まだ七海が小学生だった頃、両親に兄、姉の家族勢揃いでホールケーキを作った事がある。

 「私がケーキにハッピーバースデイ書いてあげる!」と姉がペイント用のチョコレートを迷いなくケーキの上に走らせ、文字の大きさやら配分を間違えたと上から何度も塗り重ね、綴りを間違えたと取り消し線を引き。

 最終的に飽きたと言って途中で放り出した頃には修正不可能な状態になってた。
 生クリームの白よりも、チョコレートの焦げ茶の対比の方が大きい。

 黒魔術の呪文でも書いてあるんじゃないかという仕上がりに七海が文句を言えば

「腹ん中入れば何でも一緒でしょ!? 味は変わんないんだから問題ないじゃない! 文句があるなら食べるな!」

 と逆ギレする始末。誰の誕生日ケーキか分かったものではない。
 不満は山ほどあるがそれ以上食い下がる勇気もなく渋々食せば、確かに味は美味しい苺ショートケーキだった。


 だったのだが、どういうわけか七海一人が食中りを起こして夜中ずっと死ぬような思いをし、姉は黒魔術師だったのだと数年間は本気で信じたし、未だに生クリームは体が受け付けない。

 この出来事は藤岡家の間ではケーキ事件として今も話題に上がったりする。
そして今日まで七海の誕生日イベントのワーストワンに輝き続けていた。



 まさかこんなあっさりと塗り替えられる日が来ようとは。

 過去に想いを馳せながら、七海ははたと気がついた。

「お姉ちゃんのが適任でしょ、どう考えても」

 姉である朝陽は今年で二十一歳になる。学生という身分を謳歌しているが、年齢を考えれば七海よりもよっぽど自然だろう。
 だが美弥子はどこまでも冷静に茶を啜る。

「お姉ちゃんはいいの。あの子は自分で幸せを鷲掴みに出来る子だから」

 異論はなかった。他者の幸福だろうともぎ取って、更に文句を言わせないよう圧力をかけるのが朝陽という人なのだ。掴むではなく鷲掴みにするという表現は的確だ。

「だけどあんたは心配よ。幸せがゴキブリみたいに目の前ちょろちょろしてても、どんくさいから逃がしちゃうでしょ?」
「例えが宜しくないと思う。ていうかどんな言い種よ」

 娘に向かってどんくさいとは。廊下と部屋を区切る障子の近く、畳の上に直に座ったままの七海は母親をねめつけた。
 美弥子のせいとは言え、盛大に転んだ後での台詞とあっては説得力はない。

「そんな七海のために、このお優しいお母さんが一肌脱いでやったんじゃない。榊さんの息子様がお相手よ? 感謝されこそすれキレられる覚えはないわね」

 自分が正論だと信じて疑わない母親は、やはり堪えた様子もなく呑気に言ってのける。地団太を踏みたくなるのを必死で耐えた。
 おためごかしも甚だしい。七海のためだなんてあるわけがない。
 
 だったらこんな、高校生の七海に見合いという形式を取って男を紹介したりしないだろう。
 しかもこれだけ名家の子息という肩書きを有していながら、英才教育のえの字も受けた事のない七海を相手にしなければならないほど、いただけない人柄なのではなかろうか。

 それとも外見の問題か。以前にどういう経緯でこの話が持ち上がったのか。

「……あ、そうだ、相手ってどんな人よ。何歳?」
「確か勇人くんって言って七海の一つ上だったかしら?」

 答える美弥子も曖昧だ。同じ町内と言えどセレブと一般庶民では出会う機会などないから家族構成など知りはしない。一つ上となれば高校三年生。七海は公立、相手は名門私立だろう。

「金持ちだろうと、ここまで来させておいてこんな待たせるとか常識無い人ってのは確実だわ!」

 七海達がここに通されてからかれこれ三十分は待たされている。
 時間にルーズな人間は、生き方もだらしない。そんな持論がある七海は、こうしている間にもどんどんと未だ見ぬ相手の印象を悪くしていた。不信感が募っていく。
 美弥子も腕時計で確認して頷いた。

「重役出勤と言ってね、大物は遅れてやってくるものなの。良かったじゃない、きっと出世コースまっしぐらな人よ」
「どんなポジティブ発言!」

 普段なら待ち合わせの時間に五分でも遅れようものならさっさと帰ってしまう人なのに。

 そこまでこの話を進めたいのか。
 
 もしかしたらお金が絡んでいるのかもしれない。父はまだしも、母ならば金額によっては娘だろうと喜んで生贄に差し出すだろう。




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