17 ハグリッドの秘密

ハグリッドは鼻っ柱を真一文字に横切る傷を庇いながら、小屋に戻ると、中で彼女が新聞を読んでいた。「ぎゃっ」と声をあげてしまい、尻餅をつきそうになる。「なに?」と彼女まで驚く。その隙に、飼い犬のファングはハグリッドの脇を通り抜けて、自分の寝床のまわりを何周かすると、早々に潜り込んだ。
「お、おめえさん、ひとりか?」恐る恐る訊ね、広くはない小屋の中を素早く確認し、ハグリッドは窓にかじりついた。二月になり、雪が溶け、風が爽やか日が増えたとはいえ、きょうは冷える。ハグリッドが留守の間に彼女が入れたのであろう、暖炉の火で曇っている窓を、手で拭う。勢い余ってガラスにヒビが入った。
「あの女は一緒じゃねえのか?」
「アンブリッジ先生? 私しかいないよ」
それを聞いても、小屋の外に派手なピンク色の影がいないことを自分の目で見届けて、ようやく胸のそわそわが落ち着いた。

「びっくりするだろうが、急に」
「こっちのほうが驚いたよ」彼女が指を鳴らすと、窓ガラスのヒビが消えた。
「なんだ、きょうはどうしたんだ」

ハグリッドは警戒を怠らなかった。同時に、全身が大雨で濡れそぼったような無力感に襲われ、悲痛に耐えながら、「俺の停職が決まったのか?」と答えを聞きたくもないのに、処刑するなら早くしてくれ、という気持ちで訊いた。
「だから、ちがうって」彼女は悲しげに言った。「きょうは、そんな話をしにきたんじゃないよ。ハグリッドに会いにきただけだよ。アンブリッジ先生は関係ない」
「あー、そうか……」ハグリッドはようやく彼女を信じる気になり、少し申し訳なく思った。それに、己の情けなさにも落ち込んだ。授業中も、アンブリッジが自分を見ていると思うと焦燥感に襲われ、アンブリッジのペンを持った手がクリップボードの上で動いていると、なにを書いているのか気になってしまい、自分の話の筋道がわからなくなることもしょっちゅうなのだ。どんなミスも見逃さないアンブリッジにハグリッドは自分自身を見失い、完全に萎縮していた。

「あの女とおめえさんは、授業のとき以外、いつも一緒にいるから、俺はてっきり……」
「久しぶりでしょう、私たち」
「ああ、まあ、そうだな」
「お互い、色々と忙しいみたいだね」

ハグリッドは、小屋の隅の樽に溜めていた雨水で顔を洗おうとしていた。気持ちを切り替えようとしたのもあるが、手をつけた水の冷たさが頭を冴え渡らせた。自分の顔に傷や血がついていることを思い出したのだ。

「ハグリッド、いまどこに行ってたの?」

背後から聞こえてくる彼女の声は相変わらず物腰柔らかいのにもかかわらず、ハグリッドをじっと見定めているような視線を感じる。
「その傷はどうしたの? 巨人のところから帰ってきてから、ずっと怪我してるよね」
「あー、これな」ハグリッドは彼女に背中を向けていてよかった、と思った。嘘をついている顔を見られずに済む。
「いつものやつだよ、授業の準備でな、瘤やら傷やら」ハグリッドは自分でも気づかぬうちに、早口になっている。「おめえさんも知っちょるだろ。俺の仕事は荒っぽいんだ。火トカゲが数匹、鱗が腐っちまったし」
「こっちを見て、ハグリッド」
「お、おう、ちょっと待っちょれ」

床を水浸しにしながら顔を洗い、適当な手拭いで拭きながら、それは掃除用の雑巾だったのだが、絶対に嘘を突き通すぞ、彼女が相手でも落ち着けばやり過ごせるはずだ、と弱気になって逃げ出しそうになる心に言い聞かせ、いざ振り向いた。
ハグリッドの中にいる、勇気という名の兵隊を総動員させても、彼女のまっすぐな目を見ると、兵隊たちが一斉に武装解除するようだった。俺はこんなに意気地がなかったかのか、と動揺してしまい、ハグリッドの秘密に迫ろうとしている彼女の存在を拒むように視線があちこちに逃げた。

「俺は、“閉心術”ができねえんだ」
「“開心術”を使わなくても、ハグリッドが嘘をついているのはわかるよ」彼女が苦笑を溢すことで、小屋の中に張り詰めていた緊張がいくらかほぐれた。
「どんな隠し事をしているのか知らないけれど、ハグリッドは停職候補なんだよ。それはアンブリッジ先生にも隠し通せるの?」
「その、なんだ、俺もできる限りのことはしちょるんだが……」
「私にできることはある?」

根掘り葉掘り訊かれると身構えていたところに、優しい声で手を差し出すようなことを、ハグリッドは言ってほしくなかった。涙腺に刺すような痛みが走り、心が弱っているせいか、あっという間に涙が溢れ、傷に沁みて、ひげに滴り落ちた。
突然涙を流し出すハグリッドに彼女は困惑したが、すかさず立ち上がり、自分が座っていた場所にハグリッドを座らせてくれた。
「俺は、俺はずっとはみ出し者だったんだ」嗚咽に邪魔されながらも、ハグリッドは目に先ほどの布切れを押し当てたまま、喋るのをやめなかった。「親もいねえし、違うもんだろ、ちゃんとした家族がいるっちゅうことは。俺の父ちゃんはちゃんとしとった。親が生きとったら、人生は違ったもんになっとった。だろ?」
どこまで聞き取れたのか、わからないが、「そうだね」と彼女が相槌を打つ。
「家族なんだ」ハグリッドは暗い声で言った。「なんちゅうても、血ってもんは大切なんだ。なあ、教えてくれねえか? なんでおめえさんは、家に帰らねえ。家族が待ってんのに、やっぱり一緒にいるべきでねえのか」
「ハグリッド、私は」
「おめえさんはずっと寂しそうにしてる。いまだけのことじゃねえ、ちいせえときからずっとだ。おめえさんに必要なのは家族だ。おめえさんのおばあさまだよ、ちげえか?」
「そうだよ、ハグリッドの言うとおりだよ」と彼女に言ってほしかった。そうすれば、仲間にいじめられていた異父兄弟の弟を、ハグリッドとちがって“純粋な巨人”を新学期に二ヶ月も遅れながらつれて帰ってきたことも、禁じられた森奥深くグロウプに会いにいくたびに傷を負うことも、彼をひとりぼっちにしないために教育を与えて交流をもとうという無謀な試みにも意味がある、と思える。だれにも打ち明けられず、あらゆる危険を犯しているが、それ以上に、グロウプには家族の支えが必要なのだ、と信じたかった。
ハグリッドの手に、彼女の手が滑り込んで、極太のソーセージくらいあるハグリッドの薬指をきゅっと握ると、手を退かされた。

「私はここで、やらなくちゃいけないことがあると思うからいるんだよ」
「でも、おめえさんのおばあさまは……」
「ハグリッドもそうでしょう? こんなときだからこそ、ダンブルドアの役に立たなきゃ」噛んで含めるように言って聞かせた。

最初に感じたのは、冷たい空気だった。せっかく暖まった室内を風とともに散らし、ずっと静かだったファングが顔をあげ、苦情を言うようにバウバウと吠えた。つぎに聞こえてきたのは、夢をみているような喋り方をする声だった。

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