01 花

深い艶がでるほど磨かれた執務机の前を、ファッジはさきほどから行ったり来たりしている。
魔法大臣室の大きな窓は、いまはすすべて締めきられており、彼の青ざめた横顔を、壁際の大きな暖炉で燃えている炎が不安げに照らしている。ときどき、硝子戸付きの棚に厳重に飾ってある勲章や表彰状に目をやり、さらに自分の肖像画を見上げて、いつものように気持ちを落ち着かせようとするが、耐えきれなくなったかのように、「ダンブルドアめ……」と再び右往左往しはじめる。

「あの人が戻ってきた? 馬鹿馬鹿しい……そんなことはありえん、そうだろう?」
「ェヘン、ェヘン!」

部屋の奥からその咳が聞こえ、ファッジは飛び上がった。彼の反応がおかしかったのか、同じ声の出所から、うふふ、と少女のような笑いがこぼれる。

「ドローレス、いつからそこにいたのかね」
「大臣がわたくしをお呼びしてから、ずっとここにいましたわ」
「こんな時間まで残ってなにを……え、いま、私がきみを呼んだと言ったかね? ……いや、すまない」
「いいえ、かまいませんのよ」

黒っぽい影が揺れ、暖炉の火が届くところに、ドローレス・アンブリッジの姿が、ぬっと現れた。ホグワーツから戻ってきて、外出用のローブも肩に羽織ったままのファッジを見て、「少しは落ち着きになられたら?」と気遣わしげに声をかけてくる。
「それどころではないのだ」ファッジは顔を背けた。声を低くし、ぶつぶつと呟く。「ダンブルドアはどうかしているに決まっている。あの人はとっくに葬られたというのに、なにをいまさら……」

「ェヘン、ェヘン!」

噛んでいた親指の爪から、顔をあげる。片眉をくい、とあげ、咎めるような目でドローレスが自分を見ているので、慌てて親指を背中に隠した。
冷静さを失ったとき、爪を噛むのはみっともない、あなたの悪い癖ですわ、と何度も言われてきたのだ。
あきらかに物問いげな視線を受け、つい数時間前に幕引きした三大魔法学校対抗試合のことを、第三の課題ののちに起こったことを、いまここでドローレスに話すべきかどうか、ファッジは迷った。
無意識に、ダンブルドアのことを思い出している。今夜、医務室で対峙した彼ではなく、ホグワーツの校長室でいつも自分を迎え入れてくれる姿を、だ。
ドローレスは、しかし唇をきゅっと結んだまま、取り乱すことはなかった。ファッジの話を聞き終えて、つぎに言葉を発するときには、微笑みさえ浮かべていた。
「わたくしには、こう考えられますわ」
うっとりしたような声音で、ドローレスがさらに部屋の中心へ歩み出てくる。

「“ハリー・ポッターが嘘をついている”」
「ハリーが?」

そこで、動揺しきっていたファッジの頭が、正常に動いた。
闇の帝王が復活した、それを目撃した、と主張したのは、正確にはハリーだ。目撃者はハリーだけだ。ダンブルドアは、彼の言葉を信じる、と言ったのだ。

「ハリーが嘘を……?」
「彼は物心がつく前から、その……」

アンブリッジは肩をすぼめ、笑みを含んだ困り顔をつくり、芝居がかった様子で息を吐いた。「少々、持て囃されてきましたわ」
「本来、彼は今回の対抗試合立候補できなかったはずだ……」ファッジは自分の頭が冴え渡るのを感じる。
もはや、このままひとつずつ検証していけば、受け入れがたいこの事態をすべて理解できるのではないか、という予感まであった。あるいは、強い期待だったのかもしれない。
意識はすでに、紅茶を勧めてくるダンブルドアがいる校長室を出て、アンブリッジに集中している。

「噂によると、ずいぶん、目立ちたがりのようですわね」

生き残った男の子。その言葉が頭に浮かぶ。
さらにここ数年、ホグワーツで起こった数々の騒動の中心に彼がいたことを思えば、それ以上、説明はいらないような気がした。

「しかし、自分の両親も被害者なのに、“例のあの人”が戻ってきたなど、悪戯では済まない話だ。それなのになぜ、ダンブルドアまで……」
「ダンブルドアがなぜ、騒ぎを起こそうとしているのか」
「騒ぎを起こそうとしている? ダンブルドアが?」
「狙いがあるのでしょう」
「狙い?」
「たとえば、あなたの地位」
「ばかな!」

ダンブルドアは、たしかに力も知恵もあり、なにより人望が厚い。ファッジが魔法大臣に就任するときも、彼を推す声は圧倒的に多かった。それでもファッジが大臣職に就いたのは、ダンブルドアが望まなかったからに過ぎない。

「彼は長く生きすぎたのかもしれませんわね」

まさか冥土の土産に大臣職がほしくなったとでもいうのだろうか。
気付くと、ずいぶん近くにドローレスが立っていた。
「この件については、わたくしにお任せくださるかしら」
執務机でひときわ輝く、ファッジの名前とともに“魔法大臣”と刻まれた、ネームプレートを丁寧な手つきで持ち上げる。
木製の台座に金のプレートをはめこんであるそれは、三角柱を寝かせたような形で、見た目どおり重みもあり、ファッジも気に入っている。毎日、入念に磨いているのだが、埃でもついていたのか、ドローレスがピンクのハンカチを取りだし、隅のほうを拭ってみせると、満足げにそれをファッジに胸の前で持たせた。

「わたくしが、あなたをお守りいたしますわ」

しっかりと受け取り、ファッジはうなづいていた。
手の中で、金色のネームプレートは、まるで涙を堪える瞳のようにゆらゆらと揺れる炎の明かりを映している。

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