを見たのはその瞬間だった。先ほどまでは見られなかったその表情は寂しげで、思わず手が止まる。

「…私、そろそろお暇しますね」
「…あ?」
「明日はね、観光らしいことをしようと思って。温泉に入っていっぱいお土産も買って…」

 ガサゴソと黒のショルダーバッグから出してきたのはこのあたりの地図だった。恐らく行く予定であろう場所には赤色でマークがついている。
 これを、すべて回るつもりなのだろうか。XANXUSの足であってもかなりハードなスケジュールになりそうな、それでも1人であれば不可能ではなさそうなそんなルートを赤い線できっちりと決めてあるあたりこの辺りは日本人らしいのかもしれない。

「……」
「どちらかというと旅行に行ってもどっしりと宿の近くでゆっくりしている派ですか?私はもう後悔のないように全部回りたい主義でして!」

 酔って少しだけ舌っ足らずな様子になりながらも紡がれる場所に、食事名に、土産品の名前の数々。
 抱く予定は、手を出す予定は奇しくも響のにこやかな笑顔に無かったことにされた。突然の出来事すぎて毒気を抜かれてしまったのもあるのだろう、苛立ちは己の中で起きることがなかった。

「帰るぞ」
「えっ、」

 響が一人帰ろうと席を立ったのに合わせXANXUSも立ち上がる。
 場を読んだのだろうかカウンター向こうの店員は静かに二人分の金額をXANXUSの方へと見せ、彼女が何かを言う前にさっさと会計を済ませて外へ出た。

 …何故こんな事をしようと思ったのかはXANXUS自身理解はできていなかった。そもそもこの女の前で自分らしい事なんてしたのだろうか。
 財布を握りしめたままの響は何か言いたげだったが何も言わず歩みを進めるXANXUSを見て「ご馳走様です」と静かに頭を下げる。どうやらこちらが金を受け取る気など毛頭ない事に気が付いたようだった。

「…お前は」
「一宮、響です。XANXUSさん」

 何だか違和感を感じていたその原因が、今、ようやく分かった気がした。この女は自分の名前を一言たりともあの店で呼ばなかったのだ。
 偶然なのかとも一瞬思ったがそうではないだろうと何故だか自分の中でそれを打ち消す声があった。そんなXANXUSの思惑に気がついたのか、響は困ったように眉根を下げる。

「他の、」
「あ?」
「他のお客さんが、XANXUSさんの言葉に耳を傾けていたの知っていますか? あまりにも皆が熱を持った視線だったのでお名前を呼ばない方がいいのかと思って」

 気を害されたならごめんなさい。
 そう謝罪の言葉を述べる響にとうとう何も、言えなくなってしまった。あの場であってもそこまで気を張り、実行していたというのか。ただの不幸な女だと思っていたのだが前言撤回をする必要がありそうだった。聡い女は嫌いではない。

「別に聞かれて困る名前じゃねえ」

 昔こそこの名に誇りを持ち、それであるが故に厭いもしたが今となっては昔の話だ。
 それにこんな離れた島国で己の名前を呼ばれようとも、知られようとも一切興味もないし恐怖もない。
 だと言うのにこの女に名を呼ばれることは、「素敵なお名前ですね」と言われた事は、……何故だろうか、少しだけ気分が良い。

 その後、響がXANXUSの隣で歩きながら話題を出しそれに対し適当に相槌を打つといった形で結局旅館に到着するまでの十数分間までも彼女のペースに流されることになっていた。抱こうという気が潰えたわけではないがそれでも今日はこの酔払いに手を出す気は無くなっている。

「早く寝ろ」
「わかりました。お付き合いありがとうございました、XANXUSさん」
「……ああ」

 ではおやすみなさい。
 嬉しそうに笑みを浮かべ響が扉を閉め施錠の音が聞こえ、そこでXANXUSは気付く。

「クソが」

 店を出た瞬間は間違いなく飲み直しの二件目を探そうとしていたのにも関わらず気が付けば響を旅館の彼女の部屋まで送り、その上で己もなかなかに満足して自然と部屋へ足を運んでいるという事実に気付かされ、面倒くせぇと一人小さく呟いた。

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