08 あくどい罰則

あと数日もすれば、曇りがちになって拝めなくなる、爽やかな青い空が広がっている。談話室に篭りっきりのハリーは、窓から差し込むだけの陽射しを背中に受け、途方に暮れた。
たった一週間で溜まったとは思えない、山積みの宿題を前に、板切れ一枚で大海原に放り出された気分だった。
どの教科の先生も、初日の授業で、六月に実施される「普通魔法レベル試験」、OWLについて言及していた。「将来に関わる大切な試験」だとわかっていても、この押し寄せるレポートの量は、尋常ではない。
ハリーたちが下級生だったとき、上級生が神経衰弱で医務室に運ばれたり、急に泣き出したりする理由が、ようやく身に染みてきた。
とても追いつけず、遅れずに提出できると思っているなら、先生たちの正気を疑わざるをえなかった。
ハーマイオニーだけは、しかし悠々と、先生たちの期待に応えていた。宿題をすべて終わらせたうえで、いまは、編み物までしている。相変わらず、SPEWの活動にひとり熱心で、ホグワーツのしもべ妖精を解放するべく、帽子を編んでいるのだ。ハリーには、歪な毛糸編みの塊にしか見えなかったが、前に、よせばいいのに、ロンがそのことを指摘して、ハーマイオニーを怒らせた。
「なぁ、ハーマイオニー」ハリーの隣で、ロンが情けない声を出す。薬草学のレポートが、さっき盗み見たところから、一行も進んでいない。
「頼むから、少しだけ手伝ってくれないか」
ロンを無視して、ハーマイオニーは、ちょうど談話室に入ってきたネビルに向かって、声をかけた。
ハリーはありがたかった。ハーマイオニーはきっと、ハリーたちの宿題を手伝ってくれないし、ロンが食い下がればまた喧嘩になる。
あらゆることで、ふたりは意見を衝突させるのだ。ふたりの言い合いにこれ以上、煩わされるくらいなら、口をきいてくれないほうが、ずっといい。

「ネビル、彼女は見つかった?」ハーマイオニーが気遣わしげに訊ねた。
「ううん、どこにもいない」いまにも泣き出しそうな表情で、ネビルは言う。宿題で膨らんでいる鞄が、だれよりも重そうだ。
「たぶん、アンブリッジ先生のところだよね」
「あの女の助手って、なにしてるんだ」ロンが眉をひそめる。「授業は、いつもアンブリッジひとりだぜ」
「アンブリッジの部屋にいるの、僕見たよ」ハリーは口を挟んだ。

火曜日の放課後だ。憂鬱な気持ちでアンブリッジの執務室を訪れると、そこに彼女もいた。
執務机の前にいるアンブリッジに、紅茶を淹れていた。
ハリーは驚いたが、彼女も目を丸くしていて、その一瞬で、ハリーがここにきた理由を知らないんだ、と理解できた。
中庭の、手入れされていない、雑草だらけのままの花壇を見たときから、嫌な予感はしていた。
闇の魔術に対する防衛術の執務室は、例年になく、様変わりしている。壁の一面を、子猫の飾り皿が埋め、襞をたっぷりと取ったレースのカバーや布で、机や引き出しが装飾されているアンブリッジの部屋を、ハリーは見渡した。数個、花瓶もあったが、生けてあるのは、ドライフラワーだ。
趣味の悪い内装に囲われて、彼女はまさに、その乾燥した花のように、死んでも死にきれず、生命を極限まで薄く伸ばしたような疲れが滲んでいた。

「こんばんわ、ミスター・ポッター」

アンブリッジの声がした。彼女が、ハリーから顔を逸らし、当然のようにハリーを歓迎している、アンブリッジのほうを見た。

「どうして、ハリーが?」
「ミスター・ポッターは、きょうから一週間、わたくしの罰則を受けるのよ。あなたはもう、下がっていいわ」そう言って、彼女の手から、花の絵が描かれている、紅茶用のポットを受け取った。
なにをしたの? というように、彼女が心配そうな視線をハリーにくれる。「アンブリッジ先生」と彼女は訊いた。

「罰則って、なにをされるんですか」
「書き取りよ」

ンフ、とアンブリッジが笑みを溢し、その邪悪さに気づかず、ハリーは内心、ほっとした。
放課後のクィディッチの練習には出られなくなってしまったけれど、そんなにひどい罰則ではなさそうだ、と。
彼女もそれを聞いて、安心したのか、本当に部屋を出て行ってしまったので、馬車を引く、あの、馬もどきの存在についても訊きそびれた。
黒い鞣し革のような胴体や、背中から生えたドラゴンのような翼、白濁した瞳を思い出すだけで、ハリーは落ち着かなくなる。
あの場で、あれはハリーを除いて変わり者のルーナにしか見えていなかった。自分は狂っていない、とかろうじて思えるのは、彼女もあれを知っているはずだからだ。
次の日の放課後から、アンブリッジの部屋に行っても、彼女の姿はなかった。アンブリッジが見計らって、追い出していたのかもしれない。

「僕、図書館に行ってくるよ」ネビルは、鞄を担ぎ直し、肩を大きく落とした。
「私も、これを編み終わったら、図書館に行くわ」慣れない手つきで編み棒を操りながら、ハーマイオニーが言った。「宿題、手伝ってあげる」
ネビルが礼を告げ、談話室を出て行く。ロンは不満そうな目で、ハーマイオニーを見ていた。

「どうして僕らのことは無視して、ネビルを手伝うんだ」
「僕らは、ハーマイオニーが散々、忠告したのに、宿題を溜めたからだろ」
「そのとおりよ、ハリー」ハーマイオニーは無愛想にうなづく。
「仕方なかった、だろ?」ロンが開き直る。
よくない兆候だ、とハリーは苛立った。

「宿題を溜めて練習したおかげで、僕はクィディッチ・チームのキーパーになれたし、ハリーは罰則を受けてた」
「ハリー、その、罰則のことだけど」

ロンを取り合わないで、ハーマイオニーが声を潜めた。身を乗り出し、視線が一瞬、ハリーの左手にとまった。
「本当に、だれにも言わないつもりなの?」
「これは僕とアンブリッジの問題なんだ、だれにも関係ない」
ロンは黙って、事の成り行きを神妙な顔で見ている。
「彼女にも?」
「あぁ」冷たく吐き捨てる。が、「でも」とハーマイオニーも引き下がらなかった。
「でも、きっと彼女は知りたいと思うわ」

ハリーは突然、立ちあがった。椅子が後ろに倒れて、音を立てる。談話室のあちこちでペンを走らせていた音が、一斉に止んだ。
左手の甲に刻まれた、「私は嘘をついてはいけない」という傷が、刺すように痛かった。
でも僕は、この一週間、文句も言わずにアンブリッジの罰則をやり遂げたんだ。だれかに泣きついてみろ、それこそあの女の思うつぼだと、どうしてハーマイオニーやロンにはわからないんだ。
宿題を鞄に放り込み、談話室を後にしようとしたとき、周りの白い目の中に、シェーマスの姿があった。ホグワーツに帰ってきた夜、新聞の馬鹿な記事を信じこんで、彼はハリーを嘘つき呼ばわりした奴だ。
この談話室に、いや、ホグワーツ生に、ハリーの味方はいなかった。みんなは本気で、防衛術の授業を教科書の読み書きで済まそうとし、ハリーの主張をあくどい罰則で抑えつけようとするアンブリッジのほうが、ダンブルドアより信じられるというのか?
本当のことを知っている、マクゴナガルでさえ、ハリーがアンブリッジに歯向ったことを知っても、ハリーの癇癪を諌めるような助言しかしてくれなかった。
正しいことをしているはずなのに。全部がばかばかしく思えてくる。

宿題を抱えて、自分が校庭に向かっていると気づいたときハリーは、急に根が生えたようにその場で立ち尽くした。
湖のほとりに、ハグリッドの小屋が見える。
しかし、煙突に煙はない。大きな友だちの姿もない。
暖かな日の光の中で、ハリーは本当にひとりぼっちだった。

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