17 ハグリッドの秘密

ハグリッドはきょうも留守のようだ。扉に鍵がかかっていなかったので、彼女は森と獣の匂いがする小屋へ足を踏み入れた。元々、片付いているとは言えない室内だったが、久しぶりに来ると、以前より物が散乱しているような気がする。クリスマス休暇を終えて、“魔法生物飼育学”の授業はいまや毎回、クリップボードを構えたアンブリッジ先生が立ち合うようになっており、ハグリッドも神経が参っているのだろう。
トレローニー先生もだ。こないだも廊下で先生とすれ違うことがあったが、北塔の自室から出てくるだけでも驚きなのに、料理用のシェリー酒の強烈な匂いをぷんぷんさせ、怖気づいた目でちらちらと後ろを振り返り、手を揉みしだきながら、聞き取れないことをブツブツ呟いていた。ふたりとも、目に見えて心身をすり減らしているのは、アンブリッジ先生から停職候補になったと宣告されたせいであるのは明らかだ。
ハグリッドお手製の、自分用の大きめな椅子に腰をかける。同じ材木のテーブルには、飲み物を零した跡があり、そのうちのどれかは、ハグリッドとの晩酌時に彼女が零したものである。そんな穏やかな夜を過ごしていたのが遠い昔のように感じる。
下を見ると、立て付けが悪くなっているのか、テーブルの脚の一本に、古い予言者新聞が高さを調整するように折り込まれ、噛ませてあった。毎朝、その日の新聞をアンブリッジ先生に届けるのは今学期からはじまった彼女の仕事のひとつだが、その予言者新聞は、約一ヶ月前、先生が一目見て悲鳴をあげた日のそれだった。

カーテンを開くと、空は曇っているが、一面の積雪が照り返す光は目に痛い。部屋のほうを振り返る。アンブリッジ先生の私室は、執務室とほとんど同じ、壁も家具もピンクが基調になっており、フリルやレースの飾りでごてごてしている。小さな女の子が夢見る、お姫様のお城のような内装だ。

「おはようございます、アンブリッジ先生」

もぞもぞと動きだしたベッドの膨らみを横目に、彼女は暖炉に火を入れた。洋服箪笥には昨夜、彼女が支度したアンブリッジ先生の洋服がかかっている。毎晩、磨くように言われている指輪も用意してある。彼女の親指でも大きすぎるサイズばかりだ。指は十本しかないが、先生の大きなジュエリーボックスにはそれ以上の指輪が収められている。
アイマスクを外して朝の光に目を慣らしているアンブリッジ先生に、眼鏡と一緒に予言者新聞を手渡すと、侍女のように立ち回る彼女に概ね満足しているらしい笑みを見せた。

「今日の授業の準備はできてる?」

といっても、授業自体は教科書を読み進めていくだけである。アンブリッジ先生の場合、しもべ妖精のように執務室の清掃を済ませたか、お茶の葉を補充したか、先生の身の回りのことは万全か、訊いているのだ。

「はい」
「各学年の授業計画は立てた? 休暇の間にできたわよね?」
「執務室に用意しています」

アンブリッジ先生には、高等尋問官の仕事がある。そちらの仕事に集中したいためか、通常業務、つまり授業の段取り等はいつの間にか彼女の仕事になっていた。空いた時間で、アンブリッジ先生はファッジ大臣と緻密な情報交換をしているようだ。
自分が好ましいと思っている場所や人物に対して、明らかな敵意を持っている者が常に間近にいるという状況はなかなか堪えるうえ、歯痒かった。闇祓いだったときは、戦場でそんな怒りや悲しみを身体を使って発散できた。思う存分、反発できた。それができない。この魔法省とホグワーツの攻防戦の武器は杖ではなく、政治のひとつだからだろう。
アンブリッジ先生とは何度か対話を試みたことがある。生徒への体罰に気づき、抗議したときも、しかしまったく話が通じず、徒労に終わるばかりで、自分の努力が足りないのかとも思ったが、そうではない、「話せばわかる」という通説が嘘だっただけだ。井戸の中でひとつの世界を信じている蛙には、井戸の外にいる人間の声など届きはしない。井戸の外にほかの人間がいるということ自体、蛙には信じられないのだ。
そう気づいたとたん、彼女はアンブリッジ先生がすることに、なにも言わなくなった。アンブリッジ先生は、口を出さず従順になったのは彼女の“成長”だと喜び、機嫌がいい。

「いいわ、いい子ね。あと、“占い学”と“魔法生物飼育学”の授業日程も今日中にまとめておいてちょうだい」

そう言いつけて新聞を広げると、アンブリッジ先生は悲鳴をあげた。思わず新聞を握り潰している。眼鏡を鼻の上に押しつけ、「どういうことなの、これは」と頭を突っ込むと、食い入るように一面を読み始めた。

《アズカバンから集団脱獄、魔法省の危惧》見出しはさらにこう続く。《かつての死喰い人、ブラックを旗頭に結集か?》

脱獄したのは全部で十人。魔法使い九人と、十人目は魔女だ。一面には、十枚の白黒写真がべったりと載っており、何人かは黙って嘲り笑いを浮かべ、他は傲慢な表情で、写真の枠を指で叩いている。一枚一枚に、名前とアズカバン送りになった罪名が書いてあった。
「吸魂鬼!」アンブリッジ先生が上擦った声をあげた。怒りと動揺で拳が震え、新聞が擦れ合う音を立てている。「吸魂鬼はなにをしているの!」
「吸魂鬼に忠誠心はありません」

自分に向かって訊ねられたわけではないだろうが、「彼らの餌である人間を提供してくれる相手に、従うだけですから」と彼女は言った。
アンブリッジ先生の厚い瞼の下から、血走った目がぎょろりと彼女を見た。

「魔法省よりもっと多くの餌や自由を約束する相手が現れたのでは」
「なにを言っているの? シリウス・ブラックがその相手だとでもいうの?」アンブリッジ先生が鼻で笑う。「二年前、たしかにブラックは歴史上初めて、アズカバンから脱獄したわ。だけど、魔法省と吸魂鬼は何十年も前に盟約を結んだのよ。その盟約を破るなんて、よほど強い……」

アンブリッジ先生はそこで、口をあんぐりと開けたまま、動かなくなった。
古い盟約を破るなど、吸魂鬼も認めるよほど強い魔法使いでないと不可能である。さらに言えば、人間の生気や魂を好む吸魂鬼が、魔法族だけでなく、マグルだろうと無差別に襲っても気にしない、むしろこの世界が混乱に陥ることを望んでいる人物を、アンブリッジ先生も想像してしまったのだろう。
一瞬でも、井戸の外に“例のあの人”の影を感じとってしまった自分を、アンブリッジ先生は見られたくなかったはずだ。事態は最悪だが、その顔を見られたことだけは、彼女にとって胸がすくようだった。
脱獄囚の話は瞬く間に学校中に浸透し、あらゆる噂が飛び交い、ホグワーツの生活を何から何まで自分の統制下に置かなければ気が済まないアンブリッジ先生は、新たな教育令を出して噂話を制御しようとしたが、人の口に戸を立てられぬというし、難しいだろう。

テーブルの脚の下から、新聞を引き抜く。少し破れてしまったが、皺を伸ばし、開くと、彼女の目は、とくにただ一人の魔女に引きつけられた。写真のベラトリックス・レストレンジは、長い黒髪に櫛も入れず、ばらばらに広がっていたが、彼女はそれが滑らかで、ふさふさと輝いているのを見たことがある。写真の下には、「フランクならびにアリス・ロングボトムを拷問し、廃人にした罪」と書かれている。
残忍な上に好戦的で、戦場で闇祓いと鉢合わせると、必ず選んで彼女に杖を向けてきた死喰い人だった。写真を見る限り、人を軽蔑したような尊大な笑みは変わらないようだが、当時は、その瞳の奥に、どういうわけか、彼女に対する並外れた執念深さを感じたものだ。
素晴しく整っていた昔の美しさがほとんど奪い去られた姿は、吸魂鬼が囚人に与える絶望と狂気の凄まじさを物語っていた。

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