「病院へは」

 それにも榊は頭を振る。

「病院へは連れて行けない。入院ともなれば…普段は気にしていなくてもこのときばかりは世間体を考えねばならないからね」

 榊家当主の息子が精神病で入院などと触れ回られては体裁が保てない。それに原因は病気ではないのだ。押さえつけているだけならばここでもどこでも同じだ。

「こんな状態のこの子を人に知られるわけにはいかないんだよ」

 娯楽はおろか生活に必要な設備も排除されたこのたった一室に鎖で繋がれて。どれ位続けているのだろう。どれ程続いてゆくのだろう。

 全てを本人の前で打ち明けてしまうだなんて。こんな馬鹿げた真似は今すぐ止めさせなければ。
 人に、子どもに強いて良いものではない。尊厳も何もかもを無視した生活とも言えない現況を。

 それに勇人は――

「違う…違うこの人は、んぎゃ…」

 勇人を掴んでいた手を引っ張られ、彼に倒れこんだと同時に口を塞がれた。顔にがっちりと腕が巻きつけられて七海の力では引き剥がせない。

「黙れ」

 耳に直接吹き込まれた声の低さに身を硬くする。抗う事も忘れて七海は勇人の腕の中でじっとしていた。
 逆らえないほどに高圧的であった。これが弱り果てていた人が発した声なのかと疑うほどにはっきりとした音。

「いい加減諦めたらどうだ。何をしたって手遅れだって分かてるんだろ。俺を殺せば簡単に終わる。さっさと死なせてく――」

 ガツッ

 派手な音に榊は目を丸くした。
 後ろから抱きすくめられていた七海がその場で飛び跳ね、頭頂部を勇人の顎にヒットさせたのだ。
 突然だったために避ける事も出来ずもろに食らった勇人は顔を押さえてしゃがみ込んだ。解放された七海も頭の天辺に両手を当てて布団の上でもんどりうっていた。

「つ…突き刺さった! 顎って刺さるんだ!」
「てっめぇ…」

 新発見などと呑気に言っている場合ではない。勇人は七海の服を鷲掴んで引き寄せると間近から凄んだ。

「何の真似だ」
「…や、ちょっとイカれてるから、衝撃与えたら元に戻るかなぁと。思いやりよ、私の行動の半分は優しさで出来てんのよ」

 殺せとか死ぬとか、穏やかじゃない言葉を連発する勇人はきっと暑さにやられて頭がおかしくなっているんだと思った。記録的な猛暑と言われる近頃に、こんなクーラーも無い部屋に引きこもっているから。

 殴れば正常に戻るだろうか。精密機械であるテレビの不具合だって大抵は叩けば直るのだ。この男なら一発だろう。
 なんて思ったけど、手動かせないから頭突きでいいわよね
 という思考過程を経てあの暴挙に至ったというわけだ。
 自分の考えは間違っていないと後押しするように、うんうんと頷く。

「じゃあ残りの半分の成分が何なのかじっくり教えてもらおうか」

 一度は起き上がらせた七海の身体をまた布団に沈めさせ、両手を縫いとめた。
 天井を背景に、七海の真上にいる勇人の瞳が剣呑としている。

「いやぁそれは別に大したもんじゃなくってね。ゴミとかカスみたいなもんよ、私なんてさ」

 只ならぬ相手の気配に怖気づいた七海は簡単に自分という存在を地に叩き落とした。身の安全とを天秤にかければこの程度の自尊心など軽いものだ。あはは、と乾いた笑いで誤魔化してみる。

「どうだろうなぁ」

 完全に七海を苛める事に面白みを見出してしまった勇人は意地悪く口の端を持ち上げて笑う。

 サドだ。サディストがいる!

「サディスティックバイオレンス反対ぃー!」

 ぷっと吹き出す声に七海と勇人は同時に顔を横向けた。そこには笑いを堪えようとして堪えきれていない榊が。

「ドメスティック……?」
「し、知ってます!」

 態とですよと言いながら顔を真っ赤にしているから信憑性はない。
 毒気を抜かれてしまった勇人は七海から手を離して隣に座り込んだ。
 さっきからこの女は何なんだ。榊が連れて来たのは見たまま知れるが、突然現れて一体何がしたいのか。
 やる事言う事が滅茶苦茶だ。



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