▼ヒトトヒト



 劇的な十七歳の誕生日の翌日。
 現在、夏休み真っ只中の七海はクーラーの良く効いたキッチンで美弥子と睨めっこを繰り広げていた。
 
 とは言っても、牙を剥いているのは七海ばかりで、母はあくまでもマイペースだ。
 お見合いだと七海を謀ったとき、そういえばこの子実際にどこかに嫁いだとしても家事全般何も出来やしないじゃない、これは女の子にとって由々しき事態だわ。
 とこれまた勝手に危機感を覚えたらしく、更には料理の出来ない女の子はまず貰い手が無いという結論に至った。
 今のうちから何とかしなきゃと思いついてしまったために料理教室紛いの事をさせられているのだ。
 
「掃除と洗濯はまあいいわ。問題はやっぱ料理よね。私が料理上手だったばっかりに全くさせてこなかったもの」

 いけしゃあしゃあと自画自賛しながら「困ったわねぇ」と頬に手を当てて途方に暮れる美弥子。
 確かに七海は学校の調理実習以外で包丁を握った覚えがないほど、経験値が低い。
 その実習でさえ、包丁を持っただけで同じ班の子に
 
「私が切ろうか。うん、大丈夫大丈夫」

 と慌ててぶんどられた事がある。 持ち方からして既に危なっかしかったのだと未だ気付いていない七海には何が悪かったのか皆目見当もついていない。
 クラスメイトからすれば怪我をしては大変だという配慮からくる行動だが、そんなに私は使い物にならないのかと、ショックを受けたのも事実だ。
 
「ご飯も炊けないものね」
「馬鹿にし過ぎ。いくら何でもそのくらいできるし!」

 ようやく七海は食い下がった。ここは引いてはいけない。
 
「私だって日本人なんだから、英語は読めなくてもこの世に生を受けた瞬間から米は研げるっての! 遺伝子に組み込まれてんのよ」
「じゃあやってみなさい」

 美弥子はてきぱきと用意をして、さあと七海を促した。
 七海は腕まくりをして水に浸った米に手を通す。
 じゃりじゃりと数度手をかき回したかと思うと、腕を組んで仁王立ちした母親をそうろりと窺った。

「あの、爪の中に米粒入るんだけど、これどうにかなんないの?」
「爪を切れ」

 呆れ果てたと言わんばかりの溜め息に七海は罰が悪くてそっぽを向いた。
 今までの人生の中で米を炊くような状況に陥った事がなかったから、まさか自分がさせられる日がこんな突然やって来ようとは思いもよらない。
 先のお見合い事件といい人生の転機とは、こうも前触れなく突きつけられるものなのか。
 内釜の中で白く濁った水が静かに揺れるのを眺めているとガチャリとリビングのドアが開いた。
 
「……あーまたやってる」

 眠たげに目を瞬かせながらカウンターキッチンの前のテーブルに腰掛けたのは、夜勤明けの疲れを引き摺った兄の昌也だった。

「お兄ちゃんおかえりー」
「うん。今度は何やらされてんの」

 昌也は瞬時に、母親の思いつきに七海が付き合わされているという構図だと見抜いた。
 毎度の事ながらよくも飽きないものだ、などと呑気に構えていられるのは自分にまで被害が及ばないと高を括っているからだ。
 


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