13 生真面目な彼

アルバス・ダンブルドア、彼と向き合っていると時々、自分の身体に紐がついているのではないか、と無性に歯痒くなることがある。腕や脚を絡め取られ、その紐を辿っていくと、もはや己の手も届かぬ高さまで伸びており、愕然とするスネイプを見下ろしたダンブルドアが、空を覆っているのだ。
それは幻覚に過ぎず、いくら身体を弄ったところで操り人形のような紐などついているわけがないのだが、無理難題をこうも当たり前のように要求されると、確認せずにはいられなかった。
「なぜ、我輩が?」スネイプは鋭い口調で言った。「ポッターに閉心術を学ばせたいのなら、適任者はほかにいるでしょう」
「適任者はきみだと判断したのじゃ」

ダンブルドアは言うが、スネイプがまず思いついたのは、ダンブルドア自身、つぎに彼女だった。元闇祓いであるし、閉心術くらい身につけているはずだ。しかし、彼女はいま、アンブリッジに付きっきりなので、ポッターのために時間を割くのは難しいとわかる。アンブリッジの気を引くことになりかねない。ならば、マクゴナガルはどうだ。不死鳥の騎士団の一員であり、ポッターの寮監だ。彼のためなら、きっと喜んで指導するだろう。それをよりよって、わざわざ因縁の相手である自分を指名してくるのなら、それ相当の理由がなければ納得できぬ、とスネイプも意地になる。
ダンブルドアがここで面白がるように瞳を輝かせていれば、スネイプも確信を持てるのだが、頼んできた側であるくせに、少し心配そうな表情を浮かべていた。
週に何度か授業で顔を見るのも目障りだというのに、その相手と週に一度、ふたりきりで、閉心術の訓練を行えと本気で言っているのだ。もちろん、一朝一夕で習得できるものではない。
「わしは、あの子のためだけに、きみをここに置いているわけではない」教え諭すようにダンブルドアが言った。

「ポッターに閉心術を訓練するのが、我輩のためにもなると?」
「顔が似ていても、ハリーはハリーじゃ。ジェームズではない」

似ているのは顔だけではない、とスネイプが言い返す前に、ダンブルドアがゆっくりと右手を軽く持ち上げた。言いたいことはわかっている、というだろう。

「きみが思っておる以上に、ハリーはジェームズと異なる素質を、多く持っておる。そろそろ、その点に目を向けてみてはどうかね」

最終的にダンブルドアの命を受けたのは、考えを改め、ハリー・ポッターと向き合おうと思ったからではない。むしろ、スネイプは取り合わなかった。そんなことをして、なにか意味があるのか、また試みるだけの価値があるとも思えない。
ただ自分がこの校長室を退室するには、遅かれ早かれ承諾せざるを得ないからだ。それだけだ。どう足掻いても、相手はホグワーツ魔法魔術学校の校長であり、一方は一介の教員にすぎないのだから、ほかに道などない。
スネイプはこっそり背筋を伸ばし、肩を回してみた。自分の意思で身体を動かしているつもりでも、それすらも操られているのではないか、と疑り深くなってしまう。

「きみと彼女はどこまで進展したのかね」ついさきほど、気の進まぬ仕事を押し付けてきたばかりだというのに、彼はまるで身近な友人のように話しかけてきた。
「なにも。というか、仰ってる意味がよくわかりません」
「セブルスはなにも教えてくれぬから、つまらんのう」
「校長は我々のことを、なにか勘違いしておられるようですな」
スネイプが突っぱねるほど、ダンブルドアは楽しげに笑っていたが、このままお茶まで出てきて付き合わされてはたまらないと、スネイプは部屋の出口に向かった。
「きみたちを救いたいのじゃ」と呟くのが聞こえてきた。

「彼女はいつでも、きみが手を伸ばせば簡単に届くところにおる。セブルス、きみも、その価値に気づいておるはずじゃ」

扉の取っ手を掴んだスネイプの脳裏に滑り込んできたのは、ホグワーツの図書館だった。クィディッチ競技場を予約するため、彼女を探しにきたときのことだ。
彼女は、いつでも冷静で温和な表情の下に、豊潤な感情を隠し持っている。スネイプの一挙手一投足が、それを刺激しているという手応えも感じる。
たとえば落としたファイルを代わりに拾ってやったり、少し困ってみせるだけで、たったそれだけのことで、彼女が纏う、柔らかく掴み所のない鎧は簡単に剥がれ落ちるのだ。
目が覚めたような表情、頬を赤らめ、狼狽を飲み込んで、こくりと震えるのど、少し濡れたような瞳が見上げてくる。スネイプだけが暴くことができる、彼女の顔だ。
こんな自分を相手によく、と相変わらず理解できないが、ダンブルドアに言われるまでもない。スネイプの孤独な心をなんとか支えてきた支柱は、彼女が露わにする好意によって、補強されてきたのだ。何度も、挫けそうになるたびに。
押し黙っているスネイプに向かって、「それとも」とダンブルドアはさらに言う。

「突き放したあとの寂しさでしか、彼女の価値を計れないというのかね」
「我々を救いたい、と仰りますが、それで今度はなにを差し出せばよろしいので?」

まさか、と静かに見据えた相手は、重厚な執務机の前に鎮座し、傍らには燃えるような羽毛が輝く不死鳥を携えて、その口元に笑みを浮かべていても、威圧的な雰囲気が漂っていた。スネイプの表情は冷ややかだった。

「あなたの手駒は、我輩だけでは足りぬというおつもりですか」
「なに、年寄りの、ただのお節介じゃよ」


校長室を出たとたん、冷たい空気がスネイプを包んだ。窓越しに外を眺める。冬が終われば溶けてなくなるような儚さは感じさせず、空と地上のあいだを埋め尽くすかのように、雪の塊が次から次へと降ってくる。
降り止む気配はまるでなかった。朝の七時過ぎであるが、太陽の位置もわからない。
クリスマス休暇の初日だ。自分の家に帰る生徒たちもまだベッドの中といったところだが、大理石の階段に差し掛かったところで、「ひとりで大丈夫?」と前下方から話し声が聞こえてきた。
大広間から彼女が出てくる。旅行用のトランクを手に提げている。普通の声量で喋っていても、人気のない玄関ホールではよく響いた。
「大丈夫よ、マグルの世界にもバスはあるんだから」防寒着をこれでもかと着込んだグレンジャーは、彼女と並び、苦笑混じりに言う。ふたりはまっすぐ、正面玄関のほうに向かっていた。

「騎士バスははじめてだと、酔う人がほとんどだし、念のために酔い止めを飲んだほうがいいかもしれない」
「必要ないわ、私、乗り物には強いのよ」
「だといいけれど」扉の前で、彼女はトランクをグレンジャーに渡そうとしたが一瞬、躊躇した。

「バスの手配はしてあるけど、雪も凄いから、やっぱりホグズミードまで一緒に……」
「平気だってば。馬車もそこに用意してくれているんでしょう?」

そこでふと、グレンジャーが顔をあげた。階段の上にいる、スネイプと目が合う。相手の意識が自分から逸れたのを察知して、背中を向けていた彼女が、振り向いた。
何の気なしに振り向いた先にいるのが、スネイプだと気づくと、彼女は少し背筋を伸ばし、半ば驚きながらも、その驚きや戸惑いに勝る嬉しさが反射的に溢れた、とでもいうような微笑みを浮かべてもいた。
心を溶かすような眼差しを受け、スネイプの胸は一瞬、空っぽになった。空っぽになったところに、今度はじわじわと濁りが滲んでくる。掻き出しても、掻き出しても、湧いてくる。
昔にも見た光景だった。
中庭のぶなの木の下で落ち合うときは、スネイプが声をかけると、以前も同じこの場所で顔を合わせたというのに彼女は、またここで会えるとは思ってなかった、と言わんばかりに驚き、意味もなく笑うのだ。
そういえば、とスネイプは思い出していた。
スネイプと彼女の関係に興味を持ち、本人に面と向かって訊ねてきた者がひとりだけいたことを。

>>

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -