19 閉心術

どこかふたりの頭上で、また女性の悲鳴が聞こえた。スネイプは杖を構えたまま、つかつかと研究室のドアに向かい、素早く出て行く。ハリーは一瞬、戸惑ったが、あとに続いた。
石段を駆け上がると、悲鳴はやはり、玄関ホールからだった。そこは超満員で、夕食の途中だった生徒が溢れ出し、ほかの生徒は、大理石の階段に鈴なりになっている。ショックを受けたような顔や、または恐怖の表情さえ浮かべている生徒たちを掻き分け、ハリーはなんとか前の列にまで出た。
見物人が描く、大きな円の真ん中に立っていたのは、彼女だった。彼女の背中に隠れるようにして、トレローニー先生も一緒にいるが、明らかに様子がおかしい。髪は逆立ち、眼鏡がずれ落ちて片目だけが不揃いに拡大され、何枚ものショールやスカーフが肩から勝手な方向に垂れ下がっている。先生はほとんど崩壊しかけながらも、彼女を盾のようにして、シャツブラウスにしがみついていた。そばには、大きなトランクがふたつ、階段から投げ捨てられみたいに落ちている。
「いやよ!」トレローニー先生が、聞いたことがない甲高い声で叫んだ。身を竦ませ、怯えた表情を覗かせながら、階段下に立っているアンブリッジを見つめていた。
「いやです! こんなことが起こるはずが、こんなことが、あたくし、受け入れませんわ!」
「あなた、こういう事態になるという認識がなかったの?」少女っぽい高い声が、平気でおもしろがっているような言い方をした。

「明日の天気さえ予測できない無能力なあなたでも、わたくしが査察していた間の嘆かわしい授業ぶりや進歩のなさからして、解雇が避けられないことくらいは、確実におわかりになったのではないこと?」

「こんなことまでする必要はないでしょう、アンブリッジ先生」アンブリッジを哀れなものを見るような目で見ていた彼女が、口を開いた。トレローニー先生の涙で背中が濡れ、着衣がしわになろうと、落ち着き払っている。
「トレローニー先生は、十六年もホグワーツで教えているんです。ホグワーツは、ただの学校や職場ではなく、先生の家なんです」
「家“だった”のよ」アンブリッジが突き放すように言う。トレローニー先生が身も世もなく泣きじゃくり、トランクのひとつに座り込むのを見つめるガマガエル顔に、楽しそうな表情が広がるのを見て、ハリーは石を投げつけたくなるほどの不快感が込み上げてくる。

「これは然るべき処置なのよ。一時間前に、魔法大臣が“解雇辞令”に署名なさったの。トレローニー先生の泣き喚く姿に同情するくらいなら、これ以上、恥を晒さないよう、先生のためにも早く追い出しておやりなさい」
「嫌です」彼女は、はっきりと発言した。
重い瞼の下から、アンブリッジの目が彼女をじっと見つめている。まるで最終確認を行うような慎重な口調で、「つまり、わたくしに逆らうということかしら?」と訊いた。
「はい」彼女の返答な簡潔だ。余計なことは一切、言わないつもりらしい。
しばらく睨み合うか、アンブリッジが捲し立てるかすると思われたが、「わかったわ」とアンブリッジは、いとも容易く了承した。そしてすぐに、「あなたのことも、解雇しなくてはならないようね」と続けた。「わたくしの助手として成長を見せれば今後、再利用することも考えたけれど、無駄だったみたいね。これは、あなたにとって非常に残念な結果よ」
話の途中でもう、彼女はアンブリッジに背中を向けていた。トレローニー先生を気遣うようにひざまずき、「どこか行ってみたい場所とかありますか?」と旅行にでも誘うような口調で声をかけている。
それを聞いたアンブリッジのガマガエルのような口が横に広がり、次には、溌溂とした邪悪な声が玄関ホールに響いた。

「あら、あなたの行き先はアズカバンと決まっているのよ」

ただでさえ静まり返っていた玄関ホールが、廃墟みたいにしんとして、一気に騒めき立った。なんて頓珍漢なことを言うのだろう、とハリーは半ば呆れた。彼女がホグワーツからいなくなるなんて、本気で信じられなかったし、アンブリッジに逆らっただけでアズカバン送りなら、僕もとっくに牢の中だ。
彼女が立ち上がり、アンブリッジに向き直ると、周囲のひそひそ声がぴたりと止んだ。

「アズカバン?」
「身に覚えがないとは言わせませんよ。あなた、過去に“許されざる呪文”で、自分の母親を死に追いやったでしょう?」

氷を張ったような静寂の中、見物人がアンブリッジの話に耳を傾けている。続きをせがむかのように、だれも話さない。

「“許されざる呪文”のうち、自分がなにをしたのか、それは覚えている?」

変化のない表情のまま、アンブリッジをじっと眺めていた彼女が、やがて質問に答えた。

「“死の呪文”です」
「魔法省が、“許されざる呪文”の使用を禁止しているのは、知っているわよね? よほどひどい母親だったのかしら? 殺したいほど憎んでいたの?」

アンブリッジはそこで唐突に、太く短い人差し指を立てて、「聞こえる?」と囁いた。耳に注目を集めようとしているが、本人のほかに、話している者などだれもいない。だれも衝撃を受け止めきれずにいるのだ。トレローニー先生まで泣くのをやめて、愕然とした表情で彼女の後ろ姿を見上げている。

「罪悪感が波のように打ち寄せてくる音よ。何度も何度も打ち倒されて、立ち上がっても、次の波がやってくる。その繰り返し。法で裁かれない限り、あなたはいつか溺れてしまうわ」
アンブリッジは一呼吸を置いた。「これはいい機会だと思わない? 逃れ続けてきた罪を償う、チャンスだわ」

ハリーのまわりで、見物人の話し声が戻ってきつつあったが、ハリーには、自分の内側で巻き起こっている感情の揺さぶりに耐えるのに精一杯で、不明瞭な囁き声でできた渦の中に立っているような気分だった。
ヴォルデモートがハリーの両親や、セドリックを殺した呪文で、彼女は自分の母親を殺した。
アンブリッジの告発は、つまりそう告げていることになる。

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