秘密めく花のかおり


「失礼します」

こんこん、と目の前の重厚な扉をノックを拳で軽く叩き、いつも通り返事を待たずに中へ入る。無礼とも言える行為に顔を上げるも何の反応も返さないヴォルデモート卿は、その入室の仕方にすっかり慣れてしまったようだった。

「卿、ちょっと出掛けてきますね」
「どこへ?」
「ダイアゴン横丁に。フローリアン・フォーテスキュー・アイスクリームパーラーで新作が出たんです!卿もどうですか?」
「遠慮しておく」

露骨に苦い顔をするヴォルデモート卿にですよね、と頷く。
もしこれで着いてくるとでも言い出したら病気なんじゃないかと疑ってしまう。甘いものが嫌いで、人混みも嫌いなこの人が、わざわざ来るとは思えない。

「それじゃあ行ってきますね」
「ああ」

ヴォルデモート卿の返事に笑みを返したアカリはパタン、と扉を閉め、分厚い絨毯が敷き詰められた廊下を歩き出した。

途中で何人かの死喰い人に頭を下げられつつ広い玄関を抜け、門へと向かう。
狩りに参加するようになってから、わたしは何故だか彼らに怯えられているようなのだ。
彼らと同じように、仮面を被り、敵を殺しているだけなのに。蛇姫様と、相も変わらず呼ばれるその名が彼らの畏怖の対象へと移り変わったのは、いつのことだったか。

冷たい風が肌を刺し、アカリはぶるりと震えると、首元のマフラーを巻き直した。
ルシウスからのプレゼントである真白なウサギの毛を使ったマフラーは高級品なだけあって、とても肌触りがよく、暖かい。ふわふわの毛に顔を埋め、風を凌ぐ。そうするとあまり寒さが気にならなくなるのだ。

門から出たアカリはもう慣れた様子で瞼を閉じ、踵を打ち鳴らす。
そして一瞬の違和感が過ぎ去り、瞼を開けると、そこは既に目的地であるダイアゴン横丁。

この寒さのせいか、はたまた時間帯のせいか、人は疎らだ。灰色の空の下、少し寂しさを感じる通りを歩き、フローリアン・フォーテスキュー・アイスクリームパーラーへと辿り着く。
わざわざ1月の寒空にアイスを食べに来るような者は珍しいのだろう、店内は夏休みの時期とは比べ物にならないほど閑散としていた。
チリン、とドアに付けられたベルが来客を知らせると店主がひょっこりとカウンターから顔を出す。そしてアカリの姿を視界に入れると驚いたように丸く瞳を見開いた。

それもそうだろう、今は平日の昼間。わたしのような年の子供は本来ホグワーツにいるはずだ。

「これはこれは、珍しいお客様だ。お嬢さん、学校はどうしたんだい?」
「…………新作が出たと聞いて、居ても立っても居られなくて。抜け出して来ちゃいました」

流石に『学校には行かず、闇の帝王の屋敷で暮らしています』だなんて言えない。
咄嗟に思いついた嘘を口にして恥ずかしそうに笑って見せると、店主はぽかんと口を開け、次いで声を上げて笑い出した。

「はは、それは光栄なことだ。それではお嬢さん、ご注文は?」
「ええと、この『Wチョコレート』をください」

カウンターの一番目立つところに置かれた、チカチカと宣伝文句が踊っている広告の商品名を読み上げる。
三種類のチョコレートをブレンドしたアイスクリームは、定期購読している雑誌で一目見た瞬間、絶対に食べようと決めていた。
ちょうどぴったりの代金を払い、アイスクリームを受け取る。

室内に備え付けられたテーブルへと向かい、腰を下ろす。今までは室内席ではなく外のテラス席を専ら使用していたものの、流石にこの寒さだ。暖かい空気の中、ひんやり美味しいアイスを食べるのが至高というもの。

日本人らしく、いただきます、と小さく口にして、目の前のアイスクリームに齧りつく。
喉が焼け付きそうなほど濃厚なチョコレートが、舌に纏わりついて離れない。もったり重いこの濃厚さが、いいのだ。

そうしてアカリが至福のひとときを楽しんでいると、テーブルの隅にことり、と可愛らしい猫の模様が描かれたマグカップが置かれた。ふと顔を上げると、店主がにこにこと、人の良さそうな笑みを浮かべている。

「暇をしていたから、お嬢さんが来てくれて助かったよ。はいこれ、サービス」
「わ、すみませんありがとうございます……!」

ありがとう、の前にすみません、が出てきてしまうのは悲しいかな、日本人の『性』というものだ。マグカップから漂うコーヒーの香ばしい匂いに誘われるがまま、手を伸ばす。そして一口啜ると、舌に絡みついて離れなかったチョコレートの風味とコーヒーの苦味が混ざり合い、何とも言えぬ味わいが口の中で広がった。

……コーヒーとチョコレートが、こんなにも合うなんて。

また一つ新しい発見ができたと、アカリはますます頬を緩ませる。

「…………美味しいなあ」

幸せそうに零れ落ちたその一言が、アカリの胸の内を表していた。

***

「やっぱり冬に食べるアイスは格別だ」

店を出たアカリは満足そうにそう呟く。
夏のアイスは勿論のことだが、あえて寒い冬に食べるからこそ味わえる美味しさがあるというものだ。また食べに来ようと心に決めたアカリは、一番の目的を達成してしまい、ダイアゴン横丁をふらふらと彷徨っていた。

所詮ウィンドウショッピング、というものだ。魔法界のものは、ガラス越しでも十分目を楽しませてくれる。
巨大な鍋、一人でに踊りだすピエロの人形、ぬるぬると不気味さを醸し出す触手のようなもの。摩訶不思議な道具たちはどうやって使うのかさえわからないものばかり。
それらを眺めていたアカリは、ぴゅうと吹いた木枯らしに身を竦ませる。最近お気に入りの深いボルドー色のローブの前を掻き合わせると、最後に本屋へ寄って帰ろうかと踵を返す。

あっちこっちへと視線を彷徨わせながら歩いていたアカリは、ちょうど脇の小道から人が歩いてきたことに、気がつくことができなかった。
ふわり、とどこからか花の香りが鼻をくすぐった瞬間、ドン、と身体に衝撃が走る。転びそうになった身体を一歩足を踏み出すことで立て直し、慌てて衝撃がやって来た方へ顔を向けた。

足元に蹲るその人の全身を覆う真っ黒なローブから、銀に近い灰色の長い髪が零れ落ち、さらりと音を立てた。そしてゆっくりとした動作でその人が顔を上げ、全貌が明らかになる。

───何て、綺麗な人なんだろう。

目が合った瞬間、アカリは率直にそう思った。
喉元のチョーカーの下から、怪我でもしているのか包帯がちらりと顔を覗かせている。
そしてとろりと蕩けてしまいそうなほど艶やかな蜂蜜色の瞳。灰色の長い髪と相まって、神秘的な雰囲気がまるで神話に出てくる『女神』のようだと、見惚れてしまった。

「…………ごめんなさい、私余所見をしてしまっていて、」
「あっ、いえ!こちらこそすみません、大丈夫ですか?」

彼女の唇から紡がれた言葉に、アカリは漸くハッと意識を取り戻す。慌てて手を差し伸べると、彼女は照れ臭そうに微笑み、アカリの手を取る。

その白魚の如くしなやかな指先が、アカリの手に触れた途端。
バチッ、と緑の閃光が弾け飛び、衝撃を受けた女性は再び倒れ込んだ。

「だ、大丈夫ですか!?」
「……………これは、」

アカリは突然のことに驚き、何故かじんじんと痺れる右手を庇いつつも倒れ込んでしまった女性に声をかける。しかし彼女は倒れ込んだまま、己の右手をじっと見つめ、その美しい顔をぐしゃりと歪ませていた。
その表情に少々訝しむも、彼女は瞬時に顔をこちらへ向け、にこりと唇を緩ませると謝罪を口にする。
アカリはさっきの表情は見間違いだろうかと思いつつも今度こそ差し伸べた手で彼女を助け起こす。

「ありがとうございました、何とお礼を申し上げていいのか」
「いいえ、わたしもふらふらしていたので」

改めて正面から見た女性は、やはり美しいものだった。今にもその蜂蜜が零れ落ちそうなほど大きな瞳を緩ませ、頬を薄紅色に色づかせる。
ヴォルデモート卿とはまた違う、作り物めいた美しさ。
ヴォルデモート卿が精巧なビスクドールのようであるとするならば、彼女はそう、世界中の美しいパーツを切り取り、貼り付けたような、そんな完成されていながらもどこか歪さを感じさせる。

「お怪我とか、していませんか?」
「いいえ、大丈夫ですわ」

ゆるりと首を振る様も絵になるなんて、神様は本当に不平等だ。心の中で信じてもいない神への文句を募らせると、女性は笑みを浮かべたままじっとアカリを見つめる。
何だろう、とここ最近の癖でその目を真っ直ぐ見つめていると、彼女はスッと瞳を細ませた。

その瞳は、宝石の如く美しいはずなのに。ぞくりとどこか刃物を突き立てられているような悪寒が背筋を走る。

………ああ、これは敵意だ。鋭利で明確な、殺意。
ここ最近でもうすっかり浴びせられることに慣れてしまったはずの、悪意に満ちた瞳。

しかしそれも一瞬のこと。そうだわ、と可愛らしく手を小さく叩いた彼女からは、もう何の邪気も感じられなかった。

「これからお暇ですか?ぶつかってしまったお詫びに、お茶でも如何かしら」
「えっ、いやそんな、わたしも悪いですし」
「そんなことを仰らないでくださいな。私も一人でお茶は寂しいと思っていたところですの。貴女さえ良ければ、是非に」

懇願するように見つめられ、アカリはうっと言葉を詰まらせる。正直もう帰るだけだし、夜まで時間はたっぷりある。こんなにも美しい女性とお茶だなんて誘惑に、抗えるはずもなく。
じゃあ、と控えめに頷いたアカリの手を、彼女は笑みを深めつつ直様スッと取る。未だ痺れる右手を取られ、より一層痺れが酷くなったような気がするが、それを表情に出さないように押し込めた。
じんじんと疼く右手を引き、アカリを導く女性は小道へと入る。少し薄暗い小道は、やはり人の気配がしない。

「こちらですのよ、参りましょう。
ああそうですわ、お名前をお伺いしても?」
「アカリ、です」
「そう、『アカリ』。………とても、愛らしいお名前ですのね」

確かに、褒められているはずなのに。ちらりと伺った彼女の口角は、しっかりと完璧な角度を保っていて。それでも、その蜂蜜色は何故かどろりと濁っているような気がした。
ぞわりと、言いえぬ悪寒が足元から這い寄る。少し強めに握られた手を、何故だか振り払いたくなる。そんな不快感を拭い去るように、アカリは笑顔を浮かべるよう努めながら女性に話しかけた。

「貴女のお名前を聞いても?」
「あら、私?私は、」
「───アカリッ!」

彼女が質問に答えようと、薄く唇を開く。
しかし聞こえてきたのは明らかに女性のものではない声。
焦ったようなその声に自分の名を呼ばれるのと同時に、強い力で後ろへと引っ張られる。

ゆっくりと、視界が傾く。まるでスローモーションを再生しているかのように。

背後からの力により、女性の手が離れる。
驚いたように振り返った彼女は、蜂蜜色の瞳を見開き、視線をアカリの背後へと移す。次いで、その酷く整った薄い唇を、ニィ、と三日月に歪ませて。
その表情に滲んだ狂気と歓喜の色に、アカリは思わず息を呑んだ。

そして頭が背後の何かに当たり、視界は通常に戻る。視界の端に映った、自身の肩を引き寄せる大きな手。そこに嵌められた黒い革の手袋を見て、アカリは瞬時に思い当たる人の名をぽつりと呟く。

「………アレク、さん?」
「アレクお兄様………!」

アカリの呟きと重なった、アレクシスをお兄様と呼んだその声は、酷く歓喜に震え、甘美に濡れていて。
目の前に立つ女性は頬を薔薇色に染め、アカリの向こう側、………アレクシスを見つめていた。

「………何をしていた」
「嗚呼アレクお兄様、ご無沙汰しておりますわ!中々お会いできなくて、私とっても寂しゅうございました………!」

低く唸るようなアレクシスを華麗に無視し、女性は声を弾ませる。
そのうっとりと蕩けるような表情は、まさしく恋する少女のそれだ。女性の豹変具合と突然現れたアレクシスに目を白黒させながら、アカリはとりあえず自身の肩を抱くアレクシスを見上げる。
彼は女性の瞳の色とどこか似ているアンバーの瞳を剣呑に光らせ、女性を射抜いていた。

「……あ、あの、アレクさん?」

アカリが困惑気味にそう声をかけると、アレクシスは氷のように鋭かった眼光をほんの少し緩ませ、アカリへ視線を向ける。

「大丈夫か?怪我は?何かされていないか?」
「え?えと、特には何も」

怪我という怪我なんて、右手が痺れているくらいのものだ。そう思いつつ返事をすると、安堵したようにアレクシスは細く息を吐く。
そんなアレクシスの反応に、アカリは眉を寄せ、訝しげな表情を浮かべた。

………怪我はないか、何かされていないか、という質問はおかしくはないか?それではまるで、あの女性がわたしに対して何かを仕掛けているようじゃないか。

「………ッ、アレクお兄様!」

浮かんできたそんな考えを遮るように、女性がアレクシスの名を叫ぶ。その目は何故か鋭く、アカリを射抜いていて。整った顔を歪ませ、彼女は確かな殺意を持ち、アカリを睨みつける。

その膨大な殺意を感じとり、アカリはびくりと肩を震わせた。
そんなアカリを落ち着かせるように、アレクシスはアカリの肩を撫でる。そんな彼のアカリに対する態度が気に食わないのか、彼女の殺意はますます膨れ上がった。

「………メリッサ、まだお前はこいつに手を出そうとしているのか」
「まあ、アレクお兄様!漸く私の名を呼んで下さいましたのね………!」

メリッサ、と呼ばれた女性はアレクシスの問いをやはり無視し、その膨大な殺意を一瞬のうちに引っ込めパアッと顔を明るくさせる。そして機嫌が良さそうに微笑むと、アカリのことなど視界に入れず、アレクシスだけを見つめ目元を緩ませた。

「だって、なかなか私に会いに来て下さらないんですもの。もう待ちくたびれてしまいましたわ」

そう言って小さく唇を突き出す仕草は愛らしい乙女そのものだ。しかし、当のアレクシスはぴくりと眉を顰めると厳しい瞳でメリッサを射抜く。

「それとこれとは話が違うだろう。何故こいつに近づく」
「…………あら、それはアレクお兄様がよく知っていらっしゃるのでは?」

愛らしい仕草を止めたメリッサはスッと細めた瞳でアレクシスの腕の中にいるアカリへと視線を移す。やはり、その瞳から感じ取れるのは、どろどろとした殺意。普段死喰い人に紛れ、闘争を行っているアカリでさえ感じたことのないその殺意は身体の動きをも絡め取る。

「あれから何百年も経つのに、姿形も何一つ変わらないまま。
その娘も何故か私のことを覚えていないようですし、一体貴方様が何をしたのやら気になるところですけれど」

ふん、と思い切り顔を顰めた彼女の言葉は、どうにも理解の及ばないものばかりで。
あれから何百年、覚えていない、とはどういうことだ。
その言葉を噛み砕こうとぐるぐると頭を巡らせる。

「貴方様にお会いするためには、その小娘に接触してしまうのが一番確実で手早い方法でしょう?
あの頃から、貴方様はいつもいつもその娘ばかり気にして、守っていらしたものね」
「…………さっきから、何を言っているの?」
「あら、本当に綺麗さっぱり忘れてしまったの?」

思わず口をついて出た疑念の声に、メリッサはわざとらしく驚いたように瞳を丸くし、頬に手を当てる。次いで薄い唇を持ち上げ、緩やかに笑んだ。その完璧な微笑みは、ただただアカリを悪寒に震わせるだけ。
そんなアカリを見つめ、彼女は極上の笑みと共に、そっと囁くように唇を開いた。

「───小娘、貴女を一度殺したのは私たちだと言うのに」
「……………………え?」

その衝撃的な一言に、アカリは思わず思考を停止させた。
わたしを、一度殺したのは、この人。
短い一言を脳内で反芻させるも、全くもって意味がわからない。

殺した?いつ?わたしは今、ここで生きているというのに?

新たに生み出された疑問がぐにゃりと頭の中で畝る。そんなアカリの心情を知ってか知らずか、メリッサは片眉を上げ、小馬鹿にしたように笑った。

「本当に哀れね、………未来を変える、だなんて。貴女はこの物語の筋書き通りに踊り続けることしかできないというのに。
ねえ、運命に翻弄される愚かな小娘」

くすくすと、彼女の桃色の唇から零れ落ちる声は、硝子が転げ落ちたかのように軽やかで、愉しげで。
メリッサは瞳と口を三日月に歪ませ、そしてさらりと涼やかな音を立てて落ちる髪をそのままに、小首を傾げた。

「──この狂宴の果てに、一体何が待っているというのかしら?」
「メリッサ」

メリッサの嘲るような声を、すぐそばのアレクシスが遮る。その凜とした声が耳を通り、アカリは幾分か落ち着きを取り戻した。息を大きく吐き、そして吸う。深呼吸を何回か繰り返し、混乱した頭を落ち着かせる。

「ああでも、そんなことはどうでもいいわ。せっかくお会いできたのだから、もっとお話を致しましょうアレクお兄様!
そんな小娘なんて放っておいて、また私だけに笑いかけてくださいませ……!」

瞳を輝かせ、心底幸せそうな歪んだ笑みを浮かべる女を見て、アカリはぎゅっと眉を寄せた。

…………狂ってる。
その一言で形容できる、女の異常さ、歪み。
人間味を感じない美貌も相まって、恐ろしさがぞくぞくと背筋を這い寄る。

「………それは、出来ない。
お前達は、禁忌を犯した。もう取り返しがつかない、俺がどうにかしてやることすらできない。とっくに、お前達は壊れてしまっているんだ。わかるだろう、メリッサ」
「……………………」

顔を顰め、どこか苦しそうな、痛々しい表情を浮かべたアレクシスに、メリッサはスッと表情を落とす。何の色も見えないその無表情は、まるでマネキンを見ているようで、ぞわりと全身に鳥肌が立つ。
そして彼女は一瞬瞼を強く閉じたかと思うと、唇を噛み締めた。

「…………嗚呼、アレクお兄様は、まだそんな意地悪を仰るのね。優しい、私の素敵な王子様…………。貴方様が変わってしまったのは、やはり、その女が現れてから…………………?」

ぶつぶつと何かを呟くメリッサは、どこか禍々しさが滲み出で、気味が悪い。
アレクシスの裾をぎゅ、と握りしめる。そんなアカリを見て、アレクシスは肩を抱く力を強め、大丈夫だと小声で囁いた。

────その瞬間。

「ッ!」
「わっ!?」

ドン、という重い衝撃と共に、強い力で引っ張られた。アレクシスがアカリを瞬時に抱きかかえ大きく後ろに退く。
目を回しそうになったアカリがハッと視線を戻すと、土煙の中、二人が元立っていた場所は地面が大きく抉れ、亀裂が走っていた。

「っな、」
「………嗚呼、避けてしまわれましたか」

土煙の向こうから、鈴の転がるような声が聞こえて来る。コツリと地面を靴が踏みしめ、そして姿を現したメリッサ。
彼女は手に外されたチョーカーを持ち、その喉元に巻かれていた包帯は解け、だらりと垂れ下がる。

露わになった喉元、そこには魔法陣のようなものがハッキリと刻まれていた。

「その紋章………お前、アスタロトと契約を…………!」

アレクシスがそう叫び、メリッサはにこりと微笑む。
その喉元の印。遠目からでは円の中に、何かが描かれているということくらいしかわからない。

「ええ、そうですわ。かの皇帝ルシファー、君主ベルゼビュートと並ぶ地獄の支配者が一人、アスタロト。私達はそれと契約致しましたの」
「薄々そうではないかと思っていたが………厄介だな」

にっこりと笑んだメリッサと対照的に、アレクシスは彼女の一挙一動も見逃さない
アスタロト、とはなんだろう。気にはなるが、この空気の中とてもじゃないが口を挟めない。
緊張感漂う中、地面に小さく亀裂が入る。地鳴りのような音とともに、その亀裂は段々大きくなり、そしてぼそりと、彼女が小さく唇を動かし何事かを呟く。その唇の動きを見逃さなかったアレクシスはアカリを抱き抱えたまま、アカリの耳元でその名を囁いた。

「アカリ」
「は、はい」
「口を閉じていろ、舌を噛むぞ」
「へ、」

その言葉の意味を理解する間もなく、メリッサの足元から何かが空気を切り、二人へと鋭く伸びてきた。それはアカリが何の反応を示す事もできない速さで眼前へと迫る。刺さる、と頭の隅で呟いた瞬間、突然身体が浮遊感に襲われ、視界から黒い何かが消え去った。

攻撃が当たる寸前で跳んだアレクシスは浮遊したまま静止する。アレクシスの腕の中、空中から見下ろすことでその何かの正体が明らかになった。

「い、茨………っ!?」

その何かは、棘が幾つも付いた、太い植物の蔦のような形をしていた。メリッサの足元から伸びたそれは先端が鋭く尖り、あれに突かれたらひとたまりもないだろう。

「あれはアスタロトの能力だ。エレメントの一つ、木を司っている」

アカリが正体に気がついたことを察したのか、アレクシスは淡々と簡単な説明をアカリの耳に落とす。メリッサの足元、地面の中から這い出た茨は何本も意志を持ったように蠢いていた。

当のメリッサは顔を顰めたまま、再び攻撃を繰り出す。アレクシスは特に魔法を使うことなく空中に浮遊し、次々と繰り出される茨を器用に避けていた。

…………何故。何故、攻撃をしないのだろう。

アレクシスの邪魔をしないよう、身を固くし縮こまっていたアカリは、避けるだけで一切攻撃を仕掛けないアレクシスを不思議に思っていた。攻撃が専門だという彼は、とても強い。これくらいなら、きっと勝てるはずなのに。

「まあ、鬼ごっこですの?うふふ、いつまでその女を腕に抱えたまま避け続けられるかしら?」

楽しげにそう口にしたメリッサの言葉に、アカリはハッと息を呑んだ。

──わたしがいるからだ。

攻撃専門ということは、守備にあまり明るくないということで。メリッサは常人よりもずっと強い、そんな人の相手をしながらわたしを抱えて攻撃魔法を使うのはきっと困難なのだろう。攻撃を仕掛けると、その分隙ができてしまうから。

そこまで気がついたアカリは、どうしたらアレクシスの邪魔にならないかを考え始めた。慣れない浮遊感の中、思考をぐるぐる巡らせる。その間にもメリッサの攻撃は止まず、路地はあちこちが抉れ一目で戦闘が行われたとわかるほどの崩壊ぶりだ。

………わたしが地上に降りたとしても、きっとメリッサはわたしを狙うだろう。そうなっては本末転倒だ。どうしよう。どうしたら。

その時、茨の一本が、空気を切り裂きアカリへと鋭く伸びる。そのあまりの速さに反応が遅れたアレクシスは咄嗟にアカリを抱き上げたまま、右腕を宙へ翳す。
アレクシスの右腕がゆらりと陽炎のように揺らめいたかと思えば、そこから黒い何かが這い出る。その黒い何かは瞬時に円盤状へと姿を変え、茨の攻撃を受け止めた。
しかし茨の鋭い切っ先に、円盤は押されかけていた。何本も何本も、茨が円盤を突き刺す。
ついに円盤の中央、茨の攻撃を受け止めている部分に亀裂が入った。バキ、という嫌な音と共に徐々に亀裂が深くなる。
耳元でアレクシスの舌打ちが聞こえ、亀裂が全体に広がりついに円盤が割れてしまう、その瞬間。

居ても立っても居られなくなったアカリがありったけの力を込めた右手を宙に翳し、魔力を真っ赤な炎へと変え放出した。
ぶわりと燃え広がる炎が茨に纏わりついたかと思えば、茨は瞬時に消し炭へと姿を変える。

その瞬間メリッサが微かに狼狽え、隙を見せた。僅かに茨の力が弱まったことを察したアレクシスは今にも割れてしまいそうな円盤を消し去ると、再度右腕を凪ぐ。するとアレクシスの身体から黒い炎のようなものが揺らめき、茨を飲み込む。忽ち茨がドロリと溶け、元は茨であった雫が地面に落ちるとジュワッと音を立て湯気を残し蒸発した。

「アカリ、助かった」

そう笑いかけられ、アカリはホッと息を吐く。どうやら茨は炎や熱に弱いらしい。悔しげに唇を噛み締めたメリッサが再び鋭い茨を仕掛けるが、アカリの放つ炎とアレクシスの黒い影が包み込み、次々に攻撃を仕掛ける。

劣勢だったこちらが、いつの間にかメリッサを押し始めていた。メリッサは鋭い眼光でアカリ目掛け茨を繰り出す。しかしどんなに炎を防ごうとしても茨では歯が立たない。その上アレクシス一人でも接戦だったというのに、そこにアカリが加わった。こちらが優勢なのは火を見るよりも明らかだった。

「……………ッ」

最後の足掻きなのか、一際太く大きな茨が真っ直ぐアカリへと伸びる。しかしそれも容易く炎に飲まれ、炭と化した。
その様子を見て、メリッサは勝てないと判断したのか唇を噛み悔しげに指を鳴らした。
パチン、という音を皮切りに伸びていた茨が割れた地面の中へと戻っていく。最後の一本が姿を消すと、地面からまた違う何かが生えてきた。

「……今回は、見逃して差し上げます。負け戦をするほど愚かではありませんから」

その何かは薄い紅色をした、大きな花弁のようだった。花弁はメリッサを包むように徐々に大きくなっていく。
当のメリッサは蜂蜜色の瞳をギラギラと光らせ、アカリを睨みつける。次いで仮面をひっくり返したかのように表情をころりと変えると、アレクシスへと微笑みかけた。

「アレクお兄様、お会いできて本当に幸せでしたわ。またきっと、すぐに会いに行きます。今度は二人きりで、お話致しましょうね」

そう頬を色付かせたメリッサを、眉間に皺を寄せたまま、アレクシスは終始無言で見つめていた。そんなアレクシスへ嬉しそうに笑うと、その腕に抱えられたアカリへと再度視線を移す。

「…………貴女は、今度こそ私が殺す。楽しみにして待つことね。貴女の最期は、そう遠くない未来にあるのだから」

冷ややかにそう言い放たれ、アカリはぐっと歯を噛み締める。
そんなアカリを一瞥し、そして最後にアレクシスににっこりと笑いかけると、花弁は完全にメリッサを包み込み、仄かに発光した。
その光が止むと、花弁は徐々に粒子状に姿を変え、サラサラと音を立てながら崩れ落ちる。花弁の中にいたはずのメリッサは、もうそこには存在していなかった。

「…………行ったか」

花弁が完全に崩れ落ちるのを見届け、アレクシスはゆっくりとアカリを地面へ下ろした。アカリはありがとうございますと口にして、そっとアレクシスの様子を伺う。
無表情のまま、メリッサがいた場所をじっと見つめる彼は、今何を考えているのか全くわからない。
気まずさの残る空気の中、先に口を開いたのはアレクシスだった。

「…………移動しよう」

そう言うと、指先を軽く一振りする。するとところどころが陥没しクレーターのようになってしまっていた地面が瞬く間もなく元通りに直ってしまった。まさかここで戦闘があったとは思えないほど綺麗になった地面を一瞥するとアレクシスは大通りへと足を向ける。
その早業に瞳を丸くし驚いていたアカリは慌てて彼の背中を追う。そして横へ並ぶとアレクシスを横目で伺いつつ、彼の足向く先へと進み始めた。

***

アレクシスがアカリを連れ、やって来たのは一軒の小さなカフェ。大通りではなく路地に入ったところにぽつりとあったこの店は一人の愛想のいい中年の魔女がいるだけで、客は一人も入っていなかった。

来客を知らせるベルが鳴り、顔を上げた魔女はアレクシスの顔を見ると慣れたように窓際の隅にある席に誘導する。きっと普段から通っているのだろうアレクシスの定位置がここなのだろうか。

水の入ったグラスとメニューを二人に手渡し、奥へと踵を返した魔女を見送る。メニューを広げ、素朴な文字を目で追っていたアカリは、ちらりと正面のアレクシスを伺った。彼はメニューを開くこともせず、頬杖をつき窓の外を眺めている。

「………どうかしたか?」
「っあ、すみません」

じっと見すぎてしまったのか、アカリの視線に気がついたアレクシスは顔を正面に戻す。見つめていたことがバレたアカリは慌ててメニューに視線を落とし表情を取り繕った。
アレクシスはアカリの様子をメニューに迷っているのだとでも捉えたのか、自身の側に置かれたメニューを開くと、とある場所を指差しながらアカリへ向ける。

「ここの店はこれが売りだ」

そう言いながらアレクシスの指先がなぞった一番上に書かれた品名を目で追う。メニューの中でも特別大きく書かれているのを見たところ、売り、というのは間違いないらしい。

「アップルパイ、ですか?」

描かれたアップルパイのイラストは、きっと手描きなのだろう。色鉛筆の柔らかさによりアップルパイの優しい甘味と暖かさを感じる。

見るからに美味しそうなアップルパイ、それも常連らしいアレクシスのお墨付き。頼まない理由がない。アカリがメニューを決めた空気を感じ取ったアレクシスは目配せで奥に控えていた魔女を呼ぶ。彼女はエプロンのポケットからメモと羽ペンを出すと、笑みを二人へと向けた。

「ご注文をお伺いしますね」
「彼女にアップルパイと、……飲み物はどうする?」
「ええと、アールグレイのホットで」

アレクシスに注文を任せ他のメニューを眺めていたアカリはそう声をかけられ、そういえば飲み物を決めていなかったとドリンクメニューにさっと目を通す。暖を取るために紅茶を頼むと魔女は小さく頷き、かしこまりましたと口にした。

「アランさんは、いつもので?」
「ああ、頼む」

笑みを向けられたアレクシスが慣れたようにそう言うと、魔女は会釈をひとつ残し奥へと去っていく。
メニューを置いたアカリは魔女の言葉にぱちりと瞬くと、次いで僅かにアレクシスの方へと顔を寄せた。

「………アランさんって?」
「偽名だ。この名を知っている者がどこにいるかわからないし、用心するに越したことはない」

なるほどと納得したアカリは顔の位置を元に戻し、コースターからグラスを取り上げた。結露がびっしりとできているグラスを傾け、唇を湿らせる。そしてそっとグラスを置き、静かに姿勢を正した。

「………あの」その声に、アレクシスの視線がアカリへと向く。「さっきのメリッサのこと、聞いてもいいですか」

再び外を眺め始めてしまう前に、とアカリは早速アレクシスに切り出した。
琥珀色の瞳をじっと見つめ、彼の口が開くのを待つ。アレクシスはアカリを見つめ返し、暫しの沈黙がその場を支配した。

きっとこの場を誰かが見たらさぞおかしな光景なのだろうと思ったものの、ここにいるのは二人とさっきの魔女のみだとアカリは思考を頭の外へと流す。そうして彼の瞳を見つめて少しした頃、アレクシスの瞳が逸らされた。

「………メリッサは、俺達と同じ悪魔憑きだ」
「え?」

驚きに瞳を見開いたアカリは悪魔憑き、と口の中で反芻させる。

「七人の他にもいたなんて知りませんでした」
「そうだろうな」そう頷くと、アレクシスは軽く肩を竦ませる。「彼等は、後天的な悪魔憑きであり、厳密では悪魔憑きではないのだから」

瞳を見開いたままのアカリは、あんぐりと開いてしまいそうな口をきゅっと引き締める。そんなアカリの様子からアレクシスは少し考えるような素振りを見せ、再び口を開いた。

「今では既に没落しているが、その昔はかなりの力を持っていた魔法貴族、ランドール家に生まれた。
しかし、魔法至上主義の塊のような血筋の中、魔力を持たないスクイブが生まれてしまった。周りの人間はスクイブだからと彼等を蔑み、差別し、存在を抹消した」

想像するのも容易いことだ。
今いる純血主義の貴族達も、純血以外と結婚したものやスクイブなどを血を裏切る者として、存在を抹消するという。

「彼等は恨んだ。自らを蔑む周りの人間達を、元凶である魔法を、全ての魔法使いを。
そして復讐するべく、悪魔を召喚するという手段を試み始めてしまった」
「え……………」

悪魔の、召喚?
後天的な悪魔憑き、というアレクシスの言葉が蘇る。驚いた様子のアカリを一瞥し、アレクシスは淡々と言葉を続けた。

「悪魔というのは、魔力を持つ持たないに関係なく、ただの気まぐれで現れる。恐らくは彼等の強い思いに惹かれたのだろう、悪魔召喚は成功し、契約を結んだ。
そして強い魔力を手にした彼等は、復讐を企てた。この世の頂点に立ち、全ての魔法使い達を傅かせよう、と」

アカリは無意識に、ごくりと喉を鳴らした。本人から直接聞いているわけでもないというのに、強い、強い怨みが、まるで呪いのように伝わってくるようだ。

「……………彼等、って?メリッサ以外にもいるんですか?」

カラカラに乾き切った口を開き、小さな声で先ほどから使われている三人称についてそう尋ねる。するとアレクシスは無意識に使っていたのか、ああと今気がついたというように肯定した。

「メリッサには、双子の兄がいる。名前はロキ、見た目はメリッサと瓜二つだからすぐにわかるだろう。もしも万が一ロキと出会ってしまったら、すぐさま逃げろ。あれは厄介な戦闘狂だ。決して戦おうなどとは考えるな」

そう鬼気迫る表情をしたアレクシスに強い口調で言い聞かされ、アカリはこくりと大人しく頷く他なかった。

しん、と再び静寂が訪れたものの、それはすぐに破壊されることになる。コツコツと足音を立て、トレイを持った魔女がやって来たからだ。

「こちら、アールグレイのホットと、アップルパイでございます」

小さく手を挙げたアカリの前に置かれる皿。ふわふわと白い湯気を立てるアップルパイの上に生クリームの代わりに乗っているバニラアイスがとろりと溶け、見るからに美味しそうだ。

アカリがアップルパイに目を奪われているうちに、魔女はアレクシスの前にも配膳し終わり、さっさと奥へ戻っていった。
アレクシスが頼んだ、いつもの、というものは何なのだろう。そう思いながらアレクシスの前の皿を見て、アカリはびしりと固まった。

大きめのマグカップに淹れられたたっぷりのブラックコーヒー。そして涼し気なガラスの器に乗っているのは、どう見てもコーヒーゼリーだった。

────アレクは、コーヒー中毒だからね。

いつだったかイルバートが言っていた言葉をふと思い出す。
なるほど、コーヒーと一緒にコーヒーゼリーを頼む彼は確かにコーヒー中毒なんだろう。

呆気に取られていたアカリを余所に、アレクシスはコーヒーに何も入れず口にし、次いでゼリーを掬ってぱくりと口に含んだ。

「………どうかしたのか?」
「あ、いえ」

微動だにしないアカリに気がついたアレクシスに声をかけられ、アカリは漸くハッと意識を取り戻した。
そして紅茶に小さなミルクピッチャーから温められているミルクを流し入れ、飴色から乳白色へと変わった紅茶に、砂糖を一杯だけ落とし、小さいスプーンでくるくると混ぜる。

そうして作り終えたミルクティーを一口飲んだアカリは早速アップルパイへと取り掛かることにした。

フォークをパイに突き立てると、サクリと小気味良い音を立てる。半分に割り中を覗いてみると、たくさんの飴色に煮詰められた林檎が顔をのぞかせた。

パイと林檎、そしてバニラアイスをフォークの上に乗せると、溢れないよう慎重に口へと運ぶ。

とろとろと口の中で容易に溶けてしまうほどに煮詰められた林檎の甘さと生地の香ばしさが口に広がり、ひんやりと冷たいアイスクリームがそれを上手くまとめている。
あまりの美味しさに頬を緩ませたアカリは夢中で半分ほどアップルパイを食べ進め、その頃にはアレクシスの前にあったコーヒーゼリーは跡形もなく綺麗に食べられていた。

「………アレクさん」
「なんだ」

コーヒーを啜るアレクシスがアカリの声に顔を上げた。
アカリはアップルパイを半分残した状態でフォークを置き、アレクシスに倣い紅茶を啜る。
そして一息つくと、顔を上げアレクシスと目を合わせた。

「メリッサとは、どのような関係なんですか」

静かに切り出したアカリの言葉に、アレクシスはぴくりとも表情を動かさない。むしろそう尋ねられるのを知っていたとでもいうように、アレクシスは自然に口を開いた。

「あの二人とは幼馴染であり、兄弟でもある」

幼馴染で、兄弟。
口の中で反芻するように転がし、次いでメリッサの顔を思い浮かべた。
蜂蜜色の瞳は確かに少しだけ色味が似ているけれど、顔は全く似ていない。

「似ていないだろう。血は繋がっていないのだから、当然と言えば当然だ」

アカリの考えを見透かしたようなタイミングでアレクシスが微かに苦笑する。

血の繋がりがないのなれば納得がいく。
しかし、血の繋がりがない兄弟ならばまだわかるが、それに加え幼馴染でもあるというのは何故なのだろう。

「元々闇の魔術を専門に研究する父がランドール家の当主に懇意にしてもらっていたんだ。
当主は闇の魔術に関して強い興味を示していたが、彼自身に魔法の才はそれほどなかった。色々あって知り合った純血貴族出身の闇の魔術専門の研究者、それも神と同等の存在であると信じ込んでいた悪魔憑きの子供を連れた男。これほどまでに都合のいい人材はいないだろう。彼は父に研究成果の報告を条件に、生活費や研究費全てを補うと申し出た」

遠い昔のことを思い出すアレクシスは、頬杖をつき僅かに瞳を細めた。窓から差し込む夕日の橙色が瞳の琥珀に混ざり、本物の夕焼けを見ているかのように錯覚する。

「当主は悪魔憑きの子供を養子にしたがっていたが、実の子を差し出すようなことを父は嫌がった。結果的に俺はランドール家の嫡男、………メリッサ達の弟の家庭教師を頼まれ、そこでメリッサ達に出会ったんだ」

淡々とした、ただの昔話。それなのに、アレクシスは悲しい過去を語っているような、そんな気さえしてくる。
しかしすぐに表情を元に戻すと、微かに苦笑し肩を竦めた。

「重苦しい話をしてしまったな。すまない」
「いえ、そんな」

首を横に振るアカリを見て、アレクシスは瞳を細める。その瞳は昔話を語っていた時と同じ、どこか懐かしさを滲ませているように見えた。
ふと目に入った自分の皿には、半分残ったアップルパイ。その上に乗ったアイスは、もう既にドロドロとに溶けてしまっていた。

「……………今、幾つだ?」
「え?」

突然切り出された話題に、アカリはぱちりと瞳を瞬かせる。

「16です」
「そうか。………ホグワーツに通っていたら、6年生になっていたのか」
「そういうことになりますね」

何の話だろうとアレクシスを見ても、彼はいつも通りの表情を浮かべるだけ。不思議そうに内心首を傾げたアカリは残った半分のアップルパイに手をつける。溶けきってしまったアイスクリームに塗れたパイを口に運ぶと、これはこれで美味しかった。

「………………お前は、ホグワーツに通いたいと思うか?」
「ホグワーツ、ですか」

うーん、とフォークを咥えたまま考える。
ホグワーツ魔法魔術学校。
前に、ヴォルデモート卿にホグワーツに行かせるわけがない、と鼻で笑われたことをふと思い出した。
今から入学は歳的に無理だし、そもそも入学許可証も来ないしなあ、と思いつつもアカリは口を開く。

「入れる入れないは別に考えるのなら、通ってみたいです。やっぱり憧れなので」

ヴォルデモート卿が許してくれないでしょうけど、と苦笑いを向けるアカリに、アレクシスはふと顎に手を添え、何やら考え始めた。考え込んでいる様子のアレクシスを横目に、アカリは残っていたアップルパイをぺろりと食べ終える。少し冷めてしまった紅茶を飲み干すと、ほっと息をついた。

「出るか」
「あ、はい」

いつの間にか考え事を終えていたらしいアレクシスにそう促され、席を立つ。
お金が入った袋を出す前に、アレクシスがサッと硬貨を取り出し会計を済ませてしまった。

「すみません、ご馳走様です」
「気にするな」

申し訳なさそうなアカリにそう言えば、アレクシスは懐から懐中時計を取り出した。銀の意匠が施された蓋を開けると、彼は僅かに眉を寄せアカリへと顔を向ける。

「俺はこれで。送ってやれなくて悪いな」
「いえ、全然大丈夫です。今日はありがとうございました」

アカリがぺこりと頭を下げると、アレクシスは踵を返し、大通りの方へと戻って行った。角を曲がったことで彼の後姿が見えなくなると、アカリは身体に残る疲労感に苦笑しつつ、踵を打ち鳴らす。そして、パチンと音を立て姿をくらませた後。


────アカリが立っていた場所のすぐ脇にある小道から、漆黒のマントを羽織り、フードを目深に被った男が現れた。

「………なァんだ、死んでなかったのかァ」

そう至極愉快気に呟いた男。彼は、唇をニィ、と吊り上げると、瞬時に姿をくらませる。

彼が立っていた場所には、一輪のベラドンナが風に吹かれ揺れていた。

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