「私じゃあの子には触れないらしい」

 あの子、とは勇人のことだ。彼に触れようとしてこうなったのだと。

「まさか……」

 七海は何度も勇人に触れたが、何とも無かった。首を絞められて痛かったとか通常の感覚こそあれ、火傷を負うような事はない。

「七海ちゃんはプロの人に頼めと言っていたけどね、実はもう何人かには見てもらったんだよ」
「え」
「誰も結果は一緒。あの子には触れられなかった。何かが憑いてはいるのだろうが何かは分らない、お手上げだとね」

 それでも諦めきれず、藁にも縋る思いで手繰り寄せたのが七海だった。不確かで曖昧な情報から探し出すのに手間取ったが、その分七海は他の者達とは違い結果を残した。
 認めたくない事実を突きつけられる結果だったが致し方ない。

「それにあの子の髪と瞳、生まれつきあの色だったわけじゃない。狐が消えた、その時からなんだ」

 いつも夕方には学校から帰ってきている勇人が、夜遅くになっても一向に帰ってくる気配を見せず、これはおかしいと辺りを探し回った。そして庵で倒れているのを発見したときには既に髪と瞳が色素が抜け落ち、薄色に変化していたのだ。抱える為に伸ばした手は、勇人に触れた瞬間電気が走るような痛みを訴え、両の手の平は爛れていた。
 只事ではないと誰だって気付く。榊は元の庵の主である狐の姿が消えているのを怪しく思い竹林の中をくまなく探したが、最後まで狐は出てこなかった。
 そしてその日から度々勇人が暴れるようになったとなれば、これを祟りと言わずして何だと説明するのか。

「私には……榊さんが息子さんを助けたいのか、遠ざけたいだけなのか分りません」

 何処から情報を嗅ぎつけたのか、七海を頼ってまで助けて欲しいと言った榊だったが、今度は追い出すように勇人を七海に押し付けた。
 そして交わされた二人の会話はとてもじゃないが血の繋がった親子のものとは思えない硬質的なもので。
 『君』と、榊は勇人に向かって言うのだ。そんな距離感はおかしい。
 仲が悪いのか。それにしては榊は必死だった。彼の考えが全く見えてこない。


 コンコン。勇人が車の窓ガラスを叩いた。何時まで話し込んでいるつもりだとせっついているのだろう。

「ああ済まない。じゃああの子の事をお願いするよ。挨拶へはまた後日伺うから」
「あ、いえ」

 ふるふると首を振るのがやっとだった。

 結構です? お構いなく?

 こういった場合、相手に失礼にならないような返事は何だろう。敬語を使う機会も少ない七海には、形式的な言葉が浮かんでこなかった。そんな普通の高校生らしい返事に榊は安堵した。車のドアを開けて七海を入れる。

 久しぶりじゃないだろうか。普通というものを感じるのは。勇人がああなってしまってから遠退いていた感覚だ。

「違うな」

 家を出て行く車を見送りながら榊は一人ごちる。
 七海だとて、幽霊を視て触れられるという特殊な人間だ。普通というカテゴリーに入る子ではない。それを目の当たりにしたばかりだというのに、あっさりと忘れさせてしまう彼女が可笑しかった。



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