amber | ナノ


▼チェックアウト-02


 飛び降りる、走る、一旦立ち止まり場所を確認し、屋根へと飛び乗り、また駆け下りる。
 どれほど移動しただろうか。大体の場所の把握はしたもののそもそもの発信機が捨てられている場合だってある。がその辺りは流石スクアーロといったところだろうか近辺の地理関係は既に網羅しているらしく後ろで彼女に取り付けてある発信機の場所をみながらXANXUSへと伝えていた。

 ――昨夜とは違っているのは何も現在が早朝であるだけではない。
 幸いにもまだこの時間は出歩いている観光客の数も少ないが闇夜に掻き消えるような色彩をしている訳ではなく、寧ろその全身黒という彼らの服装は目立つものであるには違いなかった。アンブラの連中に見つかっては元も子もないがどうせ響を拉致した時点で追跡される恐れも少しは考えているに違いないし、何より結局は自分達を取引現場へと誘い出してくるに違いない。彼等と相見えるまでの時間が少しだけ縮まっただけだ、何も問題はあるまい。

 あの時と違うのは後ろにスクアーロが控えていること、響がこの自分の腕に収まっていないこと、それから今度は自分達が追う側であることだ。
 従来の任務であればそれこそがXANXUS達ヴァリアーにとっての得意分野でありメインであったが今度の目的はファミリーの壊滅だけではない。わざと放った囮ではあったが人質がそこに、居る。

 元はスクアーロの、そして今は彼女の客室にアンブラの人間が忍び込んだあの時からXANXUS達と関係のある人間であると認識はされてしまっていただろう。考えれば考えるだけ、彼女とは奇妙な縁で繋がってしまっていた。絡みあってしまっていた。その上、彼女は驚くほど不運であった。
 そんな彼女をこの地で一人にさせたということは誰がどう見ても突き放したようにしか見えないだろう。XANXUS達は強い。ならばその周りから攻めていくという考えに至るのは至極当然のことであるからだ。
彼女を拉致し、恐らくは自分達との取引の材料に使われるだろうとそれも理解っていたが彼女を手放したのは囮にしたという事ともう一つ二つ、自分自身でも理解の出来ない感情が有ったからだった。

 アンブラの目的は間違いなく現在XANXUSの手にある顧客リストや商売・密輸ルート、予定表に彼らの常套手段である化粧品の製造方法が綿密に記載されているこのメモリーデータだろう。
 スクアーロに命じていたのはそのデータの複製、それから真っ先に本部へと報告させルートを抑える手配をしたところであった。がしかし今すぐにでも手を出させた場合、逆上したアンブラが響に、またそのアジトの付近で何をするか分からないので表立って何か行動を起こすのはXANXUS達がこの手で壊滅をさせてからという条件を本部へと焚き付け、そして穏健派である彼らは是と頷いた。
あとはこの手で終わらせるだけだ。抜かりはない。

「一宮響は無事だろうなぁ?」
「…さあな」

 冷てェことで、という小さな呟きは後ろからであったが確かにXANXUSの耳にも届いた。けれどその声は決して自分の反応が納得いかぬものといった種類のものではなく寧ろ己自身の事を理解っているからこその楽しげなものが含まれていることに気付き若干不愉快にはなったが今はそれどころではい。
 昨夜の避妊具についてもそうだった。これが終わったら全てを覚えていろ、とXANXUSらしからぬ考えを胸中に留め、速度を早める。
 いくら取引を目的としているとしてももし万が一彼女に何かあってはならぬ。その考えはXANXUSの中で常に存在していた。ならば手放すことなく本日、彼女が帰るまで見届ければよかったではないかと最初こそ思ってはいたが考えは変わってしまった。

 ――もしも万が一。
 万が一、一人でも彼らを逃し私怨により彼らと別れた後に彼女の身に危険の手が及ぶのであれば。自分達の仕事にミスという言葉は、失敗という言葉はない。有り得ない。そんな事を今まで考えたことはなかった。自分達の任務に不可能はない。これまでも、それからこれからもそうであるつもりであったのに、だがしかし、思いついてしまったものは消えることはない。
 ならば彼女には囮となってもらい全員をおびき寄せた後に完膚なきまでに叩きのめす。それが一番手っ取り早いとXANXUSは感じたのであった。そうすればもう彼女にこのアンブラの件に関して二度と危害は加わるまい。
 そして、

「…響」

 後ろを走るスクアーロにも決して届かぬような小さな声。否、口には出したが声となって紡がれたかどうかすら自分でもわからぬほどそれは恐ろしく静かで、しかし複数の感情が込められていた。

 昨夜のXANXUSの部屋での件がなければ彼女が何を考えているか未だに分かりもしなかっただろう。それほど彼女は内に秘めることが上手であった。慣れていた。
 そんな彼女が昨夜の己の行動に対し、拒絶の姿勢をとらなかった。抱こうとしたその手を振り払うことはしなかった。不安げな表情を浮かべながら、それでも静かに自分を受け入れようとした彼女の姿を見れば結局手こそ出すことは叶わなかったがどう思われているかなど一目瞭然で、
 ――だからこそXANXUSらしからぬ驚きとそれから僅かばかりに慄いたのは確かであった。

 一宮響は一般人だ。
 銃を手にしたこともない、何処をどう攻撃すればどういった風に血を流すか、空気に触れた血液がどう変化し黒ずんでいくか、他人を傷つける効果的な方法を、身体の腐敗はどう始まるか、人肉の切れ味は、人が絶命する時の表情も、何かも知らない一般の日本人の女だ。それら全て知っているXANXUSとは正反対の人間だ。それどころかXANXUSの事など何一つ、何処に住んでいるか、何処の世界で生きているか、所属も、肩書きも、何を主に仕事としているのかさえ知らないというのに彼女はどうして自分をああもまっすぐに見ていたのだろうか。
 XANXUSが、慄いてしまう原因はそこであった。
 何も知らないのに、何故そう自分を信じて隣を歩めたのだろうか。かつてそんな風に己を見てきた女がいたであろうか。
 …”ありがとう”だなんて、言われたことはあっただろうか。昨夜の時点で随分と怖い目にあっているというのに楽しそうな笑みを浮かべ子供のように笑ったかと思えば自分の腕の中で不安げな表情を浮かべた彼女のあの艶めかしさ。

 あの女は、一体何なのだ。
 何故、こうも自分の心を乱していくのか。
 答えは己の力だけでは出せず、それを知る為には響自身が必要であったが今彼女は此処には居ない。

 響を手放したことで現在は危険に身を晒しているのは確かだが今のところは無事であろう。取引の材料とされているのであれば特に手を出す訳にはいかないし、響が攫われてからまだ1時間も経過はしていない。
 それにアンブラとしては後ほど商売道具の一つとしようとする身体でもある。

「…カス共を皆殺しにする」
「そうこなくっちゃなぁ!」

 先程より膨らむ後ろの獰猛な鮫の殺意に、己もこれこそが自分であると口元を歪めやがて見えてくる目的地を視認すると懐から銃を取り出した。


 …一宮、響。
 裏世界に住むXANXUSが彼女を救う方法を、手段を見れば彼女は今度こそあのまっすぐな視線に恐怖を含ませるだろうか。自分とは住む世界が違うのだと知り、怯え、XANXUSを拒絶するだろうか。否、きっと怖がるだろう。何なら悲鳴をあげて逃げるかもしれない。――そうでなければならないという気持ちの方が大きかった。

 恐怖したのも、痛い目にあったとしても元はと言えば全てXANXUSと出会ってしまった所為である。聡い彼女であればもう今の時点で既に分かっているかもしれない。後悔をしているかもしれない。出会わなければよかったと、自分を恨むか。どうして離してくれなかったのかと、怯えるか。それはXANXUSの脳裏で容易く再生され、自嘲的に笑った。
 複雑奇特な偶然が重なり絡んだ縁がここで切れるのであればそれは寧ろブッツリと、完膚なきまでに、後味等何も残らぬほどしっかりと切れてしまえばいい。
 そうすれば響であってももう自分の事をあの目で見ることはないし、XANXUS自身だって気にする必要もなくなる。これで、今度こそ何の未練もなくなるのだから。

「…認めてやるよ」
「何か言ったかぁ?」
「うるせえ」

 一宮響。
 お前は確かに、面白い女だった。

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