short | ナノ





これの昔話

「隊長就任おめでっとーう」
「あだッ...!?」

抑揚のない声と同時に足元への衝撃、ずるりと横に視界が揺れて受け身を取る間もなく床にすっ転げる。大成功と言わんばかりに「いえーい」と続いた、聞き慣れた声。自分にこんな真似をする奴は瀞霊廷広しと言えど一人、いや二人、いや学徒時代からの付き合いがある連中を含めればそれなりにいる気がする。しかしその中でも特に質の悪い奴、この声の持ち主は紛れもなくあの女である。

「何すんやこの阿呆!骨折れたらどうしてくれるっちゅうねん!」
「廊下で騒がないでくださーい」

硬い床の感触と打ち付けた腰がジンジン痛む。恨めしげに見上げた先の、鬼道衆の制服に身を包んだ女死神は得意気に鼻を鳴らした。垂れ目がちで柔らかな目元が印象的な笑顔が実に憎らしい。

昔からこうだ。何事も飽き性で、人と同じ事が嫌い。同じように十三隊に配属されると思っていたのに、卒業と共に何も言わずに姿を眩ませ、数年振りに顔を見せたと思えば鬼道衆では上から数えた方が早い序列にいた。「驚かせたくて」と、呆気からんに言って見せた顔に顔馴染み達揃って冗句の様にズッ転けたのは記憶に新しい。心配していた此方のことなど知りもしないで。

「似合ってるじゃない」
「あん?」
「羽織」

真新しい羽織は先日渡されたばかりのものだった。卒業して死に物狂いで戦って、やっと手に入れた卍解、そしてこの立場。嬉しいことに頭角を現し始めた同期達も次々と席官や隊長格へ昇格が決まっている。

差し出された手を掴むと、よいしょ、とオッサンくさい声で引っ張り上げられた。肉刺の多い荒れた掌はざらざらとしていて、短く切り揃えられた爪は何度も剥げて分厚く肉が盛り上がっていた。袖の袂から覗く腕には火傷の痕が見える。自分の手だって負けていない筈だが、自分よりも一回り小さなその手が掴もうと足掻くものは、きっと同じくらい大きい。

「お前が隊長なんて五番隊は大丈夫かな。副隊長の胃、穴あくんじゃないの」
「お前に言われたないねん、ハッチに迷惑かけんなや!」
「かけてませーん。私優秀なんで」
「カーッ!腹立つなホンマに!ちゅーか俺隊長やぞタイチョウ、敬えや!」
「鬼道衆は独立した指示系統で動いてるから十三隊隊長の命令に従う義務はないんですけど。新隊長はご存知ありませんでした?」
「マジか」
「マジでーす」

子供地味た茶番をぎゃあぎゃあ喚いても、結局可笑しくなって笑ってしまう。立ち上がる為に引いた、自分より小さくても、ずっと強かなその手を強く握り直す。「でも、」中々手を離さない俺に、悪戯げに笑っていた垂れ目が少しだけ開いた。

「でも、これでもう逃がさへんで」

ぱちりと擬音が付きそうな程に目が見開かれた。一拍。やんわりと破顔した。手が、ぎゅうと握り返されて、「これからも宜しくね」と言う。のらりくらりとしたこいつであってもこれは本心なのだろう、と確信できた。本当の意味が伝わったかは兎も角として、一先ずは神出鬼没で存外寂しがり屋な、愛すべき友人を捕まえておける立場まで来る事ができた。それを噛み締めていたいから、遠くで自分を探す新副隊長の声が聞こえたのはこの際だから無視したい。