小説 | ナノ


▽ 11


 しばらくしまいっぱなしだった実験器具を、一つ一つ丁寧に棚から降ろす。水で軽くすすぎ、蒸留水を流しかけてから、清潔なナプキンで手早く水気をぬぐい、机の上に並べていく。採取したばかりの薬草を並べ、ようやく試薬作りの準備は整った。
「いろんな形の瓶があるんだね!これはいったいなんていう道具なの」
「こっちの瓶みたいなやつがビーカーで、下の方が三角や丸になってるのが三角フラスコや丸形フラスコ。で、こっちの細長くてメモリが入ってるのが」
「メスシリンダー。……なんでお前がなんでここにいるんだ」
 反射で答えてしまってから、ようやく正面の机に座ったライゼとトレイズに目を向ける。二人はそわそわと体を揺らし、食い入るようにこちらの手元を凝視していた。ああ、やってしまった。視線が痛いから見ないふりをしていたのに。
「ゼーレくんがお仕事してるとこ、一度見て見たかったんだよねぇ」
 椅子にちょこんと腰かけて、にこにこしながらライゼが言う。どこから引っ張り出してきたのか、白衣を肩にひっかけた見慣れないいでたち。その胸にはご丁寧に、「初心者のための薬学講座」と書かれた本が抱えられていた。もしかしてそれで予習でもしてきたのか。その割には基本的な器具の名前も知らなかったので、雰囲気作りの一環かもしれない。その隣では、同じように白衣を羽織ったトレイズが、ノートを広げてせっせと何か書き込みながら、顔だけ興味津々といった様子でちらちらこちらの様子をうかがっていた。
「いやぁ、ゼーレが久しぶりにお仕事するっていうから、よっしゃ様子見てやろうと思って」
「これまで仕事してなかったみたいな言い方をやめろ。それになんでお前まで白衣なんだ」
「へへ、ライゼちゃんとお揃いいいだろー」
 裾をつまんでにかっと笑うトレイズ。いやそれを言うなら俺も同じ恰好をしているんだけど。というかお前らが着てるのだって元をただせば俺の白衣だ。ライゼが着るには裾が余るし、トレイズが着ると全体的に窮屈な印象を受けた。
「いやさ、実は俺この後人と会う用事があって、服を万が一汚しちゃったら大変だし」
 時間もないから早く早く、と急かされる。あんまり注目されてるとやりにくいのだが、この二人は全然それを考慮してくれる気がないらしい。
 頭を振って気持ちを目の前の薬に集中させる。イチカの花を刻み、ニニエの葉と一緒にすりつぶしていると、ライゼが「そういえばさ」と声をかけてきた。
「私、まだ聞いてなかったんだけど、結局ゼーレくんってなんの薬を作ってるの?」
「先天性鳥口上筋硬直性疾患の特効薬」
「せんてんせい……えっと……?」
「ほら、鳥族の中には、生まれつき羽根があるのに飛べない子供がいるだろ?ゼーレが作ってるのは、ざっくり言えばその病気を治すための薬だよ」
 トレイズの言葉にライゼは「ええっ!」と大きな声を上げて椅子の上で飛び跳ねた。衝撃で落ちかけた本を慌てて抱えなおし、そのままの勢いで身を乗り出す。
「そ、それほんとなのゼーレくん!」
「具体的には、筋肉が動かないせいで飛べない子供を治すための薬、だな。それに、幼い子供ならともかくある程度成長してしまってからはあまり効果が出ないかもしれない。使わない筋肉はどんどん委縮してしまうから……」
 原因を取り除いたところで、委縮した筋肉まではもとには戻せない。厳しいリハビリをして、それでも飛べるようになるかは五分五分というところだろう。
「結局、最終的には患者の努力に頼るしかない。まあ、薬で治せるものにも限界があるってことだな」
「えーそれでも全然すごいよー!飛べるようになるかもしれないって希望があるだけで全然違うよ」
 それに、その薬が完成したら、もう飛べないせいで周りからうとまれる子供もいなくなるんだね。ライゼがふわふわとした、まるで夢でも見ているような面持ちで呟いた。「そうだな」と隣のトレイズも、珍しく真面目な顔でうなずく。
「実際、この薬ってどのくらいまで完成してるんだ?」
「硬直した筋肉をほぐす効果のある成分はわかった。でも、それだけだと毒性が強いんだ。今は、毒性を抑えつつ効果の出る配合を色々試しているところ。……よし、できた」
 薄青く透き通った液体が、ビーカーの中で揺らめいた。「おお!」と声を上げて、二人が身を乗り出してくる。
「綺麗な色!」
「このまま投薬実験に移るけど、トレイズは時間やばいんじゃないのか」
 声をかけると、トレイズはちらりと時計を確認し、しまったというように顔をしかめた。
「やべ、言われてみりゃ確かにまずいかも。あーこれからだってのに。まあ、一番見たいところは見れたからいいかな……」
「客待たせても悪いだろ。早く行け」
「客っつってもお前もよく知ってる人だよ。エンドレイクさん。この前会ったとき、今日この村によるつもりって言ってたから」
「ああ、あの人か」
「エンドレイクさん?」
「この村に食料を売りに来てくれる行商人。帰りしなに、時々うちの薬も買って行ってくれるんだ。ヘクセが暴れてるのに来るなんて、あの人もたいがい仕事熱心だな」
「ピンチの時こそ商売のチャンスって言ってたぜ。大した商人魂だよな。俺も見習いたいなぁ」
 トレイズはそれからしばらくは名残惜しそうな態度でいたが、広げていたノートをしまい白衣を脱ぐと、「後で結果教えてくれー」と言い残してバタバタと家を飛び出していってしまった。
「あいつ、もう少し落ち着けないものかな。昔はもう少し、落ち着いた奴だったのに」
 ぼやきながら、鳥の雛をケースから取り出す。暴れる体を押さえつけながら、羽根の付け根にそっと注射針を押し当て、ゆっくりと薬を押し込んでいると、くすくす、と軽やかな笑い声がした。
「ふふ、でも、トレイズくんってそういうところがちょっと憎めないというか、見ていてなんだか元気が出るよね」
「まあ確かにな。そのせいか、俺と違ってあいつは子供の頃から人気者だったし」
「そうなんだ。二人が昔はどんな子供だったのか興味あるな」
 ライゼが無邪気に言った言葉に、一瞬動きが止まった。昔。子供の頃。じわり、と手のひらにいやな汗がにじむ。突然胸の中に氷でも投げ込まれた心地がして、気取られないように深呼吸を一つ。
「昔の話って言っても、あんまりおもしろい話はないよ。俺は植物のことに興味があったから、それ関連の本ばかり読んでた。トレイズはみんなの輪の中心にいたけど、その輪に俺は加わらなかったから詳しい話は知らない」
「あーなんだか想像がつくなぁ」
 幸いにも、ライゼは俺の動揺には気付かなかったようで、目を閉じて何やら想像に浸っている様子だった。
「そっか、昔からそうやって勉強してたから、今こうやって薬屋さんになれたんだ。ゼーレくんはやっぱりすごいね」
「すごい?」
「だって、昔から好きだったものを今こうしてお仕事にできてるでしょう?」
「それはお前もだろう。それに、俺にはこれしか取り柄がなかっただけだよ」
 目を伏せる。土いじりくらいしか能のない、神様に見放された子供だと、昔はそんな言葉ばかり言われていたことを思い出した。嫌な味のする唾を飲み込んで、必死にその声を意識から追い出す。
「どうしてゼーレくんはすぐそんなこと言うのかなぁ」
 ふと、そんな寂しげな声がして、俺ははっと顔を上げた。
「私には薬の作り方なんて全然わからないから。私にできないことができるゼーレくんのこと、本当にすごいと思ってる。ううん、私だけじゃない、トレイズくんだってそう思ってるから、だから君と一緒にいるんじゃないの?」
「そうだったらいいんだけどな。でも、違うよ。トレイズは、優しいやつだから。ずっと前のことを今でも引きずってるんだ」
 俺は途方に暮れた。なんでお前がそんな顔をするんだ。泣きたいのはこっちだというのに。
「どういうこと?」
「俺に罪悪感があるから一緒にいてくれてるってことだよ。それにほら、実際俺なんて、大した奴でも何でもないだろ」
 なにか言いかけたライゼに、ケースのほうを指で指し示す。そちらを振り向いた彼女は、中のものを見とめると少し青ざめて唇をかんだ。
「また失敗した」
 雛は、ぐったりと動かなくなっていた。

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