小説 | ナノ


▽ 8


 こうして始まった共同生活は、意外にも順調に進んでいた。ライゼが、家事と名のつくもの全般を壊滅的なまでに苦手としている事を除けば、だが。
 それに気づくまでは大変だった。片付けだけではない。料理を頼めばキッチンはしっちゃかめっちゃかになるし、干したはずの洗濯物は生乾き。今までどうやって暮らしてきたのか。本人は、寮のスタッフが助けてくれたと言っていたけれど。
 結局、ライゼに家事に触れないように言うことで、この問題はひとまず解決した。これでも長いこと一人暮らしをしてきた身、一人分の家事が増えるくらいなら、どうということはない。どころか、店の方はヘクセの影響で閑古鳥が鳴きっぱなし。本業が実質お休みになったことで、むしろ時間が余る有様だった。俺は、これ幸いと新薬の成分配合を練り直す作業をして日中を過ごす。久しぶりの穏やかな日々がそこにあった。
 「ところでさ、こうしてる時間って、お給料出るのか?」
 外出注意報が出て数日経った頃。いつものようにお昼をたかりに来たトレイズが、じゃが芋の皮を剥きながらぼやいた。
「仕事がないのに出るわけないだろ」
 バッサリ切り捨てると、トレイズは「そりゃないぜ」と大仰に空を仰いでみせる。仕草がいちいちうるさい奴だ。彼はしばらくそうやって空を仰いでいたが、そのまま流れるように、リビングに続くドアからじーっとこちらを眺めるライゼへと目をやった。
「で、なんであの子はさっきからこうやってこっちを見てくるわけ?」
「俺がキッチン立ち入り禁止を命じたから」
「なんでぇ。手伝ってもらえばいいじゃん」
「女のくせに、料理がダメなんだよあいつ。不器用こじらせてるんだ」
 前は鍋がひとつダメになった。ため息混じりにそういえば、トレイズも苦笑を漏らす。慌てたようにライゼが割って入った。
「た、確かに前はちょっと失敗しちゃったけど、練習すればできるようになるし!」
「後始末するのは俺なんだぞ」
「でも、お世話になりっぱなしなのって、結構こたえるんだもん」
「じゃあ、俺のために大人しく座っててくれ」
「ぐう」
 妙な唸り声を上げてライゼは沈黙した。それでも、こっちを睨みつけてくるのはやめない。その大きな目に、「私も皮むきしたい」と書かれている幻覚が見えて、俺は頭を振る。
「まあまあ、人それぞれ出来ることは違うんだから、ライゼちゃんはライゼちゃんの出来ることをすればいいんじゃないか。家事だけが全てじゃないんだし」
「うーん、でも剣はもう預けちゃったし、ほかに私が得意なことなんてあったかなぁ……」
「じゃあ、これまでの数日間、ライゼちゃんが何してたか聞かせてくれよ。可愛い女の子の話は、それだけで場が明るくなるからさ」
 流れるような口説き文句に、俺は呆れを通り越して少し感動してしまった。そうか、こうすれば角も立たないのか。見れば、ライゼも少し顔を赤らめている。
「えーもう、トレイズくんうまいなぁ。って言っても、特にやれることもなかったんだよね。さっきも言ったけど、剣が直るまでフィールドワークにも出れないし、最近はずっと書庫で調べ物をしていたよ」
「あー、ゼーレの書物収集癖が役に立ったか。すごいだろあの部屋。実は、集めてる本人も全部は読みきれてないって話だぜ」
「しょうがないだろ、流石にあの量はちょっと……でも、知らない本を見るとつい買いたくなるんだよ」
 我ながら言い訳がましいと思いながらもそう反論すると、ライゼはくすくすと小さく笑みをこぼした。
「まあ、天井まで本がびっしりだったもんね。ただ、ヘクセの生体に関する本はあんまり見つからなかったなぁ」
「ヘクセは、鳥族にとっては神様みたいなものだしな。巣の近くに無闇に立ち入るのは禁止されている。それに、忌子の年でなくとも、ヘクセは巣に近づくものには容赦がない」
「そうだよなぁ。俺は姿を見たことはないけど、でっかい鳥なんだろ?そんなヤツの怒りを買って、生きて帰れる保証もないしな。どんなクソガキだってへクセの巣には近づかないよ」
「そのせいで、ヘクセに関する情報があんまりないんだろうな」
「そっかぁ。うーん、できれば私も、もうちょっと情報が集まってからの方が動きやすいんだけど、そういうことならしょうがないね。あ、でもね、面白い表記は見つかったんだ。そもそも、どうしてヘクセが凶暴化する年のことを、忌子の年って呼んでいるのか、二人は知ってる?」
 思いもよらない言葉に、俺たちはそろって首をかしげる。そういえば、理由なんて考えたことがなかった。昔からそう呼ばれてきたから、俺たちもなんとなくそう呼んでいただけだ。答えがわからないのを察したのか、ライゼがいそいそとメモ帳を広げる。
「ええとね、なんでもヘクセが凶暴化する年は、忌子、特に羽根があるのに飛べない子供が多く産まれる傾向にあるみたいなんだよね。それを不吉に思って、忌子の年、と呼んでいたみたい。今ではもう、名前だけ伝わってるみたいだけど」
「私からの報告はおしまい」と言って、ライゼはパタンとメモ帳を閉じた。はぁ〜とトレイズが感嘆ともつかないため息をこぼす。
「忌子に対して差別意識があるのは、そういう意味もあるのかもな。不吉の象徴だったからっていう」
 それから、大丈夫かというような目で俺を見るので、ひらひらと手を振ってみせる。今更不吉の象徴だからなどと理由を持ち出されても。はいそうですかと思うだけだ。そこには特に憤りも悲しみも感じなかった。
「まあ、これらの情報が役立つかは全然わかんないけどね。ううん、やっぱりもうちょっと情報が欲しいかな」
「まあでも、あれだけの本の中からヘクセのことを調べるのは大変だったろ?お疲れ様」
 トレイズがそう言って労うと、ライゼはにこりと笑った。
「ありがとう。まあ、お仕事だしね。これくらいはやらないと。……ゼーレくんへの恩返しは、またゆっくり考えてみるね」
「俺としては、大人しくしてくれればそれで全然構わないんだが」
「そういうわけにはいきません。私、これでも結構義理堅いんだよ。というわけで、今はとりあえずその皮むきをだね」
「想像以上にしつこいなお前」
 何度俺が断ったって、その度に食い下がるライゼに、なんだか肩の力が抜けた。大惨事になる未来は簡単に予想がついたのに、それでもいいやという気になってくるから不思議だ。少し場所を開けて手招きすれば、目を輝かせて入ってくる。さっきスラスラ報告していた時はあんなに大人びて見えたのに、こうしていると幼い子供にしか見えない。その様子を笑いながら見ていたトレイズがこう言った。
「ま、じゃが芋なんて、小さくなろうが不格好な形になろうが、味は変わらないからな」
……結局、その日はいつもの三倍の時間をかけて、四苦八苦しながらスープを作った。野菜の形は不揃いになってしまったけれど、そのところどころ不器用さがにじみ出たスープは、とても温かく、どこか懐かしい味がした。

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