You’re Full of It

俺とここから飛んでくれ


基本的に俺は、目的が無いと動かない人間である。また目的を妨害されるのが嫌いな性質だった。
例えば本を借りに図書室へ向かっている最中に挨拶されるのはまだ良いが、そこで一言二言言葉を交わそうものなら顔には出さないが内心とても苛つく。30秒ほど雑談する場合なんてもう、最悪だ。そして今日がその最悪の日だった。
本の返却の為図書室へ向かう途中、大して仲良くない上級生に呼び止められた。どうでもいい話を真摯に聞きながら相応しい相槌を打ち、相手の気分がよくなるのを見届ける。馬鹿馬鹿しいが、俺にはかなり効く拷問だった。
図書室に着いてからも、容赦なく不運は舞い込んでくる。新しく借りようとした本が収まっている棚の前で、グリフィンドールの男子生徒とハッフルパフの女子生徒が体を寄せ付け合いながら談笑していた。その男子生徒が身内ではなかったことが不幸中の幸いである。
早くいなくなれと思いながらふたつ隣の通路から様子をうかがっていると、いなくなるどころか二人のボディタッチはどんどん激しさを増し、ついにはお互いの唇をむさぼり始めた。最悪である。
しかしどうしても今日はあの本が借りたかったし、あの本を借りるためにわざわざ本を返却しに来たとで、ここですごすご帰るなんて情けないことできない。ただこのままだと本を借りられないどころか知らない男女二人の逢瀬を逐一確認しに行ったり来たりするという世界で一番無駄な時間を過ごすことは明白である。
さてどうしたものか。
とりあえずここは神聖な図書室でお前たちの部屋ではない。人がいることをアピールすれば慌てて踵を返すだろうと思い、距離を詰めることにした。名誉のため言っておくが、俺に覗きの趣味はない。
ただ俺が知らないだけで図書室のこのゾーンはそういう人たち専用のスポットになっているのかもしれないと思い、恐る恐る一つ隣の本棚と本棚の間の通路を確認したところ、さっきは気付かなかったが窓側の本棚のほうに生徒が一人、床にあぐらをかいて一番下の本棚を漁っているのが見えた。
なんだ人がいるのか、と思ったのと同時に、これだけの近い距離に他人がいるのに二人だけの境に浸れるあの男女も凄いなとより一層感心した。感心している場合ではないのは百も承知だが、正直誰が誰と不純異性交遊しようがどうでもよかった。問題は場所である。
俺も二人にプレッシャーをかけようと本棚を物色していると、窓側、つまり俺の位置から本棚2つ分離れているところであぐらをかいていた生徒が、「ブラック、こっち」と、俺の名前を呼んできた。
振り向くとそこには、ミョウジがいた。左右の床に本を積んだ状態で、こっちへ来いと手招きしている。まさか知っている人間とは思わず、俺は彼女のひとまず言う通りに彼女のほうへ足を進ませた。途中睦言がはっきり聞こえたので、棚の向こうの二人の位置がおおよそ見当がついた。
ミョウジの目線の高さのにある棚はほぼ空になっていた。俺を見上げるミョウジの顔は楽しそうで、何か企んでいることがあるとすぐに分かった。あたりを警戒しながら片膝をつき、顔を見合わせた。

「何してるんだお前」
「隣。見た?」
「見たよ。見たくなかったけど」
「だよね。さっき引き返したのブラックだったんだ」
「何してるんだよお前は」
「脅かしてやろうと思って」

言っている意味が分からず3回目の説明を求めようと口を開く前に、ミョウジは顎をしゃくるようにして、目の前、中身の入っていない棚を指し示した。
見ろってことか、と聞くと、素早く頷いたので、俺は片膝をついたまま彼女の隣に移動した。

背板がないので向こうの本棚、通路、その奥の本棚まで筒抜けだった。
そして視線を少しずらすと、やはりさっきの男女がいた。しかし変化もあった。二人ともローブを床に脱ぎ捨て抱き着きあっていた。
おおよそ何が見えるか、誰が見えるか見当がついていたが、まさかここまでひどいものを目にするとは思ってもみなかった為、すぐに顔を逸らした。隣にいるミョウジに、よくも汚いもの見せてくれたな、と眉を潜めると、俺の分まで楽しそうに彼女は笑った。

「やばくない? さっきからずっとあの調子なの」
「何してるんだよ、お前は。本当に」
「大丈夫、まだキスどまり。おっぱじめようかってタイミングで仕掛けてやろうかと思って」
「本抜いて準備してたって?」
「そうそう」

ミョウジは顎を板の上に乗せ、向かいの本棚に収まっている本にぴったりと鼻の頭をくっつけて文字通り身を乗り出していた。多分向こうからこの本棚を見た人は怖いだろうな。あぐらをかいたままなので舞台裏はすごく滑稽だが。

棚の向こうを見る気は起きず、しばらくミョウジの様子やその近くの本を見ていると、唐突に彼女に肩を揺さぶられた。

「なに」
「見てて見てて、今からやる」

何を、とは思ったが、脅しの方法を知らないで見ていたほうが楽しめるかと思い先ほどと同じように向こうを見た。
俺個人の感想としては低俗で野蛮だが、渦中の二人は情熱的に愛し合っている真っ最中なのだろう。あんな二人を前に、ミョウジは何をしてやろうというのか。
隣の様子を確認するまでもなく、視界の端に杖の先端が映った。
ミョウジは杖を目の前の本の隙間にゆっくり差し込み、手首を捻って呪文の進行方向を二人に定めた。

「いくよ。…ウィンガーディアムレヴィオーサ」

言い終わるとほぼ同時に、彼らの頭上、足元にあった本が次々に本棚を離れ空中を浮遊した。
二人は気付いているようだが気に留める様子はなく、まだ体を抱き寄せたままである。
数10冊の本の傘が出来上がった頃、隣でミョウジが笑った気がした。

「オグパノ」

呪文は見事命中し、彼らを見守っていた本たちはその固い装丁を武器に愚かな人間二人を襲った。
きゃあ、うわあ、とようやく人の子は異常事態に気付き、頭を守りながら床に散らばったローブを手に取りバタバタとその場を後にした。
彼らの姿が見えなくなる頃、ようやくミョウジが「止め」と指揮者のように手首を回し、本はそのまま何事もなかったかのように静かに自分たちの住処に戻っていった。

「怒られるぞ」
「自分だって見てたでしょ。同罪よ。それに一番悪いのあの二人でしょ」
「そりゃそうだ」
「それに、あの本棚にある本全部処分するらしいから雑に扱っても誰に怒られるわけでもないでしょ」
「酷い理屈だな」
「止めなかったくせに」
「何するか言わなきゃ止めるもなにもないだろ」

言わなかったっけ、とミョウジは笑いながら、両隣に置いていた本を棚に戻していった。
俺もすぐ隣に置かれた本を手に取り、ゆっくりと棚に戻した。少しでも多くミョウジに片づけさせたかったからである。

「そういえばブラックはなんでここに?」
「借りたかった本があった。そしたらあの二人がいた」
「なるほどね。どうしても借りたかったの?」
「ああ。処分される前に」
「そう。真面目くんだね」

俺の思惑通り、ミョウジはハイペースで本を戻していった。結局俺が戻した本の総数は3冊ほどである。手伝わなくても良かったっぽい。

ミョウジは立ち上がるのも早く、片膝をついた俺を見下ろした。

「ほら、空いたよ。借りてきたら?」
「あんなの見せられて素直に行けると思うか?」
「なに。ブラックにはなにもしないよ」
「お前を疑ってるわけじゃないよ。気持ちの問題」

ゆっくり立ち上がり、ようやくいつもの定位置からミョウジを見ることができた。
女子の中では高身長らしいが、俺と目を合わせるときはまだ若干目線が上がっていた。

「自分はなんでここに?」
「たまたま。なにか面白いことないかなと思って普段来ないようなところに出向いてたら、本当に面白いことがあったって感じ」
「すごい豪運だな。羨ましい」
「ブラックはそういうのなさそうだよね。自分から偶然の出会いを求めないタイプでしょ」
「ご明察。でも今日はイレギュラーが多いよ。ここに来る前も着た後も。お前もいたし」
「わたしもイレギュラー扱いなんだ。まぁいいけど。それにしても気持ち悪かったね、あれ」
「気持ち悪いと思ってたんだ。良かった。面白がって興奮してるのかと思ったよ」
「そこまで落ちてないよ」

ミョウジはそう言うと、行こうか、とは口にしなかったが、表情がそう言っていたので、一緒に隣の通路の本棚へ向かった。

目当ての本はすぐに見つかった。一冊引っこ抜いて表紙を確認していると、隣で見ていたミョウジが「盗んじゃえば」と言った。
横目で精一杯の侮蔑の目を向けたが、彼女はカラッとしていた。

「処分ってことは捨てちゃうんでしょ。盗まれたって誰も気づかないし本も勝手に燃やされるより勝手に持ち出されたほうが良くない?」
「気持ちは分かるけど、学校所有の蔵書だ。持ち主は学校だ。俺が盗んでいい理由にはならないよ」
「つまんない男。もっと豪快になったらいいのに」
「あの二人みたいにか?」
「そうそう。もっとグロく生きたら?」

ミョウジはそう言うと俺の後ろを通り過ぎ、窓から外を眺めた。
彼女の後ろ姿と、手に持った本の表紙を見比べ、今しがた言われた言葉を頭の中で反芻し、とりあえず彼女のほうへ向かった。

「ねぇブラック。すごいよ外。きれいな夕方の空。今日は星もよく見えるんじゃない?」

さっきのやり取りはもう既に興味の外らしい。
グロテスクなんて言葉とは縁のなさそうな感性だと思った。

ミョウジの隣に立ち、俺も空を眺めた。オレンジと黄色と赤と灰色の雲があった。
視線を下げると、高いところが怖い人間なら目を背けたくなるような景色が広がっている。

グロテスクな生き方。
考えたこともなかった。

例えばこういうのはどうだろう。
この窓の扉を開けて、この縁に足をかけて、飛んでみるとか。
でもこれはグロテスクな生き方というよりただのグロテスクな死に方か。

一縷の望みをかけて今この場で誘ってみるのも面白そうだったが、そんなことをする意味もなければ目的も見えてこないので、俺は一言、「ロマンチックだな」と返事をした。


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