11 母の面影

昨日の夜から降りはじめた雪は、日曜の朝起きると、ハーマイオニーのひざが埋まるまで積もっていた。空の青さは完全に雲で覆われ、いまもはらはらと結晶を振り撒いている。
積雪している、ハグリッドの小屋を見上げる。ホグワーツに帰ってきたばかりにもかかわらず、どうやら留守にしているらしく、ハーマイオニーは白い息を吐き、お手製の手袋を装着していても、かじかむ手のひらを、顔の前で擦り合わせた。
諦めるわけにもいかず、できるだけ屋根の下に身体が隠れるように、腰を下ろす。背中を扉に押しつけても、靴の上に雪がかかった。
鞄から羊皮紙とペンを取り出す。膝に鞄を載せて、机代わりにする。

時間を潰すために書き出した手紙は、冒頭に、親愛なるビクトール、と綴ったきりになっている。日に日に増長する、アンブリッジの振る舞いに対する愚痴を、すべて書き募りたい気もするが、書ききるには、羊皮紙がいくらあってもまだ足りないだろう。それに、そんな手紙をわざわざビクトールに読ませたくない。
悩んでいると、雪玉がふたつ、ハーマイオニーの近くまで飛んできて、ふたつとも小屋の壁に当たった。
あたりを見渡せば、校庭で雪遊びに興じている生徒の中に、フレッドとジョージの姿がある。ふたり揃って、笑顔で手を振ってくるので、腕を伸ばして振り返す。
彼らは近頃、談話室で幼気な一年生を集め、怪しげな商品の実演販売を行うようになり、しかもそれが校則違反に当てはまらないため、ハーマイオニーは監督生として咎められずにいたが、きょうは外で遊んでいる様子に、ほっとする。
雪玉に魔法をかけ、どちらがより高く飛ばせるか競い合っているふたりに、それにしても、と感心もした。昨日の試合のあと、終身クィディッチ禁止を言い渡されたばかりだというのに、ふたりはとても元気そうだった。ファイアボルトを取り上げられ、同様の罰則を課せられたハリーは、今朝もまるで抜け殻のようだったのに。
昨日のことが頭をよぎる。ハーマイオニーは歯噛みする思いがした。

防衛術グループを自分たちで結成したことで、ハリーの精神はかなり安定してきたところだった。
自分に味方などいない、と決めつけていたのだろう。予想以上に同志が集まり、その中にチョウがいたことも、ハリーを励ましたはずだ。
ハーマイオニーが提案したときは、先生役を渋ったものの、腹を決めて、実際に必要の部屋で会合を重ね、いまでは“ダンブルドア軍団”を、アンブリッジに対抗するための、心の拠り所にしている節さえある。
癇癪もほとんど起こさなくなり、ハリーのそばで、ロンとこっそり目配せすることもなくなった。
それが、マルフォイに負け惜しみを言われたくらいで、手を出すなんて。
まんまとアンブリッジにつけ入られ、ハーマイオニーは失望したが、箒と選手権を永遠に失い落ち込んでいるハリーに、批判的なことを言う気にはなれなかった。

これも手紙に書けそうにないわね、とペンをいじる。もっと楽しいことを書かなきゃ。
「文通?」とそこで声がして、顔をあげると、ハーマイオニーの手元を覗くように、彼女が立っていた。黒髪からはらりと雪が落ちる。
上着はもちろん、ニット帽を被り、首にマフラーも巻いているハーマイオニーに比べ、彼女は厚手のコートを羽織っているだけで、短めの髪から見え隠れする耳元が寒そうだ。
「なにが可笑しいの?」ハーマイオニーは唇を尖らせ、羊皮紙を隠すように胸に押しつける。彼女の微笑みが、笑うのを我慢しているみたいだった。

「いや、可愛いなって。いじらしいというか、健気というか」
「仕方ないでしょ。夏休みは結局、彼の別荘にも遊びに行けなかったし」
「残念だったね」

ハーマイオニーがもたれていた、小屋の扉に顔を向ける。「ハグリッドは、留守?」

「そうみたい。もう十五分くらい、ここで待っているんだけど」
「そんなに? 風邪ひくよ」
「あなたはどうしたの?」
「アンブリッジ先生のお使い」

そう言って、コートのポケットから、なにやら仰々しく装飾された、またその気取った感じが鼻につく、封筒を出した。「ハグリッドが帰ってきて、飼育学の授業に復職するから、査察の日程を知らせに」
あぁ、と呻きそうになる。彼女がとなりに腰をかけたので、「私は、ハグリッドの授業計画を立てにきたの」と告げた。

「授業計画?」
「アンブリッジに、トレローニーが放り出されるのはかまわないけど、ハグリッドは追放なんかされてほしくないもの。そのために、ハグリッドには、大人しい教材を扱ってもらわなきゃ」

ハグリッドがタイミングよく帰ってきてくれて、本当によかった、と思う。でなければ、ハリーはいまもめげきっていただろう。
試合のあとから行方不明だったロンが、談話室に戻ってきたあとだ。夜遅く、ハグリッドの小屋に明かりが灯っているのに気づいたのは、しかしハーマイオニーたちだけではなかった。

顔面の半分になぜか大怪我を負い、ドラゴンの生肉を傷に押し当てるハグリッドから、巨人の勧誘に失敗した話を一通り聞き終わったころ、アンブリッジが小屋にやってきたのだ。ハグリッドに会う前から、すでに彼を危険人物と見なしたのか、彼女を同伴して、だ。恐らく、ハグリッドに半分、巨人の血が流れていることと関係しているのだろう。

「なんで、おまえさんと一緒なんだ?」

ハグリッドは彼女を見て、顔の半分を嬉しそうにしたが、ふたりの組み合わせに首を捻った。
「わたくしの護衛よ」とどういうわけか、アンブリッジが得意げに答える。まるで新しく買ってもらった玩具で、試しに遊んでいる子どものような口ぶりに、嫌悪感を覚える。
「でも、あなたは、お仲間とちがって、わたくしが思っていたほど、野蛮な人種ではなさそうね」早速、クリップボードに書き込んでいる。
それまで戸惑うばかりだったハグリッドが、瞬間的に顔つきを変えた。が、彼女の視線に先に気づき、なんとか堪えた。
彼女は目だけで、はっきりと訴えていた。ここで怒らないで、抑えて、と。
ハグリッドがずっと留守だった理由や、小屋の中を、アンブリッジは散々、嗅ぎまわり、そのわりには収穫も得られず、授業の査察について説明する。立ち去る際、アンブリッジの後に続こうとした彼女が、小屋を出る直前、ハグリッドに向かって意味ありげな視線を投げかけているのを見て、三人は透明マントの下で縮こまった。
アンブリッジも不審がっていたが、小屋の外には、城からここまでの、三人分の足跡が雪の上にはっきりと残っている。だれの足跡なのか、アンブリッジは誤魔化せても、彼女には察しがついただろう。

昨夜、同じ空間にハーマイオニーたちがいると気づいたはずなのに、彼女はなにも言ってこない。膝で頬杖をつき、眠そうにしていると思ったら、ふいに思い立ったように、「そうだ」と声を発した。

「ロンは大丈夫だった?」
「ロン?」
「昨日、落ち込んでたみたいだから」と窺ってくる。
「あぁ、試合のあと、ロンはどこかに行ってしまって、行方知れずだったの。あなたと一緒だったの?」
「私が見つけたときは、ユニフォーム姿のままで、ぼうっとしてたよ。雪が降って、野菜畑が心配で見に行ったら」
野菜より、ロンを保護する彼女が目に浮かぶ。ロンのことを話題にされ、ハーマイオニーは同時に、余計なことまで思い出してしまった。

アンブリッジがハグリッドの小屋に現れたとき、透明マントに足首までちゃんと隠れるように、また一段と身長が伸びた身体を屈めるようにして、ロンがすぐ後ろにいた。ハーマイオニーは、ハリーの肩越しに見える、アンブリッジに意識を集中しようとするが、髪にかかるロンの息遣いが気になって仕方なかった。
小屋の中を歩き回るアンブリッジを避けるように、ハリーが僅かでも下がると、ハーマイオニーもロンの胸に身体を押し込む形になる。心臓の音が、いまにもアンブリッジの耳に届くのではないかと思われた。
「遠距離は大変だね」隣で彼女が言ってくる。
「そう? 結構、楽しいわよ」
芋づる式に、ハーマイオニーがビクトールとペンフレンドだと知ったときのロンの拒否反応を思い出す。すると、少し清々した気分にもなるのだ。


ハグリッドはまだ戻らない。待ちぼうけていると、雪の校庭に、さっきより人が出てきて、遠くで賑やかさが増してきた。
「どうして、闇祓いだったこと、教えてくれなかったの?」
子どもたちの熾烈してきた雪合戦を眺めていた彼女は、不意を突かれた顔をして、「どうしてって、わざわざ話すことじゃないし」と少し遠慮がちに言う。
「ハーマイオニーは、気づいていると思ったから」

彼女の顔をまじまじと見たあとで、そうね、とハーマイオニーの口から、倦怠感を滲ませた長い息が漏れた。「前からそんな気はしてた。ムーディ先生と親しげだったし」
「偽者だったけどね」
「あなたはわざわざ言わないことが多いけど、そういうのって、私がハリーのお母さんだったら、話してた?」
「うーん、どうかな」

悩む仕草をして、それから、「リリーは」と少し下を向いて懐かしそうに笑った。そこに落ちていた思い出を拾い、その眩しさに改めて、目を細めたかのようだ。柔らかい雰囲気がふわ、と彼女の周りに広がる。
やはりそれは、無意識に醸し出しているのだろうか。
「リリーは、なにも言わなくても、いつも私の小さな変化に先に気づいてしまうから、隠し事はできなかったかな」
「ふぅん」
不貞腐れたまま、ハーマイオニーは言った。

「私じゃあ、代わりになれそうにないわね」

深い意味はなかった。どちらかというと、じゃれつくような感覚で、拗ねて見せて、少し彼女を困らせてやろう、と思ったのはあるが、いつものように申し訳なさそうに笑って、「ハーマイオニーは、ハーマイオニーでしょう」とか当たり障りのないことを言ってくるだろう、と予想もしていた。
「やめて」彼女の硬い声がして、ハーマイオニーは、はっとなる。
真剣な眼差しで彼女がこちらを見ていた。

「だれかの代わりになろうなんて、思わないで」

彼女の反応を目の当たりにして、自分がしくじったのだと把握する。でも、すぐには飲み込めなかった。
期待を裏切り、それ以上に、ハーマイオニーの他愛ない一言は、彼女を追い詰めたらしい。
「え」焦って、言葉を探す。結局、頭が追いつかず、「どうして怒るの?」と心の中をそのまま、口にしていた。

「怒ってないよ」
「うそ。いま」怒ってたわ、と追及しようとしたが、目の前の彼女は、顔を前に戻し、すでに普段の気だるさを取り戻している。コートの襟元から伸びる首筋が、ぞっとするほど白い。
「ハグリッド、どこに行ったのかな」そう言って、立ち上がってしまう。アンブリッジの手紙を扉の隙間に滑り込ませた。

「風邪をひく前に、ハーマイオニーも城に戻るんだよ」

ハーマイオニーは返答できない。上の空で、あの声音を、前にもどこかで聞いたことがある、と記憶の糸を辿っていた。
彼女が本気で怒ることなど、いや、あるのかもしれないが、怒りを見せることなど滅多にないのだから、必ずそこには、本ならなにか目印をつけておくはずだ、と思ったところで、驚きのあまり、顔をあげる。
白い雪の中を、彼女の後ろ姿が離れていく。

ハーマイオニーの脳裏に、彼女の部屋で、彼女の本の隙間で見つけた、一枚の写真が浮かんでいた。

写真に映っている女性に似ている、とハーマイオニーが指摘したら、彼女は嫌がっていた。あれは、怒っていたのだ、いまみたいに。
「でも、どうして……」
あなたの、お母さんでしょう? 思わず口にするが、ちょうど胴震いに襲われ、くしゃみが飛び出す。

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