▼生け贄 「ねぇお母さん、何なの?」 「石庭なんて素敵よねぇ。この上を歩けば音が鳴るから防犯にもなっていいわぁ…」 「態とらしく話逸らさないでよ! 地面の事じゃなくて、お見合いがどうとか言ってたあれは何だったの!」 「やーねぇ冗談に決まってんじゃない」 「はぁ!?」 思わず大きな声を上げてしまい、振り返った榊にへらりと愛想笑いを送る。話の内容は聞こえていなかったらしく榊は僅かに頭を傾げ、すぐに前を向いた。 「ただ会うだけより、ちょっとしたサプライズがあった方が面白いじゃない、私が。だから言ってみたってわけ。にしてもあの時のあんたの間抜け面!」 思い出して吹き出した美弥子は、その笑いから抜け出せなくなってお腹を抱えて苦しい苦しいと息も絶え絶えになりながら歩いていた。 七海が止めてと背中を叩いても暫らく収まらなかった。 思う存分娘のネタで爆笑した美弥子は満足気にふうと息を吐き、何かを思い出したように目を丸くした。腕時計を確認する。 「あらそうだ。私大切な用があるんでした」 石庭をもうすぐ抜けようかという頃、美弥子はそう言って立ち止まった。榊と七海も振り返り彼女に倣う。 「だから七海、一人で行ってくれる?」 開いた口が塞がらない。 こんな右も左も解らない混乱しきった状態の娘を置いて帰ると言うのか。咄嗟に言葉の出てこない七海を置いて美弥子はさっさと話を進めていく。 「申し訳ありません榊さん。七海は今日中に帰して頂ければ何時でも構いませんので、私だけ失礼させてもらっても?」 売り飛ばしやがった! 声には出せないが、心の中で叫んだ。 「それは…、お引止めしてしまって悪い事を。ではもう暫くの間だけ七海さんをお借りいたします」 「良いように使ってやってください」 深々と頭を下げる榊に謙虚であり、七海にとって残酷なな言葉を投げかける。 美弥子は戸惑う七海に「うまくやんなさいよ」と耳打ちしてそのままにしてさっさと一人帰って行ってしまった。 何をどう上手く立ち回れと言うのか。 多分大切な用など大嘘だ。帰った本当の理由は、夕方からのドラマの再放送だろうと予想され、娘の一大事を放ってまで見たかったのかと、家に戻った暁には盛大に泣いてやろうと決めた。 離れにいると教えられていたから、靴を履いて整った庭を突っ切るのには何も思わなかったが、榊はどんどんと奥へと進んで行き、竹林に差し掛かった時点でどうもおかしいと悟った。 この榊家の屋敷は山の麓に建っていて、どうやら敷地と山はそのまま繋がっているらしい。 薄暗く長い長い一本の林道を只管に歩き続けた先に拓けた場所があり古びた庵が建っていた。 その前まで来れば、周囲は草が生い茂り壁の至る所に大小の亀裂が走り、うらぶれた様が見て取れる。時代を感じさせる庵は手入れが全くされておらず、母屋とは似ても似つかない。世捨て人でも住んでいるのではないかと思わせるような寂れ方だ。 「ここ、ですか?」 遠慮がちに七海が尋ねると、榊は神妙な面持ちで首を縦に振った。 こんな誰も安易には近づけない場所に押し込めて、まるで幽閉しているみたい。 至った考えに身震いした。 ←|→ back |