肌寒い季節だというのにやけに身体が熱い。じんわりと汗をかいているのが分かりその不快感で響の意識はゆっくりと浮上した。
目を開いても周りが真っ暗だったがぼんやりとした意識の中、それが毛布にくるまっている所為だということに気付く。
もぞもぞと手を動かし顔を出すと目の前には大きな窓があり、そこからは紅葉がこれでもかとばかりに秋を強調していた。
「わ、あ…」
夜見ていた時とはまた雰囲気が違い、思わず声をあげる。が、それと同時にひとつの疑問が浮き上がった。
昨日の出来事のことだ。隣室から出てきた、負傷した銀髪の男性がこちらに向かって倒れてきて咄嗟に手を差し伸べたところまではすぐに思い出せたもののそれからの記憶がない。
けれど窓から映る青空が現在、夜ではないことを知らせている。そして、この響が今見ている景色は自分の部屋から見えるものではなかった。この全貌が臨める景色は
「…!」
もしかして、と後ろを振り向こうとした瞬間だった。
何かが自分の身体へと巻きつき、突然視界が反転する。響は声もなく目を見開いた。目の前には見知らぬ男が寝ていた。
驚きに声が出ないままどうにかこの状況を把握しようと視線を彷徨わせるも此処が自分の部屋ではないということぐらいしか理解できないのも仕方がないだろう。この男性は一体誰なのだろう。昨日の銀髪の男性と同室の人なのだろうか。
ちらり。
視線は寝ていることを良い事に、目の前の男へと向けた。所々に傷跡の残る黒髪の男は精悍な顔立ちをしていた。
恐らく日本人ではないのだろう。響の背中に回された手も、身体も、それから肌蹴た浴衣から見える胸板も鍛え抜かれたそれで、自分の周りにいるような華奢な日本人達とはおおよそ違っていた。
それでいて本当に呼吸をしているのかと疑いたくなるぐらい呼吸は浅く、静かだ。
うっかりと声をあげそうになった口をきゅっと引き締め、次は自分の衣服の確認をする。背中の僅かな痛みは恐らく昨日床に倒れた時のものだろう。それ以外の痛みは身体のどこにもなく、そして温泉帰りの浴衣に何の乱れもなかった。
ならば彼が気を失った後の自分を見てくれたのだと解釈するのが筋だろう。一瞬危惧したようなことにもなっていない事も何となく分かったが、その彼も今は目が硬く閉じられているので話しかけることもままならず。
――ある意味肝が据わっていると言ってもいい。
響はそのまま目の前の男を起こさぬよう身体を僅かに起こしその大きな肩からずり落ちしまったのだろう布団をかけると先ほどと同じ体勢で二度寝を決め込んだのだから。
すぅ、とその後すぐに赤色の目が開かれたとも知らず。
何故自分がこんな事をしたのかXANXUS自身もよく理解はしていなかった。
日本へとやって来たのは煩わしい事に9代目の命による、とある依頼。難無く全て終えたというのに予想していたよりも遥かに早く終わってしまったこと、そしてヴァリアー専属で用意されてあるジェットの予想外の不調により日本の滞在を余儀なくされてしまったというこの不愉快な事態に怒りは収まることはなかった。
そして昨夜の事件だ。
仕方なく近場の宿へと予約を入れ酒と温泉で紛らわせても引き連れた相手が女ではなくスクアーロであったことも、この近辺では娼婦一人も用意できないことを彼に告げられたことも苛立った要因で、いつものように手元にあった灰皿を飛ばした。流石にここで例の力を出す訳にはいかないということぐらいは脳裏にあったらしい。
しかし、いつもであれば命の危機に関わりそうなものが飛んできた場合は避けていたスクアーロが避けなかった。珍しい事もあるもんだと視線をそちらにやれば部屋に一人の女を横抱きで連れてきたのだ。
「厄介事を部屋に入れるんじゃねえ」
「…分かった」
スクアーロはまたXANXUSとは別の階に部屋をとっていた。
そしてこの男は自分に非礼があった場合相手をぞんざいに扱えないこともまた、知っていた。恐らくはスクアーロが灰皿を避けなかったことも、そしてこの女が気を失っているのもその所為だろう。
もちろんその最大の原因が自分であることは知ったことではない。
「おいカス」
「何だぁ」
「置いて行け」
何を、とは言わない。
流石に気絶している女をどうこうする男ではないことぐらいは重々承知しているスクアーロはやや戸惑った様子を見せたが大人しくボスであるXANXUSの言葉に頷くとその通りにして部屋を出た。「手は出すなよ」という釘をさすことは当然、忘れずに。
ドアが閉まり静まった部屋でちらりと女を一瞥する。
華奢な体躯といい、黒髪といい、目を開ければ同色の瞳だろうこの女は日本人観光客だと解った。その手は、その身体は戦闘が出来るとは到底思えず、もしも自分たちを狙った何かなのであればと考えたがそれもどうやら杞憂に終えたようだ。
スクアーロも戦闘時において使えないことはないがこういった事態に陥った時の、特に己の過失によるものが一端となった場合の判断力はやや鈍い。
観光するとあれば連れの人間でもいるかとは思ったが揺り起こしてこの夜中にぎゃあぎゃあと騒がれるのも厄介だ。
「…っくしゅっ」
畳の上に寝かされた女が寒さの所為か身じろぎした。
どうやら先程まで風呂にでも入ってきたらしく化粧気は一切無い。もう一度あの男を呼ぶべきか悩んだがそれすらも煩わしい。
布団は当然、やや大きめとは言え一人用だ。仕方ないと盛大に溜息を隠しもせずXANXUSは女を抱きかかえると布団へと横たえ今日限りは譲ってやろうと思えたのだが、
「…おい」
運んでいる少しの時間で、気が付けば自分の服の裾を掴まれていた。
恐らく振り払えば簡単に取り除けるだろうがたっぷり数秒、XANXUSは女の顔をもう一度見て女の横へと身体を預け、
そして女が目を覚ましたのは朝だった。
ここで声をあげたり逃げたりするようであれば口封じがてらに抱いてしまってもいいと思えたが、豪胆にも隣にいるのが見知らぬ男だったというのに騒ぎもせずあろうことかXANXUSに布団をかけて二度寝をする有様で、そしてそれが別に股の緩い女が此方に見惚れていたりだとかそういう下心込みで狙っていたような、そういった様子は微塵も感じさせなかった。
暫くすればまた穏やかな寝息が聞こえてくる。
安心しきった顔が次に起きたときはどう変化するだろうか、等と考えてしまった辺りどうやら面白い拾い物をしたようだと漠然と思ったのだった。
気が付けば昨夜まで己の中にあった苛立ちはすっかり鳴りを潜めていた。
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