06 シリウスの手紙

ホグワーツでジェームズに出会うまでシリウスは、母親の敷いたルール通りに生きてきた。ルールが正しいのか間違っているのか、判断しようにも、母親が支配するブラック家の屋敷と、似たような上流階級が集まる社交界との行き来しかなく、当時は疑問すら浮かばないほど、それが当然のことだった。
煌びやかな世界、自分たちの栄華に酔い、自信に満ちた人々。彼らに囲まれて、機嫌のよい家族。しかし、なにかが足りないまま、退屈な日々が過ぎていく。歳を重ねるにつれ、その息苦しさはひどくなり、比例するように、母のシリウスへの態度も厳しくなっていった。
シリウスはより期待に応えようと努力した。それ以外に母親を喜ばせる方法を、知らなかったからだ。古臭い礼節を身につけ、面白くもない話に笑みをつくり、ブラック家の長男という自覚を持ち続けた。が、いくら頑張っても、言うとおりに尽くしても、母は認めようとはしなかった。
もしかしたら母は、組み分け帽子が見抜く前から、実の息子が秘めている素質に気づいていたのかもしれない。
そして明るみになったとき、シリウスを散々非難し、蔑み、罵りながら、最後まで家系に縛りつけようとした。

「部屋にいないと思ったら、こんなところにいたのか」

家系図のある客間にいたシリウスを見つけ、リーマスが入ってきた。

「きみがやっと話す気になったと思って、バックビークと一緒に汚い部屋で待ってたのに」
「悪かったな、汚い部屋で」

リーマスが言うのも、仕方がない。バックビークの羽毛が埃と舞い、食べかけのねずみの死骸が転がっているような部屋だ。馬小屋のほうがまだ清潔だろう。
シリウスは、家系図から目を逸らし、リーマスに正面から向き合った。
「俺が間違っていた」と素直に認めた。

「おまえの言うとおりだ。彼女も覚悟している」

リーマスの真剣な眼差しが突き刺さる。シリウスの目をただ黙って見つめている。言葉にしなくても、彼女を疑うような発言をしたことをまだ怒っているのは、あきらかだ。
「納得したのかい?」
「あぁ」
「子どもたちを守るって、彼女がモリーと約束したから?」リーマスが言った。

もう一度、中世から続くブラック家の家系図に目をくれる。シリウスの名前は、いまはただの焼け焦げた跡だけとなっているが、金色の刺繍を辿ると、母の名前に繋がっている。
「モリーは、俺の母親とは正反対なタイプだ」シリウスは自嘲気味に笑った。
我が子に対して、怒鳴るときも、喜ぶときも、また抱きしめるときも、モリーは全力だ。恐るべき体力と愛情で、毎日、子どもたちの成長をありのまま受け止めている。
「俺にも、あんな母がいたら、と考えたことがないでもない」
どんなに聞き分けが悪くても、たとえ意見が合わず、敵対する立場に別れようとも、モリーのような母親はこれからも変わらない。きっと、いつだってなにより優先するのは、子どもたち一人ひとりなのだ。
だが、あまりに違いすぎた。
リーマスの腕のなかで泣き崩れ、震えているモリーの姿には、なんだか現実味がなかった。母親はここまで子を愛せるものなのかと、圧倒されていたんだと思う。
シリウスが知り得ぬほどの愛ゆえに胸を傷ませ、すがろうとするあの手を、しかし怖気づくことなく、彼女は掴んでいた。モリーの前で子どもたちを守ると誓った彼女の言葉には、凡人には到底背負いきれない、重みがあった。
リーマスが静かに深い息を吐く。「あんな形で証明するとは、思ってなかった」と肩を落とした。

「しかし、モリーの言い分には一理ある。世論はもう、魔法省に大きく傾いているし、魔法省の人間がホグワーツに介入する以上、ダンブルドアにも、圧力がかかりやすくなるだろう」
「むしろ、ダンブルドアやハリーの動きを監視するためにファッジは、教育令という形で、自分の息がかかった者をホグワーツに寄越したのかもしれない」浮かないリーマスの表情が、さらに暗くなる。
魔法省もうまくつけ込んだものだ、と感心する。闇の魔術に対する防衛術の新しい先生探しは、年々難しくなっている、とダンブルドアも漏らしていた。

「なにかが起これば、ホグワーツでまともに戦えるのは、彼女くらいだ」
「わかってる。でも、できれば避けたかったよ」

リーマスは言いながら、意識は扉のほうに向いていた。だれかが部屋の外で、騒いでいるらしい。階段を上る足音が、妙に響くくせに一歩、一歩の間隔がえらくのろい。

「いやー、こんなに飲んだのは、いつぶりかなぁ、楽しいなぁ」
「足元、気をつけてくださいね」
「きみもなかなかいけるんだねぇ」
「危ない、転ける、転けますよ」

リーマスと一緒に、扉の隙間から廊下を覗くと、まっすぐ立っていられないほど酔っ払っているアーサーを、こちらもほどよく酔っているらしい彼女が、なんとか支えていた。

「モリーに見つかったら、怒られちゃうかな?」
「部屋で休んでると思いますから、静かにして、起こしちゃだめですからね」
「大丈夫、大丈夫、だって、愛してるからね」
「それはもう、わかりました」
「モリー、大好きだよー」大声を出したつもりだろうが、アーサーの声は枯れている。
影から様子を窺っていたふたりに、彼女が先に気づいた。
「シリウス? リーマス?」
「なに、シリウス!」
勢いよく振り向いたアーサーが、彼女を振り払い、ほとんどつまづくようにして、シリウスに迫ってきた。
「な、なんだ」目の前でとっさに両腕を広げ、力いっぱい抱きしめられる。背中をバシバシと叩かれる。「うんうん、いい背中だ」と言う息が、ひどく酒臭い。なんとか身体を引き剥がしても、アーサーは離れようとせず、今度は両肩を叩いてきた。

「シリウス、ハリーをよろしく頼むよ」
「俺はなにも役に立てないと、あなたも知っていると思うが」
「なにを言ってるんだ、きみはハリーの父親だろう、ん?」
親代わりではある。が、具体的に断言されると、厳密には違うし、返答に困る。しかしアーサーは、お構いなしに喋り続けた。
「父親っていうのはね、こう、どん、と構えて、子どもが帰ってくるのを待っていればいいんだよ」
「はぁ」
「背中を見せてやるんだよ、ハリーに。父親は黙って、背中で語るんだ。そしたら、いつかきっと、わかってくれるんだ」
「パーシーのこと、相当気にしてるみたいだ」シリウスの耳元で、リーマスが囁く。
「私の背中を見てみるかい?」
アーサーはそこでなにがしたいのか、自分の背中を見ようとして、その場でくるくると回った。酔いのせいですぐに足が絡まり、立て直そうとするが、ふらふらと尻もちをつく。
「途中まで、格好よかったのに」と彼女が面白そうに笑い、涙を拭った。

「ふたりはここで、なにしてるの?」
「おまえを待ってたんだ」どっと疲れを感じながら、シリウスは言う。
「え、なんで?」
「前に、シリウスが僕たちに話があると言っていただろう? やっと話す気になったらしい」
「明日はおまえもホグワーツに帰るんだ。今夜しかない」
「今夜しかないって、私たちはずっと、シリウスの部屋の前で待ってたんだけど」

尻もちをついたまま、アーサーは床で寝ついてしまったらしい。いびきをかきはじめている。
「アーサーは、このまま?」リーマスが杖を振る。上掛けをかけてやっている。
「あとで送るよ。こうなったら、私じゃ運べないけど」と彼女は無責任なことを言う。
「シリウスとリーマス、お願いね」
「なんでこんなことになったんだ」
ここが騎士団の本部とは思えぬ緊張感のなさに、シリウスは自分の頭を支えた。明日から新学期がはじまるというのに、彼女までハメを外したようだ。数時間前はあんなに頼もしかったが、いまは、なんとなく陽気な調子で、表情に締まりがない。
「先輩が落ち着くまで、ウィーズリーさんを厨房に引き止めなくちゃいけなかったから、だから、飲み比べしてた」
彼女が勇ましく拳を突き出す。「私、勝ったよ」
「さすがに飲みすぎだよ」リーマスが壊れかけのソファーに腰をかける。
「いいの、いいの」そのとなりに続いて彼女も、なだれ込むように座ると、「それで」と無邪気にシリウスを見上げて言った。

「それで、話って?」

シリウスは、自分の部屋から、一冊の本を持ってきていた。頁の間に挟んでいた封筒を抜き取る。ふたりにもよく見えるように、持ち上げた。

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