07 先手

なかなか痛みが引かない額に手をやると、彼女が、「まだ痛む?」と訊いた。
「腫れてるかしら」ジニーは彼女のほうへ、前髪を持ち上げて見せた。
今朝、屋敷を出る前のことだ。学校の外で魔法が使えるからといって、フレッドとジョージがトランクを階段の下まで飛ばそうとしたのはいいが、すでに玄関でみんなを待っていた末妹の顔面に、衝突させてしまったのだ。ただでさえ汽車の時間に遅れそうで、殺気立っていたママに、双子はこっぴどく叱られていた。

「少しだけ。痣になってる」
「最悪」
「でも、前髪で隠れるよ」傷に触れないように、彼女がジニーの髪を撫でつける。
「ハリーは気づいてないと思う?」
「大丈夫だと思う」

しかし、ジニーの表情は晴れず、前髪を指でいじるのをやめなかった。
キングス・クロス駅を出発してから、汽車はずいぶん走ってきたため、ホグワーツ特急の通路は空いている。彼女は、どこか目的があるでもなく、先へ進んでいく。ハリーや、汽車の中でたまたま会ったネビルを、コンパートメントに置いて出ていこうとしたとき、「車内を見てくる」と言ったとおりだった。
「見回りなら、監督生がするんじゃない?」立ち上がる彼女に、ジニーは言った。
ハーマイオニーとロンは、いまは監督生の車両で、自分たちの役割について説明を受けている。じきにジニーたちのコンパートメントで合流しても、時間になると、車内の見回りに行くはずだ。
「うん、でも一応、ムーディさんがうるさいから」
いま彼女は、騎士団の一員としてここにいる、ということなのだろう。いずれにしろ、彼女とふたりきりになれると思い、ジニーも一緒に立ち上がった。
友だちと楽しそうに話している生徒たちを横目に、車両を抜け、もう何度目かの連結部を通る。
「そういえば、ルーナと顔見知りだったのね」ジニーが思い出して言った。

ジニーたちが見つけたコンパートメントには、ひとり、先客がいた。ルーナ・ラブグッドだ。ジニーと同じ学年だが、ルーナはレイブンクローに所属している。
「目立つからね、あの子は、なんというか」
そう言い淀む彼女も、さすがにルーナの扱いには困っているようだった。

「意外というか」
「私から見たら、あなたも意外だわ」
「たとえば?」
「闇祓いだったこととか」
ジニーはくすくす笑った。「ハーマイオニーが、愚痴ってた。あのひとは、私になにも話してくれないのって」
「話す機会がなかっただけだよ」
心苦しそうにする彼女が、まるで恋人の反応に慌てて言い訳しているみたいで、なおさら微笑ましかった。

窓の外は、田園風景がどこまでも続いていく。はっきりしない天気で、太陽の光が差し込んだと思ったら、不吉な暗い雲が遮ったりを繰り返している。
車内販売のカートを押す、おばさんとすれ違ったあと、「ねぇ」と彼女に切り出した。

「ねぇ、なんでチョウは、ハリーに挨拶しにきたのかしら」
「挨拶はだれとでもするからじゃない?」
「わざわざ、私たちのコンパートメントまできたのよ」
「それは」
「それは?」

なんでだろうね、とはぐらかし、彼女は答えない。
チョウは、しかしセドリックを亡くしたばかりである。その心はきっといまも悲しみに暮れているだろうと思っていたが、突然現れたチョウを見たとき、ジニーは少し、胸騒ぎを覚えた。チョウの登場に、思っていた以上に、ハリーが浮き足立ったせいかもしれない。
嬉しさを隠しきれず、頬が綻び、急に、自分の身だしなみが気になって仕方がないみたいだった。この数週間、同じ屋根の下にいたのに、ジニーの前では、決して見せたことがない顔だ。寝ぼけ眼でトーストを噛る姿なら、毎朝のように見てきたけれど。

「私、ハリーと普通に話せてるわよね?」
「うん?」
「去年、ハーマイオニーが言ってたでしょ、ハリーの前で普通に話せるようになりなさいって」
「言ってたかもしれない」
「私が普通に話してることに、ハリーは気づいてる?」
「……どうかな」彼女が首を捻る。
「いまは少し、ほかのことのほうが心配なんじゃないかな」

ヴォルデモートが戻ってきた、ハリーを取り巻く状況は、理解しているつもりだった。ハリーは、キングス・クロス駅に現れただけで、周囲から好奇の目で見られ、彼女とこうして汽車の中を歩き回っているあいだも、ハリーの名前を囁く声はそこかしこから聞こえてきた。
その上で、チョウへのあの反応が、ショックだったのだ。
同じコンパートメントで、ジニーはハリーのとなりにいたのに、一瞬で自分が透明人間になった気分だった。チョウの前では、簡単に掻き消されてしまうことの一部にすぎない。赤くなってなにも話せなかった女の子が、平気そうに声をかけられるようになったところで、なにも変わりはしない。
ジニーは、先学期末から付き合っている、マイケル・コナーのことを思い浮かべた。緊張してぎこちない微笑みや、ジニーを見つめる、うっとりした眼差しまで思い出してしまい、思わず、つま先で身体を上下に弾ませた。
溢れる笑みを隠すように、汽車の天井を見上げている。
「やっぱり、だめだ」彼女がふと呟いた。

「え?」
「私も少し、頭が痛い」つらそうに、眉をひそめている。
「大丈夫?」
「昨夜、飲み過ぎたかも」
「私たちが部屋に戻ったあとも、随分と楽しかったみたいね。今朝、パパもつらそうだった」

コンパートメントに戻ると、ハリーたちの様子が変わっていた。ルーナだけは相変わらず、「ザ・クィブラー」という雑誌を上下逆さまにして読んでいたけれど、ハリーとネビルはむすっとした顔をしている。
「どうかした?」ジニーは、ハリーのとなりに腰を下ろした。
「マルフォイが、ここにきたんだ」なにかを握りつぶすかのように、ハリーが答える。
「なにか言われたの?」
「スリザリンの監督生になったことを、自慢してた。あとは、ハリーを見張ってるぞって」そう言う、ネビルの手の中で、カエルのトレバーが顎の下を膨らませ、げこ、と鳴いた。「犬のように、尾け回すぞって」

犬、という単語に、シリウスを連想したのか、ハリーが、彼女と目を合わせる。ふたりは同時に、はぁ、とため息をついた。
今朝、黒い犬に変身して、屋敷の外に飛び出したシリウスを、彼女が必死に呼び戻そうとしていたのを思い出す。
屋敷の中に手招きして、「約束がちがうよ」と困り果てていたが、結局、汽車の時間が迫り、彼女より先に、ママが諦めた。
「そうしたいなら、自分の責任で、勝手になさい」とママは黒い犬に向かって言ったが、ジニーが過去、そう言われたとき、本当に実行したら、のちに余計に怒られたものだ。

彼女は窓にもたれて、すぐに眠りについた。
制服のローブを取り出し、ハリーが彼女にかけてあげているのを見て、優しい、素敵、と危うくときめきそうになる。
ハーマイオニーから預かっていたクルックシャンクスが、彼女の膝に飛び乗って、丸くなる。ルーナにまで、肩に寄りかかられて、彼女は寝苦しそうに時々、うなされていた。
「彼女って、寝るんだね」ネビルが変なところで感心している。

「二日酔いなンだね」

雑誌に目を落としたまま、ルーナが独り言のように囁いた。だれに向かって発したものかわからず、ハリーもネビルも固まっている。
「なにか、いやなことがあったンだ」
「いやなこと?」ジニーは訊き返した。
「大人って、いやなことや、つらいことがあるから、お酒を飲むンだよ」私のパパもそうだったもン、と雑誌を目の高さまで持ち上げ、ルーナの顔が隠れる。彼女のほうに身体を傾けたままだ。
「いやなこと?」同じ台詞を口にしながら、ジニーは、となりのハリーを窺う。同じように戸惑っているだろう、と思ったが、ハリーはジニーのほうに目もくれず、なにかを深く思い詰めている雰囲気だった。
そのとき、コンパートメントの扉が勢いよく開いた。
「参ったよ。監督生って結構、面倒だな」ロンとハーマイオニーが入ってきた。
ジニーは慌てて、人差し指を口元に当てた。ネビルもちょうど同じポーズで、「しーっ」と声が重なった。

ホグワーツ特急は順調に走り続け、ジニーたちが荷物をまとめて汽車を降りる準備をはじめたころ、ハーマイオニーに声をかけられるまで、彼女は起きなかった。
汽車が速度を緩め、ハーマイオニーとロンは、監督生のバッジを胸に、先に出口に向かう。「ありがとう、ハリー」と彼女は上掛け代わりにしていたローブを、ハリーに返している。じゅうぶんに眠れなかっただろうけれど、顔色は少しよくなっていた。
お先にどうぞ、とジニーは向かいのネビルに譲った。となりのルーナも続いてトランクを引きずり、コンパートメントを出ていく。
外は、日がすでに暮れている。プラットホームの街灯が、降っている小雨を照らしており、少し肌寒いだろうな、と思っていると、おもむろに彼女が窓を持ち上げた。
新鮮な空気が吹き抜ける。なんで窓を、と訊く必要はなかった。間髪入れず、ふくろうが滑り込んできたのだ。
手紙を手際よく受け取り、彼女が目を通す。
「だれから?」ハリーが訊いた。
「ダンブルドアが呼んでる」彼女は言った。
「すぐに行かないといけないから、ハリー、手短に言うね」
「え、なに?」意表を突かれ、ハリーの肩が強張った。

「これから馬車に乗るだろうけど、いままで気づかなかったものが見えると思う。でも、あんまりびっくりしなくても大丈夫だから」
「馬車? びっくり?」
「詳しいことはあとで説明する」

いつもより早口でそう告げ、彼女もコンパートメントを出て行った。手紙を届けにきたふくろうも、窓から飛び立つ。
「見えるって、えっと……なにが?」
訊かれても、彼女の急ぎようには、ジニーも呆気に取られていた。「さぁ」とかろうじて首を傾ける。

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