▼page.3 「ああ、いえ。そのコーヒー代はもういいんで。じゃあ」 「香苗なら今俺の部屋いるぞ」 そそくさと逃げようとしたが、堂島の名前に見事に反応して足を止めてしまった。 西峨が笑みを深くした。目が獲物を捕らえた鷹のようにギラリとしたのは気のせいか。 「荷物の整理中だ。正座で」 本気で堂島の基本スタイルが正座になりつつあるな。 せっせと部屋の片づけを手伝っている堂島の姿が頭に浮かんで、思わず笑えた。 「随分余裕なこった」 「何がっすか」 「餌ぶら下げたら、高鳥は迷わず食い付くぞ」 高鳥? 俺の質問には答えず、会話が飛んだ。というかこの人は会話をする気がないんじゃないだろうか。自分の言いたい事だけ喋るだけで俺の話を聞く気はない。 そういう奴が身近に多すぎて、この人もそうだなってすぐにピンとくるのが悲しいな。 「三月が見ものだな」 「だから、何の話ですか。三月?」 学期末。卒業式。 思いつくのはその辺だけど、時間が無いってのはどういう意味なのか。 三年の西峨が、高校生活がもう少ししかないっていうなら分かるけど、俺は後二年ここにいる。何の猶予が迫って来てるって言いたいんだ? 要領を得ない俺に、西峨は小馬鹿にするように喉でクツリと笑った。 「あんま拗らすようならメンドくせぇし、また高鳥ここ連れて来るから、そのつもりでな」 この人と俺の共通項なんて堂島しかない。更に高鳥の名前が出てくれば確実だ。 高鳥が、食い付く。 また、文化祭の時みたいにここへ来て、堂島を振り回させる気か。 「……何であんたがそこまでする必要ないでしょ。関係ないんだから」 俺と堂島の問題で、西峨もまして高鳥なんて全然関係ない。余計話をややこしくするなと睨みつけるが、西峨は表情を崩さなかった。 「あるだろ。香苗がキャンキャンうるせぇ」 今、堂島はこの人の部屋にいるみたいだし、きっとアイツが色々と喋ったんだろう。 何となく察しはついていたけど。面白くないと思うのを止められない。 「ああ」 何も言っていないのに、一人で理解したように西峨は頷いた。 飲み終えたコーヒーの缶をゴミ箱へ雑な手つきで入れると、俺の方へと近づいてきた。 「高鳥じゃなく、俺が香苗を獲るっつった方が納得出来るか?」 どこまでも人を食った様な口調と表情で、西峨が分り易い挑発を仕掛けてくる。 誰だ、この人を頼りになる人だとか言った奴。どんな神経してたら頼ろうなんて思考に辿り着くんだ。 「あー唯先輩いた! 本当にエロ本もDVDもないってどういう事ですか!?」 たった今頭の中に思い浮かべた人物が、マジで一体どんな思考回路してんだって内容の事を大声で撒き散らした。 どんな経緯でエロ本の話になったのか知らないけど、西峨とそんな話題で喋れるお前にある意味尊敬するわ。 西峨の独特の雰囲気に飲み込まれそうだった空気は、堂島の声で完全にぶち壊されて、俺としては助かったわけだけど。脱力感が半端じゃなく襲ってきてがくりと項垂れた。 「だからねぇって言っただろうが。まだ探してたのかよ」 「当然です。今度東さんに唯先輩の好みをリサーチし、え、稔!?」 「…………お前、何してんだ」 「え、えへ、ちょっとした興味本位で」 数日前に泣かせてしまった罪悪感とか、後ろめたさとか気まずさとか。 そんなものまで全部ぶち壊す破壊力の高さだった。ここまで来ると才能だな。 俺がバカなのか? もしも怯えられたらとか悩んでた俺が悪いのか? そう思わされるくらい、堂島は普通だった。 「堂島、行こう」 「え、稔も一緒に探してくれるの?」 「何を?」 ついつい、堂島の頭を片手で鷲掴みにしながら低い声で問い返してしまった。 怖がられるかと一瞬身構えそうになったけど、堂島はどこか安堵したように、楽しそうに笑った。 ああ、なんだろうな。 堂島のこの表情が好きだって、改めて思う。 いっつもこうやっていたい。 「先輩、高鳥は呼ぶ必要ありませんから。あと、コイツは俺が連れて帰ります」 「勝手にしろ」 「え? なに話がみえませんけど、二人の世界?」 「堂島はちょっと黙れ」 ひどい! と非難する堂島を無視して、彼女の腕を掴んで歩き出す。 やっすい挑発に乗った自覚はある。けど、ここまで焚きつけられて動かないわけにもいかない。 コーヒー代くらいの世話を焼いてもらったって事なんだろう。腹立つけど。 前 | 次 戻 |