15 夜明け前のクリスマス

石壁の腕木で燃える松明をいくつも通り過ぎ、窓がない廊下の突き当たりにある、真っ黒な扉の前だった。飾り気もなければ、取っ手もない扉を、注意深く観察する。つるりとした、その表面に、あと数センチで手が触れるというところで、背後から声がした。「神秘部の扉は、簡単には開かないと思いますよ」
振り返ると、彼女が立っていた。黒い扉に向かって手を伸ばすルシウスを、静観している。ルシウスの口の端が小さく歪んだ。
「残念だよ、非常に興味深いのに」
ルシウスは、たったいま思い出したかのように言った。「ポッターの裁判は、そうか、きょうだったか」
「この下の十号法廷で始まったところです」彼女は自分が立っている床を差した。
「それはまた、あの法廷はもう随分と使われていない気がするが、珍しいこともあるものだ」ルシウスは自分の顎を指で撫でた。
「開始時間も急に変更になったらしいが、きみのその様子だと、ポッターは無事、間に合ったようだね。よかったじゃないか」
白々しいルシウスの態度を、彼女がじっと見つめている。ルシウスは、彼女の責めるような視線を無視して、牙を剥く蛇が装飾されたステッキの柄で、黒い扉を軽く叩いた。
「きみは、神秘部についてどれくらい知っているかね」
「ここで働いている人たちが、“無言者”と呼ばれていることくらいです」
「ほとんどの者がそうだ。この扉の向こうで行われている研究については、魔法大臣さえ知り得ない。魔法省の機関のひとつでありながら、完全に独立しているらしく、私の金やコネクションを使ったところで手も足も出ない」
純粋な好奇心が湧いてきたのか、彼女はルシウスと扉を見比べ、やがて黒い扉の隅々に視線を走らせた。
「研究をしてるんですか? この中で」
「魔法省が設立される十七世紀前から神秘部は存在し、いまも実験と調査を行なっているという話だ」
「そんな前から?」
「なにを研究していると思う?」
彼女は、首を横に振った。「マルフォイさんはご存知なんですか?」
「この世界が生まれる前から存在する、基本的法則や原理の根源かつ謎についてだよ」
彼女は聞き取れなかったのか、一度では理解できなかったのか、「え?」とルシウスに耳を傾ける。
「世の中には、善悪が存在する」
「ええ、はい」
「善良であるには、忠誠心と自己犠牲、愛情が必要だ。だが、それらはほとんどの死喰い人も持ち合わせているだろう。主君に忠誠を誓い、崇高な目的のためなら、自己犠牲も厭わない。慈悲がないと言われている彼らも、配偶者を愛し、子どもが生まれれば慈しみ育てるだろう。ならば、愛とは、善良な者だけが持ち合わせた素質ではない、ということになる」
「それはなんとなく、わかる気がします」
「もちろん、逆の場合もある。たとえば、悪行のひとつ、“嘘”だ。どんな善人も嘘はつく。しかも彼らは、愛ゆえに、守りたいゆえに、それを使う。他人の人生と自由を迫害し、透明の檻に閉じ込めてしまうためにね。まったく、許し難く批判されるべき行為だが、きみたちは、“愛”を責めることはできない、そうだろう? しかし、自分が檻の中にいるとわかれば、問わずにはいられないはずだ。“愛”とは何だったのか、と」
ルシウスはそこで、ステッキの柄についていた埃に気づき、ふ、と息を吹きかけた。
「まあ、このように、“愛”ひとつにしても、あらゆる解釈の余地がある。“愛”とは何なのか? “死”とは? “時間”とは? そういったこの世の事項について、“人それぞれ”だのと決して相対化することのできない真理があると信じ、今日まで研究を続けているのが、この神秘部だ」
「大臣さえ介入できない部署について、とても詳しいんですね」
「さっきも言ったが、私はこれらの研究に魅力を感じている。それに昔、この部署に詳しい知人から少し話を聞いたことがあってね」
「徹底的に情報管理がされている神秘部に詳しい知人がだれなのか、いまは聞かないでおきます」自分に言い聞かせ、追及心を押し殺すように、彼女は身体の前で拳をぎゅっと握った。
「さっき、死喰い人も自分の子どもを慈しむはずだ、とおっしゃいましたよね」
「ああ」
「なら、その死喰い人は、自分のお子さんを今回の“こと”に巻き込んだりしませんよね」
綺麗に磨かれたステッキの柄から目を逸らし、ルシウスは彼女を見た。彼女は相変わらず、敵意を向けるでもなく、見つめ返してくる。黒い扉に阻まれているとはいえ、これから自分たちが攻防を繰り広げていくであろう誘因の目と鼻の先で、まるで傍観者のようだ。
「そのことをお願いしたくて、声をかけました」彼女が軽く会釈をした。「失礼します」
そう言って、ルシウスに背中を向けて、行ってしまう。不用心に背中を向けられて、ようやく気がついた。彼女は最初から、騎士団の人間として声をかけたつもりはなく、あくまで守るべきホグワーツ生の父親と話をしていたのだ。
彼女の後ろ姿を見送ると、ルシウスは、なにもないかのように見える廊下の隅に手を伸ばして、生地の感触を掴んだ。軽く引っ張ると、周囲の景色と差異なく床や壁を投影していたマントがするすると滑り、スタージス・ポドモアの姿が現れた。
“服従の呪文”がかかっているので、ルシウスを見ても反応がない。冷たい床に座り込んだまま、頭を壁に寄りかからせている。マントを元に戻しながら、善良であるということは、この世を生き抜く戦略として有効ではない、とルシウスはつくづく思う。

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