22 祈り

許される理由がほしかった。
みんなのように、自分だけの不幸さえあれば、少しは許されただろうか。
愛されただろうか。


「申しわけ、ございませ……」

喉が震え、声を出すこともままならない。ピーターは、窓に板を打ちつけた部屋の隅で、床の上にひれ伏していた。
この季節でも、暖炉に火が入っている。立派な暖炉で、小柄なピーターの背丈ほども高さがあり、両腕をうんと伸ばしても、左右のふちに手が届かないだろう。炎が絶えず形を変え、じりじりと燃えている。
それでも彼の主人は、寒いと嘆く。水分がすべて抜けて、しわしわになった果物みたいにしぼんだ小さな身体を毛布で巻いても、寒さは癒えぬと言う。機嫌はずっと悪い。
一方、ピーターの額や脇の下は、汗が噴きだしている。じわりと湿る。鼻の先から、滴り落ち、染みを作る床から目を離せない。火があたるように置かれたひじ掛け椅子の影が、うずくまるように頭を下げるピーターのすぐそばで揺れている。

「ワームテール」

呼ばれた。冷たい、甲高い声が、ひじ掛け椅子の奥から聞こえる。

「ワームテール。俺様は、貴様に感謝している」

ぎゅっと目を瞑って、固い床に額を擦りつけた。この苦痛が早く過ぎ去ることを、ひたすら願う。

「俺様を探しに戻ってきたのは、貴様だけなのだ。クィレルがしくじり、アルバニアの森の奥深くに戻った俺様は、二度と力を取り戻せないのではないか、と恐れていた。俺様は眠ることもなく、一秒一秒を、果てしなくただ存在するだけで精一杯だった。そこに現れたのが、貴様だ。ワームテール」
「……はい。ご主人様、我が君……このワームテールでございます。わたくしめの忠誠心が、わたくしをご主人様の元へ……」
「ではなぜ、すぐ探しに来なかった」

冷たい声が部屋中に反響し、ピーターは震えあがった。歯が噛み合わず、ガタガタと鳴る。部屋の暗闇がのしかかってくるようだった。

「ワームテールよ。俺様の誤算だった。認めよう。俺様の呪いは、リリー・ポッターの愚かな犠牲のおかげで撥ね返り、我が身を襲った。痛みを越えた痛みだ……」身を捩るようなうめき声がもれる。
「貴様にはわかるまい。あれほどの苦しみとは思わなかった。肉体から引き裂かれ、霊魂にも満たない、ゴーストの端くれに落ちぶれた。この世のもっとも弱い生き物より、力もない。いまもまだ……」

声を聞いているだけで、気が遠退いていく。のどが、ひゅーひゅーと音を立てている。息を吸うばかりで、吐き出せない。植えつけられた恐怖がピーターの首を締めつける。自由を奪う。
震える唇を噛み、身体をさらに折り曲げた。鼻を啜る。ピーターはいつの間にか泣いていた。

「貴様がこれから味わう苦痛も、俺様のそれには及ばん」
「ご、ご主人様、どうか……」
「貴様が俺様の元に戻ったのは、忠誠心からではなく、かつての友を恐れたからだ」

主人の怒りに呼応するかのように、暖炉の火がはぜて一層、大きくなる。影が増幅し、かんたんにピーターを飲みこんでいく。
「だが」と彼の主人が言う。
「ワームテールよ。貴様はよい判断をしたな」
そのとき、冷たくも慰めるような声に変わっていた。

「ハリー・ポッターを殺さなかった。ただ意気地がなかっただけだろうが。それに、あの女に懐柔されなかった」

あぁ、と声がもれそうになり、一瞬、ピーターの震えが止まった。

「かつての友にも、貴様は救えなかった」

小さな不幸をいくつ掻き集めても、ピーターは彼らに敵わなかった。
シリウスは、自分の出身に苦しんでいた。血筋に縛られ、身動きできなくなっていた彼が、どんなに苛立っていても、周囲は彼を労い、慰め、決して見放すことはなかった。
リーマスには、物心をつく前に手に入れた、病があった。彼がどんなに恐ろしい獣でも、みんなで手を差し伸べ、必死に彼を繋ぎ止めようとした。
あのときもピーターは、彼らの一員になれはしたけれど、いつも疎外感を感じていたような気がする。
遠い国から異国の地にひとりでやってきたという彼女は、いつも孤独の影に苛まれていた。けれど、そのぶん、淋しくないように、といつもみんなに気を遣ってもらっていた。おまけに、両親もいない。母親には感謝しているが、片親だったピーターは、やはりだれにも勝てそうになかった。
ピーターの唯一の不幸は、彼らのようになりたい、と思ったことだ。平凡な人生を送ってきただけの自分が、彼らのようになれるはずがない。ピーターに出会うずっと前から彼らは、はじめから特別だったのだ。
自分という存在が霞んでいく。
いったいだれが、僕のようなつまらない人間を気にかけてくれる? だれが僕の心配をしてくれる? 彼らはお互いのことでいつもいっぱいになっていた。いつまで待っても、ピーターの番は回ってこない。
ひどく惨めな気持ちだ。仲間だと言ってくれたのに。

ふと、ジェームズのことがよぎる。
彼はなんでも持っていた。不幸がなくても、まるで王様みたいに、彼の周りには人が集まった。
でも、王様の人生最大の不幸を、いまじゃあ世界中が知っている。

尊敬が嫉みに、憧憬が卑屈にさせる。弱い心をねじ曲げる。

「あの女も所詮、偽善者だ」

心のなかで同意する。彼女も気づいてはくれなかった。
ピーターが思い出すのは、自分を組み敷いてきた彼女だった。
光の中から、傷だらけの手が伸びてきて、身体を押さえつけられる。自分を見下ろしてくる彼女の瞳は、ひびが刻まれ、いまにも砕けて、壊れそうだった。なんで彼女が、あんな顔をするのだろう。
先ほどよりも強く、胸が締めつけられる。彼女を思い出すたびにピーターを襲う、この衝動は、怒りなのか、それとも罪悪感なのか、時々、わからなくなる。

「力も持たぬくせに、他人に手を差し伸べる。綺麗事を並べ、憎むべき世界をさも愛しく見せ、相手を無防備にさせる、詐欺師なのだ」

たった今まで忘れていたのに、主人の言葉で、彼女の優しげな表情がおぼろげに思い出されそうになった。
首を振り、頭から閉め出す。騙されるな、と自分を鼓舞する。
わたしは弱い人間なんだ。彼女も知っていたはずだ。
だから、きみは、そんなふうに笑いかけるんだろう。

「最後には彼女も選ぶ。選ぶときがくるのだ」
「……ご主人様?」

そこで、主人の様子がおかしいことに気がつく。もはやピーターの存在を忘れ、話しながら感情が煽られているかのようだった。
目を凝らし、ひじ掛け椅子を凝視してしまう。その向こうで、さらに主人を煽らんと、炎がうねりを上げている。

「最後には見捨てるような、中途半端な優しさは、罪ではないか」

主人は、彼女に見捨てられたことがあるような言い方をする。

「罪人には罰が必要だ。死よりつらい、苦しみは、さぞやあの女に似合うことだろう。幸い、彼女は失うものが多すぎるようだ。ワームテールよ」

主人がいかにも嬉しげに言ったとき、目の前が真っ暗になった。蝋燭の火を吹き消すような容易さで、あれだけの燃え盛っていた暖炉の炎が消えていた。白い煙と一緒に、彼女の姿も漂い、ちぎれる。
「ひ」びくっと身体がすくみ、首を引っ込めた。

「運のいいやつだ。貴様はしくじったが、あの男は死んだのだ」

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