01 ホグワーツの迎え

ハリーは、警戒しつつも、大男の顔をもっとよく見ようと、顔をあげる。自然に背筋が伸びて、口が開いた。つまり、彼も知らないうちに、人生の転機をとても間抜けな顔で迎えていた。
それも仕方ないと言える。バーノンおじさんより身体の大きいひとを、いままで見たことがなかったし、そうそう見れるものじゃないと思っていた。思わず、自分の耳にかけた眼鏡の縁に触れている。
あまりの身体の大きさに、大男が持っているピンクの傘は成人用らしかったが、子供用にしか見えない。
牛も翔びそうな嵐のなかを、そんな傘ひとつで凌ぎ、ここまでやってきたのだろうか。なんでピンクなのだろう。なにを食べたら、それだけ大きくなれますか? 次々と疑問が浮かぶが、ハリーはいつもの癖で、質問を飲み込む。
ダーズリー家で、ハリーが質問するのはとくに禁じられていた。

大男の顔はぼうぼうの長い髪と、もじゃもじゃの荒々しいひげでほとんどが隠れている。でも、自分の腹の前に突っ立っているハリーを一目、見たとたん、黄金虫のような双眸がぱっと輝いた。
「おお!」とうれしげな声をあげたあと、「ハリーだ!」と再会を喜ぶように名前を呼ぶので、驚いた。驚き、訝しむ。どうして僕の名前を知ってるのだろう。どこかで会ったことがあっただろうか。
身体の大きさや風貌からいって、街ですれ違っただけでも、そうかんたんに忘れられない相手だ。ハリーは見知らぬ大男に戸惑いを浮かべた。
「俺のことは、ハグリッドと呼んでくれ」大男が名乗る。そして、じっと見つめたかと思うと、それは十一年かけてハリーに向けられてきた無数の視線のなかで、いちばん優しい眼差しをしていた。
「ハリーは、ジェームズにそっくりだ。でも、目だけはリリーに似たんだなぁ」
ハグリッドが言った。

いまは小屋の隅で両親の影にうずくまっているダドリーが、さっきまで寝床にしていたソファーに、ハグリッドは腰をかけた。みしみしと音を立てて、ソファーが深く沈み込む。例の傘の先を、小屋にひとつしかない暖炉へ向けた。今夜の雨ですっかり湿ってしまい、小一時間、バーノンおじさんが格闘したすえ、結局うんともすんとも言わなかった、古い暖炉だ。
次の瞬間、その場にいた誰もがあっという間もなく、暖炉に火が入っていた。
あちこち崩れかけの小屋が、揺らめく明かりで満たされる。
ハリーは目をぱちくりさせた。ハグリッドの傘の先から、火種が飛び出したようにも見えたのだ。

「ハグリッド」

巨体の影に隠れて知れなかった存在に、ハリーはその声で、はじめて気がついた。突然の訪問者はひとりではないらしい。
暖炉の炎が届かない壁ぎわに、幼げな顔つきをした、女の子が立っていた。顔をしかめている。言いたいことを、ハグリッドを見る目で語っているようだ。
「こんくらい、別にかまわんだろうが?」ハグリッドの口元はひげに埋もれているけれど、唇を尖らせたような、あきらかに不満げな口振りだ。
「かまわないよ」と彼女は落ち着き払った声を出す。「でも、せめて私も見てないときにしないと、告げ口してしまうよ」
「おまえさんはやさしいな」
ハグリッドがにやりと笑い、彼女は言い返す気もなさげに、ため息を吐いた。
なんの話をしているのかさっぱりわからなかったが、ハリーは、ハグリッドが皮肉を言ったんだと思った。彼女の無表情からはやさしさや思いやりを連想させる温もりが伝わってこず、むしろ人を受けつけない、冷え冷えとした空気が漂っていたからだ。足のサイズひとつさえ桁外れなハグリッドのほうが、よほど人らしくハリーに振る舞っているだろう。
突然現れた、ちぐはぐなふたり。
彼らこそ、ハリーが歓迎すべき相手だといずれ知る。
ハリーが生まれてから今夜までの十一年間を語るなら、「忍耐」と「諦め」と二言で済んでしまうようなものだ。それでも、いつかきっと、と夢をみていたころもあった。見知らぬ親戚が、いつかハリーを迎えに来るのだ。
だが、さすがにこの歳になると、自分にはダーズリー一家しか身寄りがないのだと、現実が知った気分でいた。

――その現実の、なんて脆く壊れやすいことだろう。

「ハリー、おまえは魔法使いだ」

なにを言われたのか、すぐには理解できなかった。「え」と聞き返すと、ハグリッドはハリーの反応を愉しんでいる様子だ。
「僕が、なんて言ったの?」
「魔法使いだよ、いま言ったとおり」

ハグリッドとハリーの会話を、彼女は、立ちながら壁に寄りかかって聞いていた。そしてその姿勢は常に崩れることがなかった。
ハグリッドが、ダーズリー一家がハリーに真実を語らず、嘘を吐き続けてきたことに声を荒げても、ハリーの両親が亡くなった“本当の理由”を涙を飲んで話してくれたときも、傍観し、眉ひとつ動かなかった。
彼女は、こんな豪風雨の夜でも、清潔そうな白のシャツブラウスを着ているだけで、汚れがひとつもない。見かけない顔は東洋人らしい顔立ちをしていて、黒い髪は首をあらわに、短めに整えられている。髪と同じ色の瞳の目は終始、眠たげで、時々、ダーズリー親子が小さくなっている一角を見ていた。

「おまえの父さん、母さんはな、俺の知っとる中でいちばん優れた魔法使いと魔女だったよ。在学中は、二人ともホグワーツの主席だった」

ハグリッドが誇らしげに声を高くした。ハリーは、さっき自分にも手渡された、ホグワーツからの手紙に、もう一度、目を通す。
《親愛なるポッター殿。このたびホグワーツ魔法魔術学校にめでたく入学を許可されましたこと、心よりお喜び申し上げます――》
「“あの人”が、なんでもっと前に二人を味方に引き入れようとしなかったのか、謎なくらいだ」
「“あの人”って?」
ハリーが質問しても、ハグリッドは怒鳴ったりしない。ただ、「名前を…」と言いかけて、「こりゃいかん。ハリーはその名前を知らん。俺たちの世界じゃ、みんな知っとるのに…」と困った。
ハリーは、自分でも意識のないうちに彼女のほうを見ていた。
暖炉の炎を見つめる面を被っているような横顔を、暖色の明かりが舐めるように照らしている。

「できれば、名前を口にしたくない。誰もがそうなんだ」
「どうしてなの?」
「いまだにみんな、恐れとるんだよ。とにかく、ある魔法使いがおってな、悪の道に走っちまったわけだ…その名前は」

ハグリッドは息を詰めた、が、いつまでも言葉にならないので、焦れったくなったのか、そこではじめて彼女が口を挟んだ。
「ヴォルデモート」と呆れたように綴りを発音する。臆する様子もなかった。
「っそうだ」ハグリッドが、詰めてた息を一気に吐いた。「事の起こりは、その、“例のあの人”からなんだ」
口にするのもいやなら、耳にするのもいやなのか、ハグリッドはその名前に身震いしていた。

「いい加減にしてくれ」

ハリーは飛び上がった。小屋にダーズリー一家もいることを、すっかり忘れていたのだ。
バーノンおじさんが歯の隙間から奇妙な擦れ声を発した。
「ハリーはストーンウォール校に行くんだ。確かにこいつには少々おかしなところがあるが、みっちり叩きなおせば治る」
「コチコチのマグルめ」ハグリッドも唾を吐くように言う。
誇らしさからなのか、威嚇のためなのか、胸を張った。大きな身体がさらに膨らみ、バーノンおじさんが萎縮するのがハリーにはわかった。

「ハリーの名前は生まれたときから、入学名簿に載っとるんだ。世界一の魔法使いと魔女の名門校に入るんだ。七年も経てば、見違えるようになる。これまでと違い、同じ仲間の子供たちと共に過ごすんだ」

ハグリッドの言葉を横で聞いているあいだ、ハリーは自分がどきどきしているのを感じた。身体がふわふわする心地を味わった。
これが夢でありませんように、と手当たり次第、あらゆる神様に祈りたくもなった。
「しかも」とハグリッドがさらに続ける。
「ホグワーツの歴代の校長のなかでもっとも偉大な、アルバス・ダンブルドア校長のもとでな」
「変人のまぬけじじいが小僧に魔法を教えるのに、わしは金なんか払わんぞ!」
ほぼ、同時だった。バーノンおじさんが声を荒げるやいなや、贅肉だらけの身体が宙を浮きながら、引っ張られるように奥の壁に叩きつけられていた。
ハグリッドが傘を突き出すのも、ペチュニアおばさんが悲鳴をあげるのも間に合わないくらい一瞬のことだった。その衝撃で、ぼろ小屋は揺れ、天井から砂や埃が降ってくる。
傍観者を決めていた彼女が、おじさんに向かって片腕を伸ばす格好をしていた。
指一本、触れるどころか、一歩も動いていないのに、彼女の手のひらから発せられる見えない力が、腕の先にいるおじさんの胸ぐらを掴み、決して軽くはない身体を床から持ち上げているようだ。
おじさんは溺れたひとみたいに床を探して足をばたつかせた。

「口の聞きかたに、気をつけてください」

氷のような声が、水滴のようにぽつんと落ちる。指の強ばりをほどき、彼女が腕を下げると、糸が切れたかのようにおじさんはその場に崩れて、尻をついた。さっきまで自分の首を締め上げたなにかを探すように、真っ赤な顔で胸元をむしっている。
この人は怒らせちゃだめだ。
ハリーは、人の首を締めるのに、顔色ひとつ変えない彼女を見て、肝に銘じておこうと思った。

「いまのは」出しかけたピンクの傘をコートのポケットにしまいながら、ハグリッドが言った。
「やりすぎじゃねえか?」
そう言うわりに、口調はにやにやしている。
「リハビリだよ」彼女はにこりともしない。
奥の部屋へ逃げ込むダーズリー一家に一瞥もくれず、自分の左手首を右手で包んでさすっていた。

まだ一度も、彼女と目が合わないことにハリーは気づかない。

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