小説 | ナノ


▽ 16


 ライゼがいたのは、イチカの花が咲くあの丘だった。青白い月光が差し込む中、ライゼはこちらに背を向けてしゃがみこみながら何かをしているようだった。その体は、遠目から見ても細かな擦り傷や切り傷ばかりで、服も少しくたびれている。
「ライゼ、その傷」
「やっぱり、ゼーレくんの言うとおりだった」
 依然としてこちらを振り返らない、その頑なな背中に、少し胸が切なくなる。
「ヘクセの子供は、まだ巣の中にいた。もう雛とは言えないくらい大きくなってて、なんだか弱ってるみたいだった」
「行ったのか。ヘクセの巣に」
「うん。……ねぇ、少し、私の話をしていいかな」
「聞かせてくれ」
 そっと促せば、ライゼが小さくうなずくのが見えた。
「ゼーレくんは私のことを強いって言ってくれたけど、そしてそれはとっても嬉しかったけど、でも小さい頃は私、とっても弱虫だったんだ。周りの人からいろいろ言われて、自分は出来損ないなんだって、そう思い込んでた。外に出るのが嫌で、引きこもってばかりいた」
 唐突に始まった昔話で語られる彼女は、今の彼女とは全然違っていて。それでもなぜか、しゃがみこんだ彼女の小さな背中が、幼い彼女の姿と重なったような気がした。
 ゼーレくんとおんなじだね、と言って、ライゼが少し笑う。
「鳥族の村を捨てて、首都に行こうって言ったのはお父さんなの。きっと、この村とは違って私のことを受け入れてくれる人もいるからって。……私、最初は反対した。出来損ないの私は、きっとどこに行っても歓迎なんてされないから。それだったら外に期待なんてしないで、家に閉じこもっていたいって。でもね、首都に行ったら、私の価値観なんて根本から覆された」
「そんなに違うのか。首都は」
「うん。首都の人たちは、鳥族とは違って羽根を持ってないでしょう?だから私のことを、飛べない子供じゃなくて、綺麗な羽根をもつだけの、ただの人間としてみてくれた。その時気づいたんだ。私を苦しめていた価値観は、外の世界ではこんなにちっぽけなものだったんだって。所変われば、そこに住む人たちの価値観なんて、がらりと変わってしまうんだって」
 それは、俺には想像もつかない世界の話だった。
「首都で暮らしているうちに、周りの人の言葉、いちいち聞いてるのも馬鹿らしくなっちゃった。自分が何ができて何ができないのかは、自分の目でちゃんと確かめようって思った。外の世界が新鮮で、あちこち走り回っているうちに、私が他の人より少しだけ、運動神経がいいってことに気づいた。その頃だったかな、魔物ハンターの道を、目指してみる気になったのは。……昔本を読んで、憧れていただけの頃は、実際自分が魔物ハンターになろうだなんて考えもしなかったんだけどさ」
 そこで、彼女は少し言葉を切った。彼女にとって、大切な思い出なのだろう。続けた言葉はとても優しく、いとおしむような声音だった。
「初めて仕事をこなして、お礼を言ってもらえたときは嬉しかったなぁ。私は飛べない子供だったけど、代わりに別の武器を持っていた。ずっとそれに、気付かないままでいたんだ」
「うん」
「ヘクセの調査の任務はね、実は自分から立候補したの。強くなった私を、この村の人たちに見てほしかった。……やっぱり、この村の人たちは変わらなかったけどさ。でも、確かに変わったものもあったんだよ、ゼーレくん」 
「ああ。……俺も、そう思うよ」
 弱虫だったライゼが、それでも村の人たちに、果敢に言い返していたのを思い出す。
 村人達は、いまだ鳥族特有の価値観の中で生きていた。
 なら、変わったのは、ライゼ自身だ。
「本当は、村の人たちにまたあれこれ言われたら、元の弱かった自分に戻っちゃうんじゃないかって、少し不安だったんだけどね。でも、今は、私に出来ることがちゃんとあるって、そのことを認めてくれる人もいるってわかってたから。昔、周りと一緒になって、できない子なんだって決めつけていたもうひとりの私が、大丈夫って言ってくれた気がした」
 だからさ、と言って、ライゼは立ち上がった。
「周りの価値観なんて、それに染められちゃった自分なんて、もう終わりにしよう?ゼーレくんにだって、そのための武器はちゃんとあるんだから」
 振り返る。まるでこちらを睨みつけるような、強い眼差し。頬に残った涙の跡。その胸に抱えられたものを見て、俺は、ああ、と深い息を漏らすことしかできなかった。
 飛べない子供を治すための薬。その材料となる植物たち。色とりどりの草花を束ねたそれは、まるで花束のように見えた。
「足りなくなったら私がまた採ってくる。ゼーレくんが、薬を完成させるまで。だから」
 ぐい、と花束を俺の胸に押し付ける。
「だから、絶対に薬を完成させて!君の力を証明してよ!」
 ぐ、と体に力が入った。どろりとした何かが背骨の中を滑り落ち、臓腑のあたりがかっと熱くなった。
「ありがとう」
 お礼の言葉も花束を受け取る手も、細かく震えていたと思う。
 言わなきゃいけないことがたくさんあった。勝手に自分ひとりで諦めたことを謝って、それからもう一度頑張ってみるって、そう伝えるつもりだった。
 けれど、そんなことをしなくても、そもそも彼女は、俺が諦めるなんてこと、全く考えていなかったのだ。
 俺はそっと、不格好な花束に顔をうずめる。
 トレイズからの信頼も、ライゼからの期待も、自分の願いも、やっぱり俺には重かったけれど。
「これだけのものをもらったのだから、応えたいな」
「何か言った?ゼーレくん」
「いや、なんでもない」
 いつになく穏やかな気分で言えば、ライゼは少しきょとんとした顔をして、それからふわりと微笑んだ。
「良かった。心配してたけど、余計なお世話だったみたいだね。ゼーレくん、なんだかさっぱりした顔してる」
「実は、ここに来る前に、トレイズにも似たようなことを言われたんだ」
 途端、ライゼは呆気にとられた顔をして、それからむっとしたように頬を膨らませた。
「えーずるい!私が一番最初に言おうと思ってたのに!」
「なんだそれ」
 少し苦笑して、それからそっと花束を脇に抱え直した。
「ライゼ、まずは、君の傷を手当させてくれないか」
差し出された傷だらけの手に、丁寧に包帯を巻きながら、言う。
「帰ったら、また一から理論の組みなおしだな」
 ライゼは、笑ってうん、と頷いた。

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