▼夢うつつ



 ああまただ。
 深い深い夜の竹林で七海は佇んでいた。正確に言えば七海ではなく、七海が見ている夢の主が。葉の間より漏れる月明かりを頼りに奥へと進む決意を固めるのに数秒。
 歩き出した足取りは揺ぎ無い。けれど内心では逃げ出したいと心臓が叫ぶ。息が詰まりそうだ。それでも前進するのはこれから起こり得る恐怖を凌駕する期待。
 
 失くす、切り捨てる、手放す、今を。自由を手に入れる、未来を。
 
 足取りは自然と速くなった。徐々に見えてきたのは簡素な庵だった。
 この扉を開ければ後戻りは出来ない。唇を引き結ぶ。七海は緊張感に押しつぶされそうだった。
 これは。これは本当に夢なのだろうか。七海が垣間見ているのは誰かの夢などではなく、記憶ではないのか。過去であり実際に起こった出来事なのでは。
 
 ガラスの嵌め込まれた横引き戸をスライドさせる。震える手を握り締めて中に入った。
 
 それほどまでに緊張を強いる何が待ち受けているのか。
 ここまでして彼は何を為そうというのか。
 そもそも彼とは一体誰の事なのか。
 
 肝心な部分が読み取れず混乱ばかりが渦巻く。もういい、目が覚めてほしいと思う反面、彼が期待するものを見てみたい気持ちも大きい。
 靴を脱ぎ、玄関を上がったすぐ先にある襖に手を掛けた。
 
 この向こうにいる。
 ゴクリと唾を飲み込む音がした。

「隼人……」

 渇いた喉から搾り出した声は掠れていた。
 スローモーションで開く襖の隙間から畳が覗く。部屋の奥には丸い窓。床に散らばった着物がごそごそと動き、中に埋もれていたものが顔を出した。





 何の前触れも無く硬質な破裂音がして七海は跳ね起きた。夢の影響も相俟って鼓動が早い。じっとりと額に張り付いた前髪を汗とともに拭い、音の正体を探るべくベッドを下りようとした。そしてフローリングに無数に砕かれた月が歪な光を放っているのに気付いた。割れたガラスの破片が散りばめられ、そこに映し出された月が煌いている。

 素早く窓に視線を走らせて、小さく悲鳴を上げた。逆行による二つの黒いシルエットは四足歩行の動物の形をしている。一階の屋根に立っていた狐は七海がようやっと自分達の存在に気付いたとみて、一歩部屋の中に入って来た。それに合わせて七海は座り込んだままベッドの上を後退する。

 先日襲われかけたあの二匹の狐だった。

「いやいや無理だってこれ。負けるだろ」

 うわ言のように呟いたのは、勇人に「狐なんかに負けた」と罵られたのに対するものだ。近くで見る狐は狡猾で獰猛そうな顔をしている。加えて獣特有の鋭い牙と爪でもって襲い掛かられれば一溜まりも無い。

 器用にガラスの破片を避けて七海のベッドに到達した二匹の狐は、闇に染まる室内に置いてもその存在は目立った。

「おやおや」

 緊迫した空気を一瞬で破壊するのんびりとした声にさえ、びくりと身体が跳ねた。
 反射的に閉じた目を開くと、目の前に一人の男性が七海を見下ろしていた。夜目にも眩しい無垢の存在。
 
 陶器のような肌。金色の瞳の下に枠取りされた紅が更に彼の色素の薄さを主張していた。金糸の刺繍の入った着物の上を流れる長い髪は、周囲に溶け込む白髪だ。今は夜が染み込み落ち着きを払っている。人型をしているのに、彼は人ではない、纏う空気が彼の前だけ切り取られて別世界の生き物だとと直感的に思った。 





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