小説 | ナノ


▽ 12


 実験器具を片付けてリビングに戻っても、ライゼは血の気の引いた唇を引き結び、宙を睨んで何かを考え込んでいるようだった。いつも明るい彼女からは考えられないほど周りの空気がピリピリと引きつっている。その横で、俺は力なく体をソファに沈めることしかできなかった。なにか声をかけなければと思うのだが、俺の何が彼女を不快にさせてしまったのかもわからない。対処に困る。これならば、まだ怒鳴り散らしてくれた方がまだ楽だ、とさえ思う。
 それに、体にはどっしりとした倦怠感がのしかかっていて、正直人を気遣うのも億劫だ。実験に失敗したときはいつもこう。なんとなく失敗する予感はあったのだけど、今まで組み立てていた理論が間違っていたのだと突きつけられるのはやっぱり厳しい。それに、そう、久しぶりに昔のことを思い出したのも、この泥のような疲労感の原因かもしれなかった。
 居た堪れなくなって、先に部屋に戻ろうかと立ち上がる。何か言いたげに顔を上げ、それからすぐに視線を俯けさせるライゼを横目に扉をくぐろうとした時だった。
 ピンポーン。
 突然響いたチャイムの音に、ライゼの肩がびくりと跳ねた。緊張の糸が切れたのか、きょろきょろと周りを見回すその表情はいつもの柔らかい雰囲気に戻っていて、俺は安堵の息を漏らす。いつもなら来客など糞くらえだが、この時ばかりは福音のようだ。
「お客さん……?」
「そうみたいだ。珍しいな」
 様子を見てくる、と言い残し、自然な態度でリビングを後にする。覗き穴から外の様子を伺うと、意外な人物がそこに立っていた。
「エンドレイクさん、トレイズのところに行ったんじゃなかったんですか」
 招き入れながら声をかける。凄腕の行商人であるエンドレイクは、その綺麗に整えられた顎鬚を撫でながら柔和な笑みを浮かべて見せた。
「いやあ、ここに来る前に寄ったんですけどね。なんでも今は食料が不足がちだから、村の方で一旦私が持ってきた食料を全て買い取ってくれるそうで。今は、どう食料を各家に分配するのかの協議中です。よそ者の私からは特に言えることもないので、一旦家を辞させていただいたんですよ」
 柔らかな笑みを浮かべてはいるが、その言葉の端々が陽気に弾んでいる。さぞ高い値段で売りつけたのだろう。村長が渋い顔を浮かべたのが容易に想像できて面白い。エンドレイクは慣れた様子でリビングへと向かい、ライゼの姿に気づいておや?と声を上げた。
「やあ、これは可愛らしいお嬢さんだ。いつの間にこんな可愛い子を捕まえたんです?意外とすみに置けませんね」
「エンドレイクさんも、ヘクセの話は聞いてるでしょう。彼女は、異変の調査のためにきた魔物ハンターの方です。宿が取れなかったため、代わりにこの家を提供しているんです」
「宿が取れない?おかしいな、私も先ほど宿に寄りましたが、快く部屋を開けてくれましたが」
「食料の当てができたから、でしょうか」
「そうでしょうか……まあでも、非常事態ですからね。そういうこともあるのかもしれません。えっと、お嬢さん、お名前をお伺いしても?」
 突然話を振られたライゼは、目をぱちくりとさせた。緊張のためか、いつもより少し背筋が伸びている。
「あ、はい。○○協会から派遣されてきました、ライゼと言います。ゼーレくんには良くしていただいて……」
「ああ!もしかして、○○討伐にも参加したライゼさんですか。お噂はかねがね伺っております」
 打てば響くようにエンドレイクがそう言ったので、俺はあせった。もしかして、俺が知らないだけで有名人だったのだろうか、そう思ってライゼの方を見るが、彼女もまたぽかんとした顔を晒していた。
「どこかで会ったことありましたっけ」
「いえ、直接は。ですが、○○協会には何度か護衛をお願いしたことがあるんですよ。行商の旅は常に危険と隣り合わせ、積荷を魔物に狙われることもありますから。そして何度も出入りしていれば、そこの構成員の名前や業績というものは自ずと耳に入ってくるもの」
「は、はあ……」
「地道に顔と名前を覚えていくことが、次の商売につながりますからね。これから伸びる人材に投資しておけば、あとあと倍になって返ってきます。まあ、商人の性というものです」
 ふふ、とやはり柔和な笑みで答えるエンドレイク。穏やかそうな風貌だが、目だけが狡猾な商人の眼差しでライゼのことを検分しているのを俺は知っている。そして、その商人の目がつと俺の方によこされた。
「そういう意味では、私はゼーレくんにも期待しているんですよ。この巨大樹の森の多彩な植物に精通し、薬学の知識を持つ者はそうはいませんから」
「ありがとうございます。精進します」
「今はどうですか、商売の方は」
「正直全然ですね……ヘクセの一件で出歩く人も減って、そもそも店に足を伸ばしてくれる人がいなくって」
「ははあ、なるほど。それは大変ですね。前に考案していると言っていた薬の方は?順調ですか?」
「あー、ええと……」
 痛いところを突かれて俺は視線を彷徨わせる。まさかさっきも投薬実験で失敗したばかりなんて言えないだろう。腰が引けた俺の代わりにずい、と前に出たのは、さっきまでエンドレイクに圧倒されっぱなしだったライゼだった。
「もう、後は副作用を抑えるところまで来てるんです!完成したら、先天的に飛べない子供を治療できるって。ね、ゼーレくん」
「ああ、魔女の子供に対する薬ですか」
 さらりと返された言葉に、俺は怪訝そうに眉を寄せた。魔女の子供?聞いたことがない。しかし、エンドレイクは何も気にしていない風で、そのまま話を続けてしまう。
「首都ではそもそも鳥族の人間が少ないのでわかりませんが、ほかの地域に住む鳥族に売り込みをかけれるかもしれませんね。ああ、でも、魔女の子供ってこの地域限定の病気でしたっけ……」
「ちょっと待ってください、その、魔女の子供っていうのは……?」
「羽根が動かない子供のことを、そう呼ぶのではなかったですか?以前見た文献に、そんな記述があったような気がしましたが」
 思わずライゼと顔を見合わせる。頭をフル回転させても、そんな記述を見かけた覚えがない。
「忌子という呼び名は聞いたことあるけれど、魔女の子供と呼ぶ話は初めて聞きました」
「ああ、今は忌子と統一されているのですね。かなり前の文献だったので、今は使われていない呼び名なのかもしれませんね」
「でも、一体どこから、魔女の子供なんて呼び名になったんだろうね?」
 不思議そうに言ったのはライゼだった。俺もそれが引っかかっていた。
 鳥族の間で魔女といえば、それはそのものヘクセを指す言葉だ。それがどうして、
「どうして、ヘクセが飛べない子供と同一視されているんだ」
 そこまで言いさした俺の体を打ったのは、それは正しく稲妻だった。
「ライゼ、村の人達に、ヘクセの子供の姿を見た者がいないか確認してきてくれないか」
 言葉は少し、震えていたと思う。はやる心を必死に抑える。ライゼが怪訝そうな顔で振り返って、俺の顔を覗き込んだ。
「う、うん。でもどうして?」
「ヘクセの子供は病気だ。飛べないんだよ」
 じわじわとライゼの顔に理解が広がっていくのを待つのももどかしく、さらに早口で畳み掛ける。
「ヘクセが暴れる年は、飛べない子供が生まれることが多い。おそらく病気になりやすい時期にはムラがあるんだ。ヘクセが暴れるのは子供が巣立ちを終える頃。でももしも子供が病気だったら?」
 その言葉で、ライゼはようやく全て理解したようだった。その瞳に、仕事モードの時の冷静な光が宿る。
「そっか、ヘクセの子供は、まだ巣にいるんだね」
「そう。親鳥は子供が病気であることに気づき、そのストレスで暴れている可能性がある」
「私、先に村の人たちに聞いてくる!」
 言うが早いが、身を翻したライゼが弾かれたように家の外へと駆け出していく。俺は追いかける気力もなく、ふらふらとソファに座りなおした。
 もし、もし俺が考えている通りなら。
 今作ってる薬が完成したら。そしてヘクセの暴走を止める俺はもう一度、鳥族の仲間として受け入れられる日が来るんじゃないかと思った。思ってしまった。
「落ち着け、まだそうと決まったわけじゃない。そして薬だって完成するとは限らないんだ」
 それでもそれは、目眩がするほど甘い想像だった。だから俺は気付かなかった。近くで、顎をさすりながら思案に沈むエンドレイクの顔が少しずつ険しくなっていくのを。
「飛べない子供……ライゼ……白い羽根のハンター……ああ、そうか。彼女がそうだったのか」
 エンドレイクははっとしたように頭を上げ、俺の肩を揺さぶった。その顔は、彼が初めて見せる、余裕の欠片もない切羽詰った顔で。
「ゼーレくん。早くライゼさんを追いかけたほうが良い」
 エンドレイクが思案深げな声で続けた言葉を、俺は最初、理解することができなかった。
「ライゼさんは確か、飛べない子供の一人だ。君と同じ忌子なんだよ」
 今こいつはなんて言った?
 ……ライゼが飛べない、だって?

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