15 夜明け前のクリスマス

ハリーは疲れ果て、どうしようもなく混乱していた。食事の時間になるたびに、ウィーズリーおばさんのハリーを呼ぶ優しい声を聞かなくて済むように、グリモールド・プレイスの最上階、バッグビーグの部屋に逃げてきたところだ。部屋の主は、ハリーの来訪を許したきり、ネズミの骨から食べ残しを啄ばむことに夢中になっている。
ハリーは壁に寄りかかり、楽な姿勢を探した。藁にまみれた、汚れた毛布が床に落ちている。夏休み、今のハリーのように引きこもっていたシリウスが、使っていたものだろう。毛布を引き寄せ、頭の上から被ると、平穏はこの毛布の中で守られているような気分になり、少しだけ緊張が解けた。
しばらくじっとしていようと思ったが、我慢できず、自分の後頭部に手をやってみる。僕がヴォルデモートに取り憑かれているとしたら、クィレルのようにここからやつの顔が飛び出してくるかもしれない。あんな醜い姿に自分もなるのなら、いっそ死にたいと思った。
膝をぐっと引き寄せ、抱え込む。その脚や腕が本当に自分のものなのか、確かめるようにさすっていると、しばらくして、藁敷きの床を踏む音がした。扉を叩いたり、開く音はしなかったのに、変だな、と思ったが、眠っていて気づかなかったのかもしれない。眠った記憶はないが、ウィーズリーおじさんの見舞いに行って、帰ってきてからずっと、必死に寝まいとしてきたので、気づかないうちに寝落ちしていた可能性はある。頭が上手く働かず、指一本動かすのも億劫だった。
足音がゆっくり近づいてきて、ハリーのすぐ隣に腰を下ろすと、毛布越しに触れる肩が離れなかった。
「……きみなの?」ハリーは、折り曲げた自分の膝の上に組んだ腕に額を乗せたまま、声を発した。声は少し掠れていた。
「ここ、すごく寒いね」彼女が優しく声をかけてくる。「ウィーズリーおばさんが、ハリーがなにも食べないからすごく心配してるよ」
「お腹減ってない」
「嘘はよくないね」
「僕のせいでウィーズリーおじさんが死にかけたのに、どんな顔でおばさんと会えっていうの?」
「だれも、ハリーのせいだなんて思ってないよ」
「ヴォルデモートの武器って、僕のことなんだろ? あいつに操られて、僕が、ウィーズリーおじさんを傷つけた」
「ハリーはだれも傷つけたりしてない」
「みんな、僕を恐れてるじゃないか。ダンブルドアが僕になにも話さないのは? 僕を通して、あいつに情報が漏れないためだ」
「ハリー」だんだん感情的になっていくハリーの声音と反比例して、彼女の声には同情が込められる。「みんな、ハリーを責めてなんていないし、むしろ心配してるんだよ」
ハリーは、ウィーズリーおじさんが蛇に襲われる夢をみた夜、実際はハリー自身がおじさんを襲った現実かもしれないが、校長室で“移動キー”を使ったときのことを思い出した。“移動キー”がジャンプする直前、とても心配そうな顔でハリーを見ていた彼女は、いまも毛布の向こうで、きっとあのときと同じ顔をしているのだろう。
そんな彼女に気づいた途端、ほんの一瞬だったけど感じた、あの爆発的な喜びは、でもなんだったのだろう。
「少し眠ってから話そう、ね」
「無理だ」自分の腕を掴む手に、力が入る。「僕が眠っている間に、またあいつが取り憑いたら? グリモールド・プレイスにいるだれかを、傷つけたら?」
「そんなことにはならないよ」
ハリーは、こんなせりふを口にする日がくるとは思ってもみなかったが、心の内をすべて吐き出したい衝動に負けて、「自分でも信じられないけど」と口にした。
「こんな思いをするなら、プリペット通りの階段下の物置のほうがましだって思うよ」
グリモールド・プレイスにいるみんなを守るため、ホグワーツに帰ろうと思ったが、ハリーがいる限り、安全はないのだ。ならば、ハリーが向かう先はひとつしかない。バッグビーグの部屋で、毛布なんか被っていないで、ダンブルドアのたった一言の忠告も無視して、さっさとプリペット通りに帰ればよかったのだ。そうすれば、ヴォルデモートに取り憑かれ、みんなに遠巻きにされるような、穢れた自分を閉じ込めておける。
ハリーの丸くなっている背中に、音もなく手が添えられる。毛布の外から、ぽんぽん、と優しく叩き、撫で下ろしていった。

「階段下に隠れても、見つけて連れ出すから、無駄だと思うよ」

横から、肩でとん、と押してくる。ハリーの口元に少しだけ笑みが溢れた。空気が僅かに綻んだ気配を見逃さず、彼女がさらに言った。「ここで見てるから、安心して。ほら、私に寄りかかって、少し眠って」ハリーの肩を抱き、自分のほうに引き寄せる。
「そばにいてあげられなくて、ごめんね」温かい吐息と一緒に、彼女は心の底から懺悔するような声を出した。
「離れていても、ハリーを想ってる」
囁く声が、心地良い耳鳴りのように、ハリーの体内にそっと潜り込んでくる。「大好きだよ」
ハリーは自分が何歳も若返り、彼女の体躯よりずっと小さな子どもになったような感傷に浸り、彼女の肩に頭をもたれようとした。その先にハリーを支えるものはなく、上半身がずるずると倒れていく。顔をぶつける前に、慌てて床に手をついた。毛布が髪の上を滑り、ぱさりと床に広がって落ちた。
さっきまで気にも留めてなかった、バッグビーグがネズミの欠片を漁って、床板を引っ掻く音がやけに耳につく。階下から、クリスマスに浮かれる、シリウスのご機嫌な歌声が、微かに聴こえていた。
ハリーは、たまらなく孤独だった。なにかに掴まりたくても、まわりには何もない。そんな自分を欺き、空しく待っているだけの惨めさにも、耐えられなかった。

「こんなときに、どうしてそばにいてくれないんだよ」

悲しみが、悔しさが、もはや跡形もなく胸に沈殿していき、そのまま床に崩れ落ちそうになった。そのとき、だれかが扉を激しく叩く音がして、ハリーは不意を衝かれた。
「そこにいるのはわかってるわ」ハーマイオニーの声だ。今度はハリーの空想ではなさそうだ。「お願い、出てきてくれない? 話があるの」
「なんで、きみがここに? クリスマス休暇は両親とスキーに行くって……」
ハリーは扉を開く前に、はっと気づいて、眼鏡を押し上げ、先に自分の目元を拭った。

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