06 シリウスの手紙

「俺になにかあったときは、おまえたちの生きているほうが、これをハリーに渡してほしい」
シリウスが差し出す、書きつけのない封筒を見て、彼女は不快感を示した。「なに、それ」
これがなんなのか、すでにわかっているからこその反応だ。

「ただの手紙だ」
「いや、受け取りたくない」
「預かってくれ、とまでは言わない。俺の部屋に隠しておく。バックビークがいるし、あそこなら、クリーチャーに見つからないだろう」
「いますぐ破り捨てて」彼女は強気に言い張った。ぐずぐずしていると、シリウスの手から封筒を奪い、自ら実行しかねない。
一方、リーマスは冷静だった。「こういう準備は必要だよ」と意見を述べた。

「シリウスには必要ないよ。ここから離れられないんだし、ここはいま、ダンブルドアが秘密の守人なんだから、危険なことなんてないよ」
「たしかに、いまのシリウスにできることは限られているけど、この戦いにすぐに決着がつくとは思えない」

それは感じているのだろう、リーマスの言葉に一瞬、彼女はひるんだ。
嫌な顔をされるとは思っていたが、それでもこの手紙を用意したのは、なにもできないもどかしさと、ダンブルドアへの反抗心があったためだ。
彼の判断が間違っているとは言わない。だがシリウスには、この戦いを生き抜きたい、という実感があまりない。あるのは、ワームテールやヴォルデモートにもう二度と、ハリーを傷つけられたくない、という強い思いだけだ。
このふたりにも言えないが、ハリーに危険が迫っているとわかったときは、なにがなんでも彼のもとに駆けつけるつもりでいる。命と引き替えでも、ハリーのためなら厭わない。
ただ手紙を用意することでしか証明できなくても、それがシリウスの覚悟である限り、ダンブルドアにもいつか伝わってほしかった。
あるいは、ジェームズに。

「いざというときでは、遅いかもしれない」
「いざ、というときがくることがおかしい。とにかくいまは承知できない」

彼女はなおも納得せず、酒が入ってるせいなのか、リーマスを相手に妙に頑固だ。あまりに感情的なので、不可解にさえ思える。
「いつなら承知してもらえるんだ」シリウスが口を挟む。すぐさま、「シリウスは黙って」と顔に向かって指を突き立てられる。なぜか話し合いの外に追いやられ、シリウスは目を丸くした。「これは、俺の遺書だぞ」
「ほら、遺書って言っちゃってるよ。こんなものを残したら、シリウスは心置き無くなって、なにをするか、わからないよ」
「まったく信用してないんだな、おまえは」
「信用してないわけじゃないけど」と味方だと思っていたリーマスが、言った。

「もちろん、ただじゃないよ、シリウス。その代わりに、今後も当分はここで大人しくしてるって、約束してくれるだろう?」

シリウスの目的は、しかしすでに達成されていた。彼女に反対されようと、リーマスに守る気のない約束をさせられようと、もうなにも意味はない。
もし約束を破るようなことがあっても、義理堅いこのふたりなら必ず、ハリーに手紙を届けてくれる。手紙の存在を彼らに知ってもらえさえすれば、じゅうぶんなのだ。
シリウスはふたりを騙しているような申し訳なさと、心からの感謝で微笑み、封筒を本に戻した。

「約束する」
「本当に?」

彼女は最後まで、シリウスに目を凝らしていた。
俺より、おまえたちのほうが用意しておいたほうがいいんじゃないか、と言おうとして、やっぱりやめた。冗談にならない気がした。

「ちなみに、なにが書いてあるんだい?」
「この屋敷の相続について、とか、まぁ、必要なことだけだ」
「あーあ」彼女が椅子に座ったまま、身体を伸ばす。「お酒が足りない」
それだけ飲んで、まだ足りないのか、とシリウスは驚く。厨房の酒類をすべて、飲み干す気なのだろうか。
「明日は早いんだから、もう休んだほうがいいよ」リーマスも苦笑している。

「明日から新学期かあ」

ハリーでさえ、ホグワーツに帰れることを喜んでいるというのに、彼女はなにもない天井を見上げ、憂鬱そうな口ぶりだった。
「モリーはおまえを頼りにしてるぞ」笑ったり怒ったり落ちこんだり、相手は酔っ払っているとはいえ、シリウスの口からはため息が出る。

「それはいいんだけど、防衛術の新しい先生が、ちょっと面倒そうだから」
アンブリッジ先生、と彼女がぎこちなく発音する。
「さっき少しだけ、シリウスとも話していたけれど、かなり面倒だと思うよ」
「おまえが新しい先生になったらよかったんだ」
「先生なんて、私にそんな立派な仕事はできないってば」
「スネイプは立派か?」

シリウスは苦渋の表情を浮かべた。「あいつの授業は最低だって、ハリーも言ってたぞ」
ふふ、と彼女が噴き出す。なにがおかしいのか、シリウスには理解できない。
「教育令なんて、ルシウスあたりがファッジに入れ知恵したのかもしれないな」
「あのひとの良いところって、本当に、顔だけだよね」彼女がしみじみと言った。
「は?」シリウスが聞き返し、リーマスは目をしばたたかせる。

「やつは死喰い人だぞ」
「だから、顔だけって言ってるでしょ」
「ああいう顔が好みなのかい?」
「そこじゃないだろ、リーマス」

賑やかな部屋の外で、すっかり忘れられたアーサーのいびきが響いていた。


しばらくここには帰ってこられないだろうから、ドローレスはきっと仕事の引き継ぎや整理でまだ自分の部屋に残っているだろう、とファッジは踏んでいた。訪ねてみると、ちょうどお茶をしていたところらしい。ファッジを快く歓迎し、魔法大臣直々の訪問に驚いてもいた。
部屋を埋め尽くしていた、ピンク色の私物が減っている。少し物足りなさを感じるくらいだった。

「わざわざ会いに来てくださって、光栄ですわ。大臣のぶんも、いまご用意いたしますわね」
「いや、かまわない」

立ち上がろうとするドローレスに、手のひらを向ける。
「きみも忙しいだろうから、時間はとらせないよ」
ファッジは、部屋に自分たちしかいないことを確認し、口元に拳をつくる。その手を、爪を噛んでやいないかと、ドローレスが注意深く見てくる。
咳払いすると、もう片方の手に持っていたファイルを、ドローレスのカップの横に滑らせた。

「これは?」
「ある人物の資料だ」
「だれですの?」
「ホグワーツで、きみが注意して見ておくべき人物のひとりだ」
「はっきりしませんのね」

ファッジのほうを窺いながら、ドローレスがファイルを開く。あまりピン、ときてなかった顔が、ファイルに目を通すうちに、変わっていく。こうなることを確信し、ファッジはこれを持ってきたのだ。
「この彼女が、ホグワーツに?」
「ホグワーツの副管理人だ。その資料を役立たせてくれることを期待するよ」
それを聞くと、ドローレスは残虐ささえ窺わせるような笑顔を浮かべた。「要はタイミングですのよ、大臣」
ダンブルドアのもとに、魔法省の人間をたったひとりで送りこむのは危険だと思っていたが、ドローレスは頼もしい限りだった。この人選は間違っていなかった、と改めて自信が持てる。
ファッジには、ハリーを尋問にかけたときの悔しさがあった。あそこですべて収束させるつもりだったのに、ダンブルドアに押し切られてしまった。だが、まだ駒はある。ドローレスが期待どおりの働きを見せてくれれば、彼の動向を見張れるどころか、ホグワーツを彼の城となる前に再生できるかもしれない。
そのためにはまず、あの城を守る壁をひとつひとつ、壊していかなくてはならない。
例のファイルを、ドローレスは旅行用のトランクにしまっている。
頬が引きつらせ、無意識に笑みを浮かべているファッジに、善良であろうとしたころの姿は、もうどこにもなかった。


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