11 母の面影

野菜畑の近くを通ったのは、庭小人に荒らされがちな、隠れ穴のささやかな家庭菜園を思い出していたからだろう。夏は日差し避けの大きな麦わら帽子を被って、冬は、息子の目から見ても野暮ったいニット帽を被り、母親のモリーはそれなりに、小さな菜園をいまも大切にしている。子沢山と関係があるのか、収穫すれば食卓に並ぶそれらを世話するのも得意で、機嫌がいいときは、よく鼻歌も聞こえてきた。その母親の姿を求めていたせいかもしれない。
でもそこでロンを待っていたのは、母とは似ても似つかぬ、彼女だった。
空から一掴みずつ撒いているかのように、しかし途切れることなく、雪片が視界を横切っていく。気づいたときには、最初からここにくることがわかっていたみたいに彼女は、気遣わしげな微笑みを浮かべていた。

彼女のことを、もうさすがに、「人間よりゴーストに近い」とは言わないが、かといって、「母親」という印象もない。
自分が知っている、母親とは、世話好きで、心配性で、少し鬱陶しいこともあるくらい、過保護な生き物なのだ。
親切で、善人だと思うけど、どこか異質で、ハーマイオニーに心配ばかりかけている、彼女のどこにハリーは、「母親」の影を感じとるのだろう。
ロンには違和感しかなく、不思議だった。

「時間も遅いから、寮に戻ろっか」
ロンに向かって、彼女は優しい声で言った。「送っていくよ」

彼女に付き添われながら、グリフィンドール塔へ向かう。途中、見回りのフィルチに運悪く遭遇したが、「マクゴナガル先生の部屋から戻るところなんです」と彼女が言うのが聞こえ、そのときだけは、彼女は飄々と嘘をつくのだな、とぼんやりと感心した。

身体が冷えきっていて、指先の感覚もなく、鉛のように重い足を引きずるように歩く。
寮に戻ったところで、明日からチームメイトの前でどんな顔をすればいいのか、ロンはそのことばかりが気がかりだった。
朝、寮でクィディッチのユニフォームに着替えたあたりから、試合中も、あとも、記憶は曖昧で、ただ自分が、キーパーの務めをきちんと果たせなかったことだけは、はっきりと覚えている。また、四年前のハリーが、チームの選手に抜擢され、初試合で見事にスニッチを掴んだことも、ロンの脳裏には刻み込まれている。たった一年生で、上級生に交じってシーカーをやり遂げたハリーは、羨ましいくらい輝いていたのだ。
自分の不甲斐なさや、やはりハリーのようにはなれない惨めさに、そこで自棄になったのか、歩きながら、「背中」と声を発していた。

「背中、手で叩いてもらえるかな」
「こう?」

隣の彼女が身体を少しこちらに向けながら、ロンの背後に腕を回す。背中に手のひらが充てがわれる。それから、ぽんぽん、というように軽く叩いた。

「やっぱり、ちがうなあ」ロンは嘆いた。
「なにが?」彼女が戸惑う。
「僕を励ますとき、ママはよく背中を叩くんだ」
「散々な試合のあと、人目を避けたうえに、ママが恋しくなっちゃったんだ」とからかうこともなく、彼女はもう一度、同じ動作を繰り返した。
「なにがちがうの?」
「ママはもう少し力が強いかな」言いながら、そういう問題じゃないだろうな、とも思う。
「ユニフォームが雪で濡れているし、張り付いて、冷たくない?」
しなくていい心配をして、彼女が言う。
「ねぇ」とロンが顔を向けると、素直に見上げてきた。

「たまに、ハリーを抱きしめてやってくれないかな。最近はあんまりないけど、あいつがもしまた、ぼうってしたり、落ち込んでいたりしてたら、ぎゅうってさ、してやってよ」

以前までは、“例のあの人”が近づくと痛んだ額の傷跡だったが、いまのハリーは痛みと同時に、その人の気分も読めるようになっているのだ。痛みを鬱陶しがるハリーも心配だが、“例のあの人”が同じ世界に実在して、怒りや喜びを感じている、という事実が、ロンを怯えさせた。
彼女がハリーをハグしたところで、“例のあの人”がいなくなるわけじゃない、とわかっていても、母に抱きとめられる安心感が、ハリーにも必要なのではないだろうか。
「背中を、ぽんぽんするんじゃなくて?」と彼女はたじろぐ。
声にすると、“ぽんぽん”という言葉の幼稚さが際立ち、笑えた。「ぽんぽんは、軽症の場合だから」
「重症のときは、抱きしめるんだね」
「その上の、危篤のときは、頬や額にキスされるよ」
真面目な顔でうなづく。ハリーの秘めた想いを知る由もない彼女は、それから自分の顎に手を当て、「でも、私がしても、ハリーは嫌がるんじゃないかな……」と訝しげに呟きもした。
むしろ、びっくりして、癇癪も忘れるかもしれない。彼女の腕の中で、あたふたするであろう親友を想像し、ロンは苦笑する。
自分のことで精一杯なくせに、どうしてハリーの心配までしているのだろう、と思ったが、仕方がない、親友とはそういうものなのかもしれない。

「太った婦人」の肖像画の前で、ロンは彼女と別れた。
深夜の談話室には、ハリーとハーマイオニーしか残っておらず、現れたのがロンだとわかると、ハーマイオニーが心配顔ですぐに駆け寄ってきた。

「こんな時間まで、どこにいたの? 身体がすごく冷えてるわ」
「僕、歩いてたんだ」

気分は一向に暗かった。クィディッチの選手もこれっきりで、辞退しようと決めていた。実際、ハリーにもそう告げたのだが、チームのうち、三人も終身クィディッチ禁止を命ぜられたと知って、ロンは残らざる得なくなった。
不安は消えなかったものの、一方でロンの身体を少しでも温めようと、忙しなくしているハーマイオニーを眺めていると、さっきよりずっと安堵している自分が、いつの間にかいた。
ハーマイオニーだって、僕のママには似ないのに変だな、と首を傾げる。いつもそうであるように、安堵のつぎには、明日には普段の自分に戻れるだろう、「もう大丈夫だ」という小さな予感が芽生える。信じ難いが、空しかった胸が、心地よさで満たされていた。


あの夜から数日が経ち、色々、ハグリッドが帰ってきたり、ハグリッドがアンブリッジの査察を受けたりあって、十二月に突入したところだった。

「ビーブスのやつ、最近、悪ふざけがひどくなってないか」首を絞められそうになった金モールを解きながら、ロンは忌々しく言う。
「彼女がいないからでしょ」となりでは、ハーマイオニーが杖先を揺らし、担当の樅の木の上に、雪を降り積もらせていた。「制御するひとがいないのよ。フィルチには、無理だもの」
「僕、クリスマスの飾り付けなんて、してる場合じゃないんだけど」
十二月の大広間は、宿題に追われた生徒たちが集まり、みなが背中を丸めて教科書をめくり、羊皮紙に噛り付いている。そこにはハリーやネビルの姿もあった。
「どうせあなたも、宿題を溜めてるんでしょうけど」とハーマイオニーは、ロンの心を読むまでもない、という風に、口調も態度もつんとしている。
「文句なら、アンブリッジにどうぞ。アンブリッジが彼女を自由にしないせいで、今年は監督生が飾り付けをすることになったんだから」
「きみの編んでるニット帽を、彼女にも贈ってやれよ。クリスマスだしさ」
「彼女はしもべ妖精じゃないわ、ロン」

ただの冗談なのに、ハーマイオニーは本気で咎めてくる。ほんの数日前、行方をくらますほどロンが落ち込んでいたことなど、忘れてしまったかのようだ。
とはいえ、この忙しさであるし、ロン自身も忘れかけていた。先日のクィディッチでの役立たずぶりや、この先の試合を思うと、気が滅入るし、次回も同じような結果になれば、自分はどん底まで落ち込むとわかっていたが、時間を置いて、開き直れた部分もあるせいだろう。いまなら、こないだは初試合だったから、過剰に緊張していたのだ、と言える気もする。
そう思えるようになって、ロンははじめて思い出したことがあった。
「なによ」ロンの視線に気づき、ハーマイオニーがこちらを見た。

「休んでないで、早く片付けちゃいましょう。宿題、見てあげないわよ」
「はい、はい、すぐに」

首にかけたままだった、金モールに向かって杖を振るロンの頬が、じんわりと赤くなる。
あれが夢でなければ、この頬に、試合の日、競技場に向かう前、ロンを励ますようにハーマイオニーがキスしてくれたのだ。
意識さえしっかりしていれば、と少し悔しくなる。試合の結果も変わっていたかもしれない。ハーマイオニーのキスは、そのくらい母のそれとはちがっていた。

でも、やっぱり頬は頬で、相手の唇にするのにはかなわない。
ハリーがチョウとキスをしたのは、休暇に入る前の、最後のDA会合のあとだった。

ハーマイオニーがつらつらと言い並べた、チョウがいま感じている想いについて、ロンは寮のベッドに入ったあとも考えてみた。言われてみれば、セドリックのことで悲しみながら、ハリーにいまキスをするのは、時期尚早な気もするし、チョウには複雑な心境があったのかもしれない。
それでも、キスをした相手の前で、チョウはどうして泣いたりしたのだろう。ハリーが困るとは思わなかったのだろうか。
音もなく雪が舞う窓の外を眺めていると、まぶたが微睡みはじめる。
ふいに、ハーマイオニーはクラムとキスをしたのかな、とよぎる。もちろん、頬ではなく、だ。いや、ハーマイオニーがそんなことを許すはずがない。興味ないだろうし、手紙のやりとりだけで、ふたりはずっと離れているし。
泣いているチョウが、ハーマイオニーに変わる。 あぁ、でも、ハーマイオニーは頭がいいから、きっと人より多くのことを一度に考えていて、そのほとんどを自分は理解できないだろう。自分の肩ですすり泣くハーマイオニーを見ていると、ロンまで悲しくなる。
隣のベッドから物音がして、ハリーが起き出したのかと思ったが、ロンは眠気のせいで反応するのが億劫だった。すぐまた、がた、と大きな音が寝室に響き、仕方なく、「ハリー?」と寝返りをうった。

「いくらチョウとキスしたからって、暴れすぎじゃあ……」

ハリーはたしかに、ベッドの上で、のたうちまわっていた。初めての体験に羞恥と興奮で悶えているというより、眠りながら、おぞましいものを遠ざけようとして身を捩っている。
青ざめた顔面が目に入る。尋常ではない汗をかき、足の先まで強張らせ、ハリーは額の傷跡をこそぎ取ろうとするかのように、両手で押さえつけていた。「ハリー、おいっ」
明らかな異変に身体を起こし、ロンは眠気も忘れて、自分の上掛けを投げ出した。


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