amber | ナノ


▼チェックアウト-05


 じんわりと汗をかいているのが分かりその不快感から響の意識はゆっくりと浮上した。
 目を開いても周りが真っ暗だったがぼんやりとした意識の中、それが毛布にくるまっている所為だということに気付く。もぞもぞと手を動かし顔を出すと目の前には大きな窓があり、そこからは紅葉がこれでもかとばかりに秋を強調していた。

「…綺麗」

 と、素直な感想を口にしてから響の思考は何時も以上の早送りで動いていく。この光景、この様子。見覚えはなかっただろうか。まるでデジャヴ? 否、そうではない。確かについ最近自分は全く今と同じことを経験したのだ。そして此処を、この景色を今この時点でまた見ているのはおかしいのだとすぐに気付く。
 それにこの全貌が臨める景色は、

「…!」

 もしかして、と後ろを振り向こうとした瞬間だった。
 何かが自分の身体へと巻きつき、突然視界が反転する。響は声もなく目を見開いた。
 目の前ではXANXUSが目を瞑っている。それでいて響の身体をぎゅうぎゅうと強く抱きしめているのだから恐らく起きているだろうと安易に想像がついたが一向に目を開く様子は見られなかった。
 あの時はどうして気が付かなかったのだろうと思い返すのは彼を初めて見たあの朝だ。XANXUSが寝ているものだと思って布団をかけ、二度寝を決め込んだ自分の行動を思い出すとあの時だって本当は起きていたに違いないと今更ながらに理解してしまって、自分は何と大胆なことをしでかしてしまったのだろうととんだ時間差で恥ずかしくなってしまった。

 しかしあれは現実にあったのだろうかと響は彼の腕の中で思ってしまうほどあまりにも自分の日常からかけ離れた出来事であった。
 本当に女将が自分に、XANXUSに酷いことをしようとしたのだろうか。あれは自分の心の底にあった嫉妬が思い描いた悪い夢だったのだろうかとさえ思えたが手に貼られた湿布が、そしてそれを目にしてから途端にジンジンと痛みだしたそれが夢ではないことを知らしめていた。あの後は一体、どうなったのだろう。大きな銃を持った女将の手を弾いて、倒れそうになったところをXANXUSに助けられたところまでは何とか覚えてはいるのだがその後のことは記憶にない。

「一宮響」

 XANXUSへと声をかけようとしたその時、小さく襖が開き暗い部屋に一筋の光が差した。上司であるXANXUSではなく響の名前を呼ぶ辺りどうやら起きるのを待っていたらしい。
 眩さに思わず目を細めるとその向こうからスクアーロが顔を出していて、この状況をどう説明しようかと固まってしまったがそれに対して驚いた様子を見せなかった銀髪の彼に「ちょっと出られるか」と聞かれ大人しく頷く。

 が、自分の身体に巻き付かれたXANXUSの腕を解くのは容易ではなかった。
 身をよじってもその力が一切加減されることはなく離される気配はない。力を込めてもそれは離れることがなかった為、非常に苦労したがスクアーロは楽しげに見ているだけで一切手助けをしてくれなかった。
 仕方なしに寝たふりをしているのかそれともスクアーロと話すのが嫌だったのかはわからずじまいだったXANXUSに向かって「すぐに戻ってきますから」と小さく呟くと僅かな待機時間と共に、ようやく離れる腕。
 ほんの少しだけその温もりが名残惜しかったが戻って来ればいい話だ。…戻って、来てもいいと言われているようでほんの少し自惚れてしまいそうだったけれど。

「…っ」
「大丈夫かぁ」
「あ、大丈夫です。ありがとうございます」

 起き上がると少しだけ頭がクラッとした気もしたがそれ以外に何の不調もなかった。
 襖を閉めスクアーロの前に正座するとまず彼が何を話そうかと思案していた様子が見て取れたので、響は気になっていたことを口にする。

「女将さんは、どうなったんですか?」
「彼奴は…そうだな、悪いヤツだった」

 外見だけで言うとなると明らかにどちらが「悪いヤツ」だったかというのは一目瞭然だったが恐らく彼の言っていることに嘘はないだろう。結局、誰もが女将の策に乗せられ振り回されてしまったのは誰に説明されずとも分かった。
 あれから意識が途絶えてしまったが彼女はあの後、恐らくスクアーロ達によって捕らえられたのだろう。がきっとその連れ去った先は警察ではないということは何となく勘付いてはいたし、そして彼らもまた、警察とはむしろ逆の人間だということは今朝方のやり取りで理解はできた。細かいところまでは流石に分かることもなかったがそもそも響を横抱きにしたまま温泉街を駆け抜けられる人間が一般人にあってたまるものか。
 つまり、やはり彼らは自分とは違う世界に生きていた人間だったのだ。
 だというのに奇異荒唐な事件によってそんな彼らと出会ってしまったのはただただ奇跡に近い。それが果たして幸運だったのか不運だったのかと聞かれれば他の人間であれば悩むかもしれないがそもそも響は不運だと思ったことは一切なかった。

「それで」

 スクアーロが大きく視線を横に遣り、それに釣られ響も同じ方向を見ると置いてあった壁時計はもう既に夜半時になっていた。
 かなりの間、眠っていたに違いない。どうやってここまで移動したのかは少し気になったが何となく予想はついた。恐らく改めて説明されれば戻ると約束した彼の目を今度こそ見られなくなるような気がしたのでその辺りは黙っておくことにしてスクアーロの言葉を待つとほんの少し彼は先程とは纏う空気を変え、楽しげに笑みを浮かべる。

「お前の件だが、まあ…悪い薬を飲まされてたモンですぐには動かない方がいいしそもそも時間帯が時間帯だ。宿泊の延長は俺がどうにかしておくからお前が明日の朝までの時間、お前の残り時間を彼奴にくれてやってほしいんだが」
「わかりました」

 それならばお安い御用だった。
 寧ろ今の時間に放り出された方が困ってしまうぐらいだ。結局は彼らに守られっぱなしだし世話になってばかりであったので正座をしたまま「ありがとうございます」とスクアーロに頭を下げると慌てた様子の彼の姿に思わず笑いそうになる。XANXUSの部下であるということは自己紹介を受けた時に知ってはいたが性格は銀髪の彼の方が真面目であるようだと少しだけ失礼なことを思った。

 が、当然ながらスクアーロは別にこの女にどう言われようが感謝されようがどうも感じはしなかったが響に頭を下げさせたことが隣の部屋の男に勘付かれると非常に面倒くさいことになるのが分かっていた故の動揺であることに気付く訳がない。

「スクアーロさんも遅い時間ですしゆっくり寝てくださいね」
「ああ」

 詳細を知ることが叶わないこともまた、理解はしていた。
 ドラマ等の主人公だとこういった物事の一端を知ってしまえばその世界に引きずり込まれ非日常な毎日が始まってしまう…なんてパターンも見たことがあったし、一般人で、明日には自分の世界へと、いつもの日常に戻る響には知らない方が良いこともある。少しだけ寂しいと思ったがそれが現実だ。
 だけど穏やかな気分でいられているのは女将に操られていた時のあれが最後にならなかったからだろう。これでしっかりと納得できてお別れができるし、もう思い出して泣いてしまうだろうなんて思わないに違いない。もちろん寂しいとは感じてしまうだろうけれど。

「…お前、何も聞かねえんだなぁ?」

 不思議そうに首を傾げるスクアーロは何について言っているのだろうか。
 XANXUSの事を? それとも彼らの所属している組織、或いは機関の話を? もしくは女将とは一体本当は何者だったのかということだろうか。考えれば考えるだけ、響の分かっていることは何一つなかったことに気付く。
 だけど彼らは自分を結果的に守ってくれた。XANXUSは身を挺してまで救おうとしてくれた。あの逞しい腕で支えてくれた。それだけで十分だったしこうも知らないことが多すぎると今更教えてもらおうと思う気にすらならない。それに、

「気になれば…そうですね、XANXUSさんに直接聞きます」
「――一宮響。一つだけ、教えてやるよ。俺の知ってるボスさんはな、」

 スッと片膝を立てこちらに少し近付いたかと思うとまるで隣で寝ている男に聞こえてしまうことを恐れているようなそんな小声で小さく響の耳元へ呟いた。

『他人の前でそう無防備に寝顔を晒す男じゃなかった』

 教えてくれたとっておきの情報に響はとうとう笑いを堪えることはできなかった。
 ふふ、と楽しげに声を漏らすと一瞬目の前の男はキョトンとした顔を見せたがやがて彼も釣られて笑う。

「それも、なんとなく分かっていました」
「…お前は大した女だよ」

 そう言うとスクアーロは邪魔したな、と響の頭をポンと軽く叩いて立ち上がった。
 玄関へと向かいながらその口元は珍しくも緩んでいたのは勿論馬鹿にしている訳でもなく、何故か、何となく嬉しかったからだ。

 響が拉致された時、『囮は必要だろう』とまるで冷酷非道の男の言葉かと思えたが長い付き合いであるスクアーロはその言葉に沢山の感情が綯い交ぜになっていることにすぐ気がついていた。
 そもそも他の女に対してだって特別一人に絞って誰かに愛情を注いだことも誰かの安否を気にしたこともなければ他人を巻き込むことをこの上なく面倒臭がり囮なんて使ったこともないあの男がわざわざ選んだ女。それが一般人である一宮響。どうせ不器用なあの男のことだ、巻き込んで怖がらせ自分とは住んでる世界が違うのだと響の中から己達の存在を消し去ってしまいたかったに違いない。

 だけど彼女は違った。スクアーロはXANXUSが見ることのできなかった響のあの時の表情を忘れることはないだろう。


 彼女は苛立っていた。
 彼女は、…この上なく、XANXUSを想っていた。

 だからこそ薬を使って操られていたのにそれを上回る怒りでもって女将の持っていた銃をはたき落とした。なかなか、あれは此方側の世界にいる女でも安易にできることではない。
 己がついていこうと思った怒りの種類とは真逆だった。あれは大事なものを突付かれた故の怒り。壊すための怒りではなく、守るための怒り。ある意味お似合いだと言えよう?
 くつくつと喉を鳴らしながらスクアーロはこの上なく機嫌が良かった。

 一宮響。

 確かに途方もなく弱く、しかし強い女だった。
 本当は中和剤も投与しているのでもう動いても問題ないし、彼女をほんの少し騙すために時計をわざと遅い時間に動かしたがまだ実際は日が落ちたところの時間帯で帰りの移動手段なんてどうにでもある。
 それに本来なら彼女の今回の功績を考えるとボンゴレの移動手段を使うことも可能だったし響の家までなんてひとっ飛びだったが今回ばかりはXANXUSに一日くれてやってほしいというのはスクアーロなりの、ほんの少しの両者に対する優しさからであった。
 どうやら避妊具は今回も使用しなさそうであるので用意はしておかなかった。これまでやってきた自分の行動を省みるとどうせ後からXANXUSのお怒りを食らうことは重々分かっていたし、これ以上増やすのも得策ではないことも当然長い付き合いだからこそ知っていた。

 いい女であるには変わりない。俺の守備範囲外だけどなぁ。
 強いし聡い。一般人の女であるが俺も薬で洗脳されてる上に銃を突きつけられて怯えることもなく、尚且つあのアンブラのボスの武器を取り上げられるようなそんな精神も強く根性もある女は見たことねえよ。
流石はボスさんが見込んだ女、というのかもしれない。

 ――まぁ、

「その男に魅入られるなんざ、とんでもなく運は悪いけどなぁ」

 楽しげに紡がれるその言葉は響の耳に届くことはなかったが、宣言通り寝室へと戻った彼女を布団へとまた引きずり込んだXANXUSが「うるせえよ」と目を瞑りながら返したのだった。

 静かに閉じられる扉、身を寄せ合い眠る男女。
 彼らの任務もこれにて終了。

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