amber | ナノ


▼05


 一度繋がった縁というものは意外と切れにくいものらしい。
 いかにイレギュラーな事があって床を共にしたと言ってもXANXUSやスクアーロが外に出なければ、また響が彼らに会おうと行動時間である夜も遅い時間に出歩かなければ再度会うこともなかっただろう。
 確かに面白い女だとは思ったとしても、一般人ではある。自分達マフィアの人間とは相容れぬ存在であることは重々承知していた。
 にも、関わらずに、だ。

「あ、こんばんは」
「…ああ」

 にこにこと笑みを浮かべながら気さくに挨拶をしてくるこの女は強運なのか悲運の持ち主なのか、XANXUSには到底想像もつかなかった。


 特に何も考えず温泉街の外れへと足を運んだつもりだった。
 あまり明るい場所で飲む気はなく入り組んだ場所に立ち並ぶ中の一際小さな店を選んだのはどうやら正解だったらしくテーブルには数組こそ居たが店内に流れる音楽と言い雰囲気は物静かで此処で構わないかと思える程度で。
 入店と同時に客からの視線こそ煩わしく思ったがそれ以外何ら問題はない。そう思いカウンターへと目をやれば先程脳裏にちらりと過ぎった件の女がそこにいたので流石のXANXUSも驚きに入口から彼女をじっと見ることになってしまったのも仕方のないことなのかもしれない。
 そんなXANXUSの思惑など知る由もない彼女はカウンターの一番端の壁側に座りこちらを一切気にせず飲食を楽しんでいたようだったが、視線に気がついたのか一瞬目を丸くしたものの挨拶を寄越し、そしてXANXUSも釣られたように返した。

 夜も遅い時間、少し酒でも飲みに行くかと重い腰をあげたのはただ突然そういう気分になっただけだ。部屋を出る前にXANXUSの部屋に敷かれた一式の布団を見、何とはなしに隣の壁を見る。
 もちろん響に何かを思った訳では無いがそう言えばXANXUSが食事を終えてから今の今までことりとも音がしなかったことに気付き、恐らく昨夜のせいで疲れて寝ているに違いないと何気なく思っていたが、まさか既にもぬけの殻で、そしてこんなところで再会するとは。

 ちらりともう一度彼女の方を見るとカウンターは響のみで、そして彼女の隣には誰の姿もなく、また彼女も挨拶をした後、XANXUSの方を見てもいなかった。

 知った顔だった為に声はかけたものの隣に呼び寄せるつもりは更々無いらしい。
 どうにもそれは一人でいることに慣れた人間の動作にも近く何となくXANXUSは響に興味を覚えた。
 許可を得ることもなく響の隣に腰を下ろすと突然の物音と隣の気配にバッと顔を上げる。
 化粧を施した彼女は今朝方の様子とはまた少し違って見えたがこう見れば二十半ば程度だろうと推測できた。

「お隣で、良いんですか?」
「…俺の勝手だ」
「ふふ、そうですね」

 響がXANXUSを嫌っての言葉では無いことぐらいは分かっている。大方、XANXUSが店に入ったと同時に声をかけようとしていた女が目に付いたのだろう。
 なあんだ、と女が残念そうに声を上げてまた向こうのテーブルで酒を飲み始めている様子を響はちらりと見て口元を歪めた。どうやら視野もなかなか広いらしい。

「…一人か」
「はい、実は会社でリフレッシュ休暇っていう長期休みがあるんです。私一人だけいただいたので家でぐうたらするのも考えたんですけど、折角だし温泉に来ようかなって」

 平日に連泊するぐらいだ、どこぞの金持ち層かと思えばそれは違ったらしい。
 そもそもヴァリアーに所属している人間に休みという概念はない。しかし日本人はやけに働きたがるという偏見はXANXUSの中にもあり、彼女がどれだけ働いているのかは知らないが確かにリフレッシュは必要なのだろうと思った。
 話を聞いてもらえて嬉しかったのだろうか、響は笑みを零して少しだけXANXUSの方へと体を向けた。

「ここはあの旅館の女将さんが教えてくれたんです。あともう何軒か教わったので楽しみが尽きないんです」

 本当に良かった。
 そう言いながら手元にある琥珀色のとろりとした液体をグッと呷る。こくりと嚥下する喉がいやに扇情的だった。もちろん本人は恐ろしく無意識だったろうけれど。


 女将が響に教えてくれたのは気分転換にもなるだろうとあまり有名ではないがいい酒と軽食を提供するバーと、いくつかの土産物屋、それから温泉だった。
 ただでさえ平日の人の少ない時だ、それに加え地元の人間に教わった場所といえばどれもが文句のない場所であり、こうやって二日目から一人のんびりとカウンターで酒を口にすることが出来るのはとても幸せなことだと思えた。

 もちろん夜は旅館で豪勢な食事をいただけたがそれでも部屋で一人摂るというのは存外寂しいもので、だからこそそのまま眠ってしまうのは勿体無いのだと足を運んだのが正解のようだった。
 そういえば隣の部屋のXANXUSも物静かだったがきっと彼はスクアーロと共に食事をしているのだろうと思う。そしてあの銀髪の彼は少々声が大きいことはすぐに身を以って理解し、大体彼が隣の部屋に居る時は壁越しに「居るんだろうなあ」と分かるぐらいにはなっていた。

 グイッと手元にある冷酒を一息に。スッと身体に染み渡るようなそんな感覚に、良い酒というものは悪酔いしないのだとは知っていたが確かにそうだと響は思った。
 体質上、飲んでも酔いにくいことは知っていたし自分の限界がどれぐらいかも散々過去の経験からして覚えている。それに、何といっても大体一人で乗り込むことが多い所為かどこかで気を張っているところもあるのだろう。

 そうして一人酒を楽しみながらカウンター向こうにいるマスターと話を弾ませているとふと背後のテーブルで酒のオーダーが飛んでくるのを聞き、響も釣られたように同じく「ウイスキーを」と頼んだ。「…ロックで」
 次いで、割り方の注文を足すとすぐに目の前に琥珀色の酒が用意された。洒落たロックグラスに落とされた大きな氷がカラン、と音を鳴らす。

 場所は違えど慣れた味にホッと響は一息をついた。
 まさか知らない異性と同じ布団に入り一夜を過ごすことになるとは思ってもみなかったがもちろん彼に非なんてあるはずもない。むしろ美味しい思いをしたのかもしれないと楽観的に考えることにすれば、これはこれで旅行としては幸先のいい出だしだとすら思えた。
 ただ、会社の人にはこんな話は聞かせられないなあとカウンターで一人口元を緩めたその時だった。


 ―――カラン、

 ドアにとりつけられている小さなベルが鳴り来客を知らせる音が響く。どこかのテーブルで「まあ!」と嬉しそうな女性の声が聞こえ背後からもハッと息を呑む様子も伺える。 入店と同時に見られることがなかなか来客者にとって軽いストレスになることだって響は分かっていたがあまりにも周りの反応が異質だったため、ゆっくりと首のみを動かすと、

「あ、こんばんは」
「…ああ」

 目が合ってしまえば無視をすることなんてできるはずもなく。響はゆっくりと彼に対し挨拶だけ交わすとまた前を向いて目の前の軽食と酒に舌鼓をうつ。
 順序が逆だといわれれば確かにそうだったが、響はXANXUSが座っている時と横になっている時しか見ていない。少し離れた位置からでも背がかなり高いことが分かり、それに加え他の客と違ってカジュアルな服装ではなくスーツのXANXUSは少しだけ異端で目立っていた。あんな人ならきっと女の人が黙ってないだろう、と何気なく思いながらきっと入り口付近の女性に声をかけられることを想像していると隣のスツールがギシリと鳴いた。

「お隣でいいんですか?」
「…俺の勝手だ」
「ふふ、そうですね」

 細かく言わずとも言葉が伝わる人間とはこうも楽なのかと響は半ば感動した。周りの男といえばどうしても落ち着きのない人間ばかりで、これはもしかしてお国柄の問題なのだろうかとすら思えた。
 そもそも、彼がどこの国の人なのかは知らないがこれだけ日本語が堪能であればきっと仕事のできる人であるに違いない。

「…一人か」
「はい、実は会社でリフレッシュ休暇っていう長期休みがあるんです。私一人だけなんで家でぐうたらするのも考えたんですけど、折角だし温泉に来ようかなって」

 言ってから、一人で旅行に行くなんて何て寂しい女なのかと思われたらどうしようかと不安にもなったがそれはどうやら杞憂だったらしく特にその言葉に対し深く突っ込まれることは無かった。
XANXUSが隣でウイスキーを注文する。ついでに響ももう一度それを飲もうと同じものを頼んだ。

「ここはあの旅館の女将さんが教えてくれたんです。あともう何軒か教わったので楽しみが尽きないんです」

 あまり人に興味を覚えそうにないようなタイプに思えたがそれでも自分に話しかけ、話題を広げてくれた事は嬉しい。昨日のみの、それもこちらから粗雑に絡めてしまった縁だと思っていたのに連日で偶然会えると彼のことなんて何も知らないのに少しだけ親しくなったように誤解してしまうのも仕方の無いことなのかもしれない。

 本当に良かった、とそれはXANXUSへと聞かせるためのものではなかったので小さく呟くと次のグラスが渡される前に手元にあった残りのウイスキーをグッとひとくちで飲み干す。
 カラン、と出された時より一回り小さくなった氷が涼しげな音を鳴らし響はその口元にほんのりと笑みを浮かべたのだった。

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