小説 | ナノ


▽ おはじき遊びと古い傘 2


 それから二人は、小さな山を端から端までぐるぐると歩いてまわった。太一はものすごく山に詳しい。歩きやすい道、動物達が通る道、綺麗な花が咲いている道。なんでも知っている彼に、美香は少しずつ惹かれ始めていた。
「男の子って、みんなこんなに山に詳しいの?」
「うん、山は最高の遊び場だから」
と太一は言って、それから得意そうに胸を張る。
「ま、俺が一番詳しいに決まってるけどな」
「ふーん」
「それにしても見つからないなー……どこ行ったんだろ……なあ、ちょっと休憩しようぜ。もうちょい登ったところに物置小屋あるし」
 物置小屋は、雑木林の奥にある少し古ぼけた木造の小屋だ。いつも薄暗くて、しんと静かで、陰気な感じがするからいつもはあんまり近寄らないんだけど。
「疲れたぁ……」
 小屋に入ると、美香はぐいと体を伸ばした。髪や服についた雨粒をはらい落とす。
「もう疲れたの?だっせぇ」
「女の子だからしょうがないもん」
 そう軽口をたたいて、お互い顔を付き合わせてにや、と笑う。男の子って不思議だ。初対面でもあんまり気を使わなくてもいいし、少し落ち着く。雨の日の小屋はいつもよりじめじめしていて薄暗く、だけど懐かしいにおいがした。ほこりと雨と湿った木材のにおい。
「そうだ」
 美香は思いついて、ランドセルから宝物のつまった缶を取り出した。覗き込んで来る太一の前で、床の上に中身をあける。
 さらさらとこぼれ落ちたのは、色とりどりのおはじきだ。美香は、小さい頃からおはじきが好きだった。ビー玉もいいけど、おはじきがいっとう好き。厚さも形も色もみんな違う。ちょっと不格好なところが私たちみたいだな、と美香はこっそり思っていた。
 おはじきは、薄闇の中でキラキラと秘めやかに煌めいた。いつもよりずっとずっと綺麗に見える。
「これ、お母さんにもらったの」
「そっか。いいなあ」
 そういうと、太一はごそごそとズボンのポケットを漁りはじめた。
「俺もおはじき持ってるんだ。自分で集めた奴だけど」
 ポケットから出てきたのは、よくみるガラスのおはじきではなくて、すべすぶして平たい小石達だった。その中に一個だけ、ガラスで出来たおはじきが混ざっている。他のおはじきと比べると、少しだけ大きくて、少しだけ薄いおはじきだ。お母さんみたい、と美香はとっさに思った。
「これはさ、もらったんだ。友達から」
 視線に気づいたのか、太一がその水色のリボンを溶かしこんだようなおはじきをなでながら言う。そのまあるい形は、太一の指にすんなり馴染んだ。そういうと、太一はにこっと微笑む。あ、と美香は思った。あ、この顔、好きだな。
 それから二人は、しばらくおはじき遊びに没頭した。美香は、おはじきが得意な母親譲りの名選手だ。でも、太一もなかなか強い。どんなに狭い隙間でもつつっと指を通すし、力の加減もうまかった。結局、勝負は美香の勝ちで決着がついたが、かなりギリギリの勝負ではあった。
「美香ちゃんつえええ。俺結構自信あったんだけどな」
「私、小さい頃からずっとおはじきしてるんだから。でも太一君も強かったよ」
そう言って一息ついた美香は、ようやく部屋がさっきより暗くなっていることに気づいた。慌てて窓の外を見ると、もうすっかり日が翳っている。
「大変! もうこんな時間! ごめんね、遅くまでつき合わせちゃって」
 とたん、太一の声から明るさが抜ける。
「いいって。俺が自分から手伝うって言ったんだから。……それより、もう帰るの?」
「そりゃあそうだよ。太一君だって帰らなきゃでしょ?」
「うん……」
「また会えるよ。同じ学校なんだから」
「うん……でもさ、体操着まだ見つかってないじゃん」
「しょうがないし……またお母さんに買ってもらうよ」
 さっきまでかっこつけてた太一がダダをこね始めたのを何となく嬉しく思いながら、美香は説得にかかった。太一はまだごにょごにょと口の中で言葉を転がしていたが、やがて諦めたようにため息をつく。
「じゃあさ、最後にこの小屋の中だけ探してみようよ。ここ、まだ探してなかっただろ」
「そうする」
 ここでなかったら諦めるしかない、と美香は思った。山に詳しい太一と一緒でも見つからないなら、もしかしたら体操着は山にはないのかもしれない。


 小屋を出る頃には、日はもうすっかりかげり、風も強くなってきていた。
「ほんとに色々ありがとね」
 嬉しそうに笑う美香の腕には、体操着袋がしっかりとかかえられていた。棚の奥に押し込められていたのを太一が見つけたのだ。
「見つかってよかったな」
「うん! 結局神様にも会わなかったしね」
何気なくそう言うと、太一はちょっと奇妙な顔をした。嬉しそうな、怒ってるような、寂しそうな、そんな顔。
「どうかした?」
「ううん……ってかお前、神様信じてないとか言ってなかった?」
「信じてないよ。今のは冗談」
「そっか」
 太一も頷いて、それから、なぜかちょっと目線を遠くにするようにする。
「人嫌いな神様は怖い神様だって、いったい誰が言い出したのかなあ」
「太一どうしたの? なんかちょっと変だよ」
「なんでもない……」
 美香は不可解な顔で太一を見やる。それから、ふと何かに思い当たったような顔をした。
「さては太一、本格的に暗くなってきたからびびってるの?」
「びびってないし!」
むきになる太一をなだめながら、美香はふと、昔母親から聞いた昔話のことを思い出した。
「じゃあ、怖がりな太一に優しい昔話を話してあげる」
「怖がりじゃないし……」
「まあ聞きなさいよ。お母さんから聞いた話なんだけど。……昔々この村には、怖いものなしの女の子がいました。彼女は神様なんてものもこれっぽっちも信じていなかったので、雨の日だろうとお構いなしに山を駆け回って遊んでいました」
 話し始めると、意外にも太一は真剣に話しを聞く態度を取った。美香はちょっと気持ちよくなりながら、母親が話してくれた話をそらんじてみせる。
「だけど噂は本当で、ある日女の子は神様に見つかって山の祠に連れて行かれてしまいます。ああ、私食べられちゃうんだ。さすがの女の子も怖くなって縮こまっていると、神様がどこからか美味しい木の実を取ってきて、女の子に差し出しました。ああ、私を太らせてから食べるつもりなんだ、と女の子は泣きながらそれを食べました。すると今度は神様が、一緒に遊ぼうって言ってきた。女の子は考えました。私を油断させて殺す気なんだって。でも神様に逆らうわけにはいきません。女の子は震えながらも神様と一緒に遊びました。そうこうしている間にすっかり日が落ちて、あたりは一面の真っ暗闇。神様は立ち上がって、女の子についてこいと言いました。今度はどこに連れて行かれるんだろう、震えながらついていった先は、村へと帰る下山道でした。神様に、さようなら、楽しかったよといわれてそこでようやく女の子は気づきました。ああ、彼は、私と友達になりたいだけだったんだって」
「……」
「女の子は慌てて後ろを振り返りました。神様にごめんなさいを言うために。だけど、そこにはもう誰もいませんでしたとさ」
「それ、美香ちゃんのお母さんが話してくれたの?」
「そうよ。人攫いーみたいな物騒な話より、こっちの方が断然素敵な話でしょ」
「……うん」
「こんな話だったら神様も怖くないでしょ? ね?」
 そう言って太一の顔を覗き込んで、美香はぎょっとして立ちすくんだ。
 あの生意気な太一が、ほろほろと涙をこぼしていたのだった。
「ど、どうしたの? 大丈夫?」
「なんでもない……そっか、そんな話があるんだ」
ぐい、と服の袖で涙を拭って、それから太一はにっこり微笑む。
「俺もその話好きだよ。美香ちゃんのお母さんに、素敵な話を教えてくれてありがとうって伝えておいて」
「自分で伝えればいいのに……」
「ううん」
首を振って太一は立ち止まった。ちょうど、山道から公道にでる境目で。
「俺、こっちの道だから」
「ここまでって……送ってくよ?傘も借りてるんだから。それか傘は今ここで返すから」
「ううん」
太一はもう一度首を振って、一歩あとずさった。
「その傘、返すよ」
 言葉の意味を考える暇はなかった。太一が不意に、恐ろしいほどの力で美香の背中を押した。そのままきびすを返して、ぱっと駆け出す。
「太一!?」
「美香!!」
慌てて振り返ろうとした美香の耳に、聴きなれた声が届いた。
「お母さん?」
「美香! 遅いから心配したのよ……!」
「お母さんごめんなさい。体操着山においてきちゃって、それを取りに行ってたの」
「今度からは時間になったらちゃんと帰ってきなさいよ。さ、おうち帰ろう」
「待って。あのねさっきまで体操着一緒に探してくれてた奴がいるの」
 美香は後ろを振り返ったが、道路にも、黒々とした森の中にも、あの生意気な男のこの姿を認めることは出来なかった。
「おかしいな、さっきまでここにいたのに……」
 そう言って手にもった傘を見下ろした美香は、小さくあっとさけんだ。
 さっきまで、鮮やかなピンク色をしていた傘が、長い年月を潜り抜けてきたかのようにくすんでぼろぼろになってしまっていたのだ。
思わず言葉を失っていると、母親が傘を覗き込んできてあら、と声をあげる。
「この傘……」
「知ってるの? お母さん」
「私が昔使ってた傘によく似てるわ。私の傘は、昔仲良くなったお友達に上げてしまったけれど」
 あ……と今度こそ美香は言葉を失う。
「どうかした? 美香」
「ううん、なんでもない。あのね……」
 お母さんにも話してあげよう、と美香は思った。今日この山でおこった、小さな事件のこと。
 私もね、神隠しにあったんだよ。そういったらお母さんはどんな顔をするだろう。
 家に帰って、美味しいドーナツをつまみながら、私たち共通の小さいお友達についていっぱいいっぱいおしゃべりをしよう。そう思いながら、美香は暖かい母親の手をぎゅっと強く握り締めた。




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