19 閉心術

“閉心術”を学び始めるまでは、額の傷がちくちく痛むとはいえ時々だし、たいていは夜だった。あるいは、ヴォルデモートの考えていることや気分が時折、パッと閃くという奇妙な経験のあとは、必ずといっていいほど痛みが伴った。
ところが最近は、ほとんど絶え間なく痛み、ハリーの身に起こっていることとは無関係に感情が揺れ動き、情緒まで振り回されている。そういうときの傷痕には、とくに激痛が走り、痛みの強弱はもしかしたら、ヴォルデモートのちょっとした気分の揺れに波長を合わせているからではないかとさえ思えてくる。
こんなに感覚が鋭くなったのは、スネイプとの最初の“閉心術”の授業からなのは間違いない。
そのことをロンとハーマイオニーに打ち明けたとき、ロンの言ったことがハリーは忘れられないでいた。

「もしかしたら、あいつ、本当はハリーの心をもう少し開こうとしてるんじゃないかな。そのほうが好都合だろ、“例のあの人”にとって……」
「やめてよ、ロン」ハーマイオニーが怒った。「何度スネイプを疑えば気が済むの? それが一度でも正しかったことがある? ダンブルドアはスネイプを信じていらっしゃるし、スネイプは騎士団のために働いているのよ。それで十分なはずよ」
「あいつ、死喰い人だったんだぜ」ロンが言い張った。「それに、本当にこっちの味方になったっていう証拠を見たことがないじゃないか」
「ダンブルドアが信用しています」ハーマイオニーは頑なに言った。「それに、ダンブルドアを信じられないなら、私たち、だれも信じられないわ」  

スネイプの研究室で、ハリーはまたしても床に膝をつき、なんとか頭をすっきりさせようとしていた。自分でも忘れていたような小さい時分の一連の記憶を、無理やり呼び覚まされた直後だった。だいたいは、小学校のとき、ダドリー軍団にいじめられた屈辱的な記憶だ。

「あの最後の記憶は」スネイプが言った。「あれは何だ?」
「わかりません」ぐったりして立ち上がりながら、ハリーが答えた。スネイプが次々に呼び出す映像と音の奔流から、記憶をばらばらに解きほぐすのがますます難しくなっている。
「いとこが僕を、トイレに立たせた記憶のことですか?」
「いや」スネイプが静かに言った。「男が暗い部屋の真ん中に跪いている記憶のことだ」  
「それは……なんでもありません」

跪いていたのはオーガスタス・ルックウッド。先日、アズカバンから脱獄した、死喰い人のひとりだ。スネイプが見たのは、ハリーが二週間前にみた夢の残像だとすぐにわかった。眠りにつくと、“神秘部”の入口に続く廊下を歩き、扉の前でなにかを渇望しながら立ち尽くす夢が毎晩のようになっているので、それとはちがう夢のことはよく覚えている。むしろ、あの夢の中でハリー自身がヴォルデモートになって死喰い人を仕えさせていたのだから、あの恐怖を忘れるほうが無理な話だ。
夢をみた限りでは、神秘部からヴォルデモートが求めている武器を取り出す、正しい方法を、ルックウッドは知っているようだった。

「あの男と、あの部屋が、どうしてきみの頭に入ってきたのだ、ポッター」スネイプがしつこく追及してくる。
“開心術”には、目と目を合わせることが肝要だとスネイプが言ったことを思い出し、ハリーは瞬きして目を逸らせた。
「それは、ただの夢だったんです」
「夢?」スネイプは聞き返してくる。
暗い研究室に沈黙が流れるあいだ、ハリーは紫色の液体が入った容器の中でぷかぷか浮いている、死んだカエルだけを見つめた。

「きみがなぜここにいるのか、わかっているのだろうな?」

スネイプは低い、険悪な声を出した。「我輩が、なぜこんな退屈極まりない仕事のために夜の時間を割いているのか、わかっているのだろうな?」
「はい」ハリーは表面では従順に返事しながら、そんなに時間が惜しいなら、もっと具体的な対抗策を教えてくれればいいのに、と苛立った。スネイプはハリーに休憩も与えず、“開心術”を繰り返し、ハリーの心を掻き乱すばかりで、指導しないくせに、ハリーに進歩がないと罵る。

「きみの頭の中を見せられる、我輩の気持ちにもなりたまえ。幼稚な不平不満と肥えすぎた自尊心を恥とも思わず、自己憐憫にまみれていて、気分が悪くなる」
「僕はそんなふうに自分を思っていません」

スネイプは黙り、こちらを見定めるような目で見ていた。次の展開が直感でわかった。
スネイプは、僕を挑発し、試すつもりだ。きっといま、ハリーを言葉で痛めつけるような、この上ない嫌味を考えているはずだ。

「この期に及んで、この特訓の指導者が我輩ではなく、彼女だったらと考えているな」

「考えてません」ハリーは心を無にして答えた。“開心術”でスネイプになにを見られたのか、検証しようとする焦りを消し去る。
「未練がましいぞ、ポッター。己の未熟さを彼女のせいにするとは」スネイプはすらすらと嫌味を続ける。「きみが孤独に傷つき、怒りを抑えられないのは、彼女がそばにいてくれないせいかね? 母親のように慕っている彼女なら、“闇の帝王”の脅威が目の前に迫ってなお、赤ん坊のようになにもできない自分を再び守ってくれるとでも?」
「思ってません」
ハリーの耳鳴りが徐々にひどくなっていく。火にかけすぎたヤカンが、狂ったかのようにピーピーと湯気を吐き出す音に似ている。
「母親を知らぬからといって、同級生の彼女にその役割を求めるなど、あまりにも浅はかではないか。彼女はきみの母親を知っているかもしれんが、きみの母親ではない。命懸けで守ってもらおうなどと思わぬことだ」
「彼女に守ってもらおうなんて、僕は思ってない!」

自分の怒鳴り声と共に、耳の端でなにかが割れる音を聞いた。ハリーの意思を介さず、スネイプの部屋の壁を覆う棚で、容器の一つが割れたのだ。水薬が漏れ出し、ホルマリン漬けのヌルヌルしたものが渦巻いている。
スネイプは驚きもせず、冷静に呪文を唱えると、容器の割れ目がひとりでに閉じた。

「グリフィンドール生というのは、脳みそまで筋肉に侵されているのかね?」

肩で息をするのに必死で、ハリーが答えないでいると、スネイプが杖を構えた。
「その反抗心を頭の中で発揮したまえ。侵入しようとする相手を押し返すのだ。そうすれば杖に頼る必要もなくなる」
スネイプの目が怪しく光った。「さあ、準備はいいか。もう一度やる」

ハリーは歯を食いしばり、指は杖を固く握り締めた。これ以上、スネイプに記憶を暴かれたくないが、心の守り方がわからない。どんなに掻き消そうとしても、スネイプが彼女のことを口にしたぶん、心のどこかがごちゃごちゃの感情のまま彼女を想ってしまう。
呪文を唱えるため、スネイプが唸るように口を開く。そのとき、どこか部屋の外で、女性の悲鳴がした。

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