10 壊れた逆転時計

リーマスの隣にいると、彼女はいつも眠たくなってしまう。どんなに寝心地のいいベッドも、子守唄も、リーマスには敵わない。
よく晴れた日の午後に見つけた、木陰にも似ている。
リーマスは、学生のころと変わらず、いつも優しく受け入れてくれる。葉を広げて、強すぎる日差しから、彼女を守ってくれる。背負っているものを、いまだけはすべて、降ろせる場所。

一昨日は、満月の夜だった。かき混ぜると角砂糖がゴリゴリと音を立てる紅茶を、平気で、むしろ好んで飲んでいるリーマスは、しおれてしまった花のようだった。目の下に、うっすらと隈までつくっている。
変身しても、薬で自我を保てるようになり、自分の身体を傷つけなくなっても、無防備に眠ることはできないらしかった。
ふいに、彼女は鼻の奥がむずかゆくなり、顔の前に手でやった。ひとつ、くしゃみが出た。
「大丈夫かい?」とリーマスが心配をする。
それはこっちのせりふじゃないか、と思いながら、「大丈夫」と答える彼女の声は、鼻声だった。

「こないだのクィディッチでなにがあったのか、わざわざ、マクゴナガル先生が話してくださったよ」
「怒ってる? リーマス」
「怒ってないよ」
「じゃあ、なぜ、笑っているの…」
「きみが危険を省みないからだろ」
「やっぱり怒ってるんだ」
「かもしれないね」
「でも、ダンブルドアが、すごく怒っていたし」
「最初の約束を破って、吸魂鬼がホグワーツの敷地内に現れたから」
「そう。マクゴナガル先生だって、すごくハリーの心配をしていたし」
「彼らが近くにきて、気を失うほどの者は、多くないからね」
「だから、私は……」

彼女の表情が曇る。だがすぐに、「まあ、もういいよ」とリーマスが言った。ため息をついている。

「スネイプに、もうずいぶんと怒られたようだしね」

あぁ、と彼女は、ハリーをつれて、地上に戻ってきたときのことを思い出した。ダンブルドアたちがすぐに駆け寄ってきて、気を失ったままだったハリーは担架に乗せられ、あっという間にマダム・ポンフリーに連れられていった。ハリーに付き添っていこうした、マクゴナガル先生は、まだ少し恐怖ですくんでいる様子だったが、 競技場を出る前に、彼女の肩に手を置いた。
「ふたりとも無事で、なによりです」
その直後だった。「もう二度と、観客席から飛び降りるな」とスネイプに約束させられたのは。
「はい」と答えなければ、つぎの瞬間には、怒鳴られるんじゃないか、と思うほど、鬼気迫るものがあった。
リーマスはその話を、愉快そうに聞いていた。

机の上のゴブレットには、一口サイズのチョコレートがいっぱいに入れられている。リーマスはそれをひとつ、手に取ると、包んである銀紙を丁寧な手つきで剥き、チョコレートを口に含んだ。机の上に親指を押しつけるようにして、くしゃくしゃの銀紙のしわを伸ばす。彼の昔ながらの癖を発見して、彼女は無性にうれしくなった。そうやって、しわを伸ばした銀紙を取っておいて、席を立つとき、まとめて捨てるのだ。
リーマスの前にある銀紙を見ていると、指先が急に寂しくなった彼女は、その銀紙を自分のほうに引き寄せた。対極する角を合わせて、折り畳む。三角形ができる。もう一度、折り合わせて、一回り小さい三角形ができる。
滑るように動く彼女の指先を、リーマスが懐かしそうに見ていた。

「きみがそうやって折り紙にしてしまうから、いつも捨てるのが忍びなかったっけ」
「また教えてあげる」
「私には才能がなかっただろう?」リーマスは苦笑いを浮かべた。

「ハリーは、大丈夫だろうか」
「医務室に泊まってる。でも、もうすぐ退院できるみたい」
「彼の箒は、暴れ柳にぶつかったんだってね。修復も無理らしい」

彼女の手が止まった。顔をあげ、リーマスを見る。
目が合うと彼は、「申し訳ないことをしてしまった」と言った。本気でそう言っているので、彼女は眉をひそめた。

「どうして」
「だってあれは、私の…」
「だから、どうしてリーマスが、そんな顔をするの」

自分でも思っていた以上に、険しい声だった。もっと言いたい気もした。
ハリーの箒は、たしかに残念だったが、リーマスはなにも悪くない。謝る必要も、そんな表情をする必要もない。
一瞬、黙ったリーマスが、「そうだね」と微笑んでしまったので、なにも言えなくなる。
彼女は無意識に、窓があるほうへ顔を逸らしていた。
空を見るのは、もうほとんど習慣のようなものだ。部屋と外の温度差で、窓硝子は白く曇っている。長く細く雨は、まだ降り続いていた。

「来月、きみに手伝ってもらいたいことがあるんだ」

リーマスが唐突に、話を変える。

「来月?」
「週末だけど、空けておいてくれるかな」
「わかった。でも、なにを手伝うの?」
「それは、当日の楽しみにしよう」

彼女は首を傾げた。

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