ルージュの戯言


薄暗い室内に、ほんの少しだけ開いたカーテンから一筋の日光が差し込んだ。
その光はベッドに潜り込み寝息を立てているアカリの目元を照らす。
その眩しさに、顔をしかめながら唸り声をあげると日光から逃れようとすべく寝返りを打った。
少しだけ意識が浮上したアカリは体勢を変えそのまま薄目を開けてみる。
一番に目に入ったのは、豪華なクリスマスツリー。次いで視界に飛び込んできたのは、ツリーの足元に置かれたいくつかのプレゼント。

「………え!?」

プレゼントを視界に入れた瞬間、アカリは完全に意識を覚醒させ、素っ頓狂な声を上げて起き上がった。

そのまま素足でベッドから降りると、一目散にツリーの元へと向かう。
ツリーの足元に座り込むと、その場に置かれたプレゼントに手を伸ばした。

贈られてきたプレゼントは、全部で3つ。
ドキドキと心臓が早鐘を打つのを感じながら、アカリは手前にある小さな箱を手に取った。

クリーム色の上品な包装紙を丁寧に外し、水色のリボンを解く。中から出てきたのは、真っ白なマフラー。上質なシルクのように、手触りがなめらかだ。
中に入っていたクリスマスカードを読んでみると、差出人はどうやらルシウスらしい。

「『メリークリスマス。いかがお過ごしですか?約束のプレゼントをお贈り致しました。
以前、貴女がホグズミード村へいらした時、欲しいと仰っていたマフラーです。あの時は結局、買えずじまいでしたので。どうか喜んで頂けるよう祈ります。
それでは、よいクリスマスを』………か」

そういえば、あの時に欲しいと言っていたマフラーは、結局買わずにいたんだった。
雪のように真っ白なウサギの毛が使われたマフラー。
あんな些細なことまで覚えていてくれたルシウスの優しさに、思わず笑みが零れた。


マフラーを箱の中に丁寧に戻し、蓋は開けたまま床に置いた。
そして、細長い真っ白な箱を手に取ってみる。

包装されていないその箱には、赤いリボンがかけられている。それを解き、蓋を開けてみると中には室内に置けばインテリアにもなりそうなマニキュアが何本も入っていた。

「綺麗…………」

メリークリスマス、とだけ書かれた煌びやかなクリスマスカードを見て、思わず頬を緩めた。
最後に、正方形の黒い箱に手を伸ばす。

真っ白なリボンを解き、蓋を開けると中にはとても豪華なチョーカーが鎮座していた。

細やかに編み込まれた黒いレース。そして中央には、大きな深紅色の宝石が下げられていた。

華やかなそれを手に取り、眺めてみる。雫型の宝石は、血のように赤い。
ふいに、ピジョンブラッドと呼ばれるルビーの一種を頭に浮かべた。

3つ全てのプレゼントを開けたアカリはふと首をかしげた。

クローディアは、どうしたのだろう。
彼女はプレゼントをくれると言っていたはずだ。

記憶違いだろうか、と手元にその場に視線を落とすと、プレゼントの陰になっていたところに一枚の封筒が落ちていることに気がついた。

薄い紫色のそれを拾い上げる。差出人は、−−−クローディアだ。
アカリは封を開け中の便箋を取り出し、さっそく読み進めた。

『アカリへ
メリークリスマス!
私からのプレゼントがなくて、がっかりしてくれたかしら?
貴女には悪いけれど、少し事情があって朝には送ることが出来ないの。きっと、夕方には見ることができると思うわ。
私としては、朝に送ってあげたかったのだけれど………あの男には苦情を言ってやってちょうだい。絶対よ。
名残惜しいけれど、この辺で。またショッピングしましょうね。

愛をこめて クローディアより』

最後まで読み終え、アカリはくすりと笑みを零した。クローディアらしい手紙だ。

それにしても、夕方じゃないと送れない理由とは何なのだろう。あの男、というのはイルバートだろうか。
よくわからない言葉がところどころにあったものの、アカリは夕方にきっと解決するだろうと自分を納得させた。

クローディアからの手紙を封筒にしまっていると、背後から軽い破裂音が聞こえてきた。
振り返ると、サフィアが恭しくお辞儀をしているところだった。

「おはようございます」
「おはよう、サフィア」

朝食をテーブルに並べるサフィアを横目に、アカリはサイドテーブルの引き出しから包みを取り出す。
後ろ手に包みを隠すと、そのままサフィアの目の前まで進み、その場に膝をついた。

「どうかなさいましたか?」
「あのね………」

目線が同じ高さになったサフィアの、大きな美しい瞳が一度、瞬く。
アカリはサフィアの目の前に、包みを掲げてみせた。

「メリークリスマス、サフィア!」

にこにこと笑顔を浮かべながらアカリが嬉しそうに言ったその言葉を、サフィアは理解しきれていないようだった。

「そ、れは………」
「プレゼントだよ、クリスマスプレゼント」

受け取って、と差し出すも、サフィアは一向に動こうとしない。痺れを切らしたアカリは突然サフィアの手を取ると包みを握らせた。

「はい、開けてみて」

アカリがそう言うと、サフィアはゆっくりとした動作で包みを開ける。
中から出てきたサファイアのペンダントを見た瞬間、サフィアは同じ色をした瞳を大きく見開いた。

「これは、」
「サフィアには、いつもお世話になっているから。お礼も込めて、プレゼント」

固まったサフィアに、仕方ないなあと言うかのように微笑んだアカリはサフィアの手からペンダントを取ると、そのままサフィアの首にかけた。

「………うん、やっぱりよく似合う」

そう言ってアカリが目を細めると、サフィアはやっと顔をあげ、ありがとうございます、と呟いた。

「このようなものを、私なんかに…………」
「そんなこと言わないで。サフィアにはこんなものじゃ足りないくらい感謝してるんだから」

深々とお辞儀をしたサフィアは再び顔をあげ、このご恩は絶対に忘れません、と力強く言うとその場で姿を眩ませた。

「………感謝の意味を込めてプレゼントしたのに、恩を感じられてもなあ」

まあいっか、と笑ったアカリは立ち上がり、ソファに座る。
スプーンを右手に、いただきます、と瞼を閉じた。

***

「アカリ」
「卿?どうかしたんですか?」

クリスマス、と言っても特別何かをするわけでもなく。
イルバートから贈られたマニキュアを使いって両手の爪を真っ赤に染めたり、紅茶を片手に読書に勤しんでいたアカリは、自室の扉から聞こえてきたノックに応じ、部屋の中へとヴォルデモート卿を招き入れた。

「これに着替えろ」

ただ一言、そう言ってヴォルデモート卿が差し出してきたのは大きな薄い箱。他にも正方形の箱をもう一つ手にしている。

「………はい?」
「時間がない、さっさとしろ」

突然のことにぽかん、と固まったアカリの腕に無理矢理二つの箱を乗せると、ヴォルデモート卿はソファにどっかりと座り込んだ。
アカリは箱を持たされたまま暫くその場で立ちすくんでいたが、眉を寄せたヴォルデモート卿に視線を向けられ、ハッと意識を取り戻すと急いでバスルームに駆け込んだ。

「着替えろ、ってこの箱何……?服?」

とりあえず、と浴槽の縁に腰掛け、箱を膝に載せ開けてみる。
まず正方形の箱から取り出したのは、真っ白なハイヒール。
それはリボンで編み上げ足首を固定するタイプのもので、踵が恐ろしく高い。

…………なんだこれ。

意味もわからずにハイヒールをじっくり眺めたアカリはそれをひとまず横に置き、薄い箱の方も開けてみようと手に取った。

蓋をとった薄い箱から出てきたのは、−−−真っ白なドレスだった。

「…………は?」

蓋を開けた状態で再度固まったアカリは、蓋を床に投げ捨てるとドレスを取り出し広げた。

雪のように真っ白な生地で出来たドレス。
ビスチェタイプの胸元にはいくつものスワロフスキーが散りばめられていて、光を反射しキラキラと輝いていた。
スカート部分は幾重にも薄いオーガンジーが重ねられ、ふんわりとしたAラインになっている。

とても清楚で可憐な、まるでウエディングドレスのようなそれを上から下までじっくり眺めると、アカリは再び呆然としてしまった。

なんだ、これは。
何故こんなドレスを渡された?着替えろ、ってこれを着ろと?わたしが?

ただただ困惑に頭を支配され、アカリは思わずドレスを手にしたままバスルームから顔を覗かせた。

「卿!」
「着替えたか」
「いやまだですけど、あの、これってどういう………?」
「まだだと?」

何やら何枚もの書類をテーブルの上に積み上げ仕事をしていたヴォルデモート卿はアカリの言葉に顔を上げテーブルの上に置いてあった時計に視線をやると、眉を寄せた。

「時間が無いんだ、早くしろ」
「時間って何ですか、なんでドレスなんて着ないといけないんですか?」
「いいから着替えろ、それから説明してやる」

それとも、と言葉を切ったヴォルデモート卿は緋色の瞳をゆるりと細め、形のいい唇を吊り上げた。

「着替えを手伝って欲しいのか?」
「ッ今すぐ着替えて来ます!」

向けられた視線の熱にぞわりと背筋が粟立つ。アカリは慌ててバスルームの扉を閉じ、早鐘を打つ鼓動を落ち着かせていると、扉の向こう側から忍び笑いが聞こえてきた。

「む、むかつく………!」

弄ばれたことに対する苛つきと恥ずかしさに、顔が熱くなる。

何はともあれ、ひとまずこのドレスを着なくてはならない。
アカリは手に持つドレスを見下ろし、ふう、と息を吐いた。

***

「…………あ、の」

暫くして、ガサゴソと物音がしていたバスルームから何も聞こえなくなった頃、アカリがひょこりと顔を覗かせた。

「着れたか」
「まあ、一応は……………」

歯切れの悪いアカリに怪訝そうな視線を投げかけると、ヴォルデモート卿は手にしていた書類をその場に置き、立ち上がった。

「何をしている?さっさと出てこい」
「…………こ、心の準備が」

尚も渋るアカリに、はあとため息を吐いたヴォルデモート卿はつかつかとバスルームまで歩み寄ると、扉のドアノブを掴んだ。
近づいてきたヴォルデモート卿に驚いたアカリは慌てて引っ込もうとするものの一歩遅く、完全に閉じ切る前に止められてしまった。
成す術のなくなったアカリは腕を掴まれバスルームから引っ張り出された。

「う、わっ」

慣れないヒールの高さにぐらりと身体が傾く。ぼすん、と目の前に立つヴォルデモート卿の胸に顔からダイブした形で転んでしまったアカリは、鼻と額に衝撃を受けたと同時にふわりと漂う香りを感じた。
その香りに反応して瞼を開けるのと同時に、ヴォルデモート卿はアカリの腕を掴んだまま身体を支え、その場に立たせた。
アカリがしっかりと立てたことを確認するとヴォルデモート卿は腕を離し、三歩ほど離れ上から下まで細めた緋色の瞳でじっくりと眺めた。

「…………あ、の?」

何も言われず、居心地の悪さを感じたアカリは視線をヴォルデモート卿の足元に落とし、ふんわりと広がったスカートを指先でいじる。

…………何か、言ってくれてもいいのに。
外人のように足が長かったり胸が大きかったりスタイルがいいわけではないし、こんなドレスが似合うわけないのは、わかっているけど。
着ろと言ったのはそっちだし、説明もまだされてない。

ほんの少しだけムッとし始めたアカリだったが、ふいに近づいてきたヴォルデモート卿が背後へと回ったのに対し、身体を硬くさせた。

真後ろで足を止めたヴォルデモート卿の姿は、アカリには見えない。
なんだなんだ、とそわそわしていると、突然ヴォルデモート卿がアカリの髪を一束掬い取った。

「えっあの、卿?」
「動くな、じっとしていろ」

びくり、と一瞬肩が跳ねたものの、有無を言わさない声が後ろから聞こえ、仕方なく口をつぐんだ。

大人しくなったアカリの髪を手にしたヴォルデモート卿は杖を取り出す。つい、と指揮棒のように杖を振り、操り出した。
背後で髪をいじられるのを感じながら、アカリはぼんやりと目線の先にある暖炉を眺める。
そのまま何分かした頃、ヴォルデモート卿が満足気にアカリの正面へと回ってきた。

「…………ああ、これでいい」
「え?」

完全に意識を彼方へと飛ばしていたアカリはその言葉に意識を取り戻し、思わず違和感を感じる頭に触れた。
すかさず触るな、と叱咤が飛び、慌てて手を離す。

「後は………」

頭から手を離したアカリにそのままでいろ、と命じたヴォルデモート卿はふいに部屋のドレッサーに視線をやる。しかし眉を寄せたかと思うと、再びアカリに顔を向けた。

「化粧道具は何も無いのか?」
「え?ないですけど………」

アカリの返答に顔をしかめたヴォルデモート卿は、はあ、と深いため息をついた。
そのため息に、は?と声を出しそうになるも、必死で押しとどめる。

え、どうしてため息をつかれなければならないの?どういうこと?

頭の中がはてなマークでいっぱいになっているアカリを無視し、ヴォルデモート卿はこちらへと近づいてきた。
目を閉じろ、と言いながら杖を取り出す。何をされるのだろうか、と少しだけ不安になるものの、拒否権のないアカリは渋々瞼を閉じた。

人間の五感の中で一番頼りになる視覚を無くし、緊張や不安からか鼓動が早くなる。
ふいに顎に手を添えられ、思わず肩が跳ねそうになるのを必死で押し止めた。
顎に添えられた手によりほんの少し上を向かされ、何やら硬いものが瞼に触れる。
反応しそうになるものの、これも押し止めながら触れている物体の正体を探る。
両の瞼をするりと撫で、頬へと降りてきたこれは、杖だろうか。瞼を閉じる直前に杖を取り出していたし、肌に触れている面積も小さなものだ。きっと杖先でなぞられているのだろう。何故かはわからないけれど。

最後に頬をなぞったかと思えば、杖先であろう物体は肌から離れた。
無意識に潜めていた息を吐き出しながら瞼を開けると、視界いっぱいに端正なヴォルデモート卿の顔が写った。

「っ近!?」
「うるさい、騒ぐな」

仄かに眉間に皺を寄せた彼は杖をしまうと、今度は懐から何やら黒い箱を取り出した。
几帳面な彼らしくもなく包装をバリバリと無造作に取り外すと、蓋を開ける。
顔の近さと謎の箱に思考がこんがらがっていたアカリに、ヴォルデモート卿は再び目を閉じろ、とでも言うかのように指先で瞼に触れた。

箱の中身が気になりつつも素直に瞼を降ろす。僅かな物音から、箱の中身を取り出しているのがわかった。
再び顎に手を添えられる。微かに肩が強ばった瞬間、何やらよくわからないものが唇に触れた。
びくり、と抑えきれずに肩が揺れる。
何度かその物体が唇をなぞると、もういいぞ、とヴォルデモート卿の声が聞こえ離れていった。

その言葉通りに瞼を開けると、ヴォルデモート卿は満足そうな表情を浮かべていた。

「唇をすり合わせろ」
「へ?あ、はい」

言われた通りにすると、唇に違和感を感じる。これは、…………口紅?

「手を出せ」
「?はい」

唇の違和感の正体を確かめるべく手で触れようとした瞬間、ヴォルデモート卿が何かを握っているような右手を差し出す。
慌ててその真下にアカリが両手を出すと卿の手が開かれ、握っていたものが落ちてきた。受け皿のように掌を丸めたアカリの手の中に難なく収まったそれは、小さな筒状のもの。
艶のある真っ黒な表面には、深紅の薔薇の刻印が刻まれていた。

「これ、って…………」

思わず筒の蓋を取り外すと、中身は予想した通り。紅薔薇を煮詰めたような、真っ赤な口紅だった。

「お前が昨日言ったんだろう」
「え?昨日………?」

何をだ、と昨日の出来事を思い出そうとするも、それは手の中の口紅をヴォルデモート卿が取り上げたことによった邪魔された。

「考えるのは後だ、これは置いておけ」

取り上げた口紅をドレッサーに置いたヴォルデモート卿は、ふとテーブルに置かれた箱を視界に入れた。
真っ黒なそれは、アレクから贈られたチョーカーが入っている。
そのことを伝えると、無言のまま卿は箱を手に取った。
蓋を外し、中のチョーカーを目にすると彼はそのまま黙り込んだ。
どうしたんだろうと不思議に思っていると、卿は中からチョーカーを取り出しアカリへと向き直った。

「後ろを向け」
「はい」

裾に気を配りながら言葉通りにヴォルデモート卿に背中を向ける。
ヴォルデモート卿が背後に立った気配を感じ、次いで胸元にひんやりとしたものが触れた。

首から上を動かさないように、指先でそれを触る。つるりとした冷たい石。十中八九、先ほどのチョーカーだろう。

正面に回り込んだヴォルデモート卿は再びアカリ全身をじっくりと眺めると、ほんの少しだけ口角を上げた。

「お前にしてはまあまあの出来だな」
「それはどうも」

卿の物言いに苦笑を浮かべたアカリは、万が一にも裾を踏みつけて転けることがないようそっとドレスを持ち上げた。
慎重に一歩ずつ進んでドレッサーを覗き込む。
金の細やかな装飾に縁取られた鏡に写ったのは、華やかなメイクを施された自分自身の姿だった。

「…………だれ?」

何とも王道なセリフだとは思う。
それでも、咄嗟にこの言葉しか出て来なかった。
今まで出掛ける時にリップグロスを塗ることが数回あった程度で、完全な化粧というものをしたことがない。
ぱっちりと上向く睫毛もほんのり赤みを帯びた頬も、血のように紅く染まった唇も。
こんな自分なんて、見たことがなかった。

化粧だけではない。
肩下まであった髪が、後れ毛を残し綺麗に纏められている。正直どこがどうなっているのかよくわからないほど、細やかに編み込まれていた。
露わになった首元はチョーカーの黒いレースで覆われ、大きな真紅の宝石が胸元に鎮座していた。
後ろをよく見てみようと右や左に顔を向けると、緩く巻かれた後れ毛がふわりと揺れる。

ヴォルデモート卿の手先の器用さに素直に感動しながら、アカリはお礼を言おうと背後へと視線を移し、そして思わず目を見開いた。
振り向いた先に立つヴォルデモート卿は、先ほどまで着ていた真っ黒なローブではなく、タキシードを着込んでいた。
袖口を直すために伏せられた瞳と同じ色のポケットチーフが胸元に飾られ、同色のネクタイを締めている。

見たことのないその姿にぽかん、と口を開けたままただただ見つめていると、袖口のボタンを留め終えたヴォルデモート卿がアカリの視線に気づき、こちらへと目を向けた。
彼と目が合い、ハッと意識を取り戻したアカリはすみません、と自分でもよくわからずに謝罪の言葉を口にしていた。

「………ちょうどいいな」

謝罪の言葉には反応せず、アカリから時計へと視線を移したヴォルデモート卿はそう言うと長い指先でアカリを手招いた。
素直に彼の側まで寄ると、突然腕をつかまれ引き寄せられる。
再びバランスを崩しそうになるも、今は化粧をしているのだから彼の高級そうなジャケットに口紅なんかを付けるわけにはいかない、と何とか踏ん張り自分を掴むその腕にしがみついた。

転ばなかったことと化粧を付けずに済んだことにほっと安堵した瞬間、ふわりと何かが鼻をくすぐる。

この、噎せ返るような、濃厚で芳しい香りは、もしかして−−−。

「掴まっていろ」

ぐい、と腰に手を回されたかと思った瞬間、耳元でヴォルデモート卿がそう囁いて。脳が麻痺してしまいそうなほど濃い香りとその声のせいか、視界が揺らめいて、暗転した。

***


「っわ、と」

コツ、とヒールが音を立てる。
突然の付き添い姿くらましにほんの少しだけ着地を乱すものの、転ぶようなことはなかった。
肌を突き刺すような寒さに目線を上げてみると、二人の周りは白銀の雪が降り積もる庭のようだった。

「ここは………?」

思わず剥き出しになっている肩を自分の両腕で摩ると、それに気がついたヴォルデモート卿が指先でアカリの肩をなぞる。その瞬間寒さを感じず、かわりに何か暖かいものに包まれているような感覚がするようになった。

ありがとうございます、とお礼を言いながら見上げると、思ったよりも近い距離にヴォルデモート卿の顔があり、些か驚いてしまった。
姿くらましをする際に回された手は未だ腰にあるし、下手に動くと変に思われるかもしれない。
確実にヴォルデモート卿から漂う薔薇の香りとその距離に、ほんのりと赤く染めた頬を隠すようにアカリは少しだけ俯いた。

「このまま歩け」
「は、はい」

その歩調に合わせ、アカリをドレスの裾に気を配りながら石畳の道を歩く。少しだけ後ろを振り返ると、遠くに大きな門が鎮座しているのが見えた。

「………ここって、どこかのお屋敷ですか?」
「マルフォイ邸だ」
「えっ」
「今日はここでパーティーが開かれている」
「パーティー………ってことは、」

辺りを見渡しながらアカリが問うと、ヴォルデモート卿は前を見据えたままそう答えた。
石畳の道の両脇にはだだっ広い庭が広がっていて、右側の先に噴水のようなものがあるのが見えた。
こんなに大きな屋敷に住んでいるのか、とシルバーブロンドの彼を思い浮かべ、素直に感心しながらも、隣の卿を視線だけで見上げる。
パーティーが行われているこの屋敷に、こんな格好で来ているということは、だ。

「招待された」
「………ですよね」

予想通りの返答にハハ、と乾いた笑いが漏れる。
それならそうと言ってくれれば、どうにか回避できたかもしれないというのに。
不満そうに眉をしかめるアカリに、卿はどうせ、と口を開いた。

「部屋でダラダラと読書をするしか時間の使い道がないのだろう?」
「………そんなことは、ないですし」

図星だ。全くもってその通りだ、と頷くのは何だか癪だ。言葉に詰まりながらも否定をすれば、全てをお見通しだという様に鼻で笑われた。

「…………わたし、パーティーなんて出たことありません」

ぽつり、とアカリが気にしていたことを小さな声で呟けば、ヴォルデモート卿は何ともなしにだからなんだ、と言葉を返す。
はあ?と文句を言いそうになりながら隣の彼を見上げれば、赤の瞳がこちらに向いた。

「私が求めているのはパーティーの経験などではなく、どれだけその場にいる人間を欺けるか、だ」
「………………」
「お前がド素人の庶民だというのはわかっている。そもそも所作の素養など求めたりはしない」

悪口を言われているのだろうか。半ばイラッとしながらその瞳から視線を移した。
するとヴォルデモート卿が足を止める。思わず彼の顔を見上げると、静かに彼はこちらを見下ろしていた。

「お前はただ、私の隣で笑っていればいい。相手に何を言われようが反応するな、全て私が相手をしてやる」

それだけ言うと止めていた歩みを再び進め、ヴォルデモート卿は目線を前へと戻した。

「背筋を伸ばし、顎を引け」

腰に回された腕に力が込められるのを感じ取り、言われた通りに背筋を伸ばして顎を引く。
はらはらと舞い散る雪が絶え間なく降り続けるも、何故かアカリの視界には、先の方にある厳かな玄関しか写り込んでいなかった。

「笑え、そして演じろ。
お前は今、誰の隣にいる?」

玄関の段差を上り扉の前で歩みを止めたヴォルデモート卿は、アカリの腰に回されていた腕を離す。と同時に、彼は瞳を細めながらその腕をアカリの目の前に差し出した。

「……………」

一瞬、瞼を瞑ったアカリはすぐにヴォルデモート卿の瞳と視線を合わせると、ゆるりと笑みながら、彼の腕を取った。

「この世界を統べる闇の帝王、−−−ヴォルデモート卿です」

その言葉を聞いて満足気に口角を上げたヴォルデモート卿は、目の前を見据えた。
その目と鼻の先にある、魔法が掛けられた扉は、触れていなくとも勝手に開く。
煌びやかな内装、そして華やかな音楽や人々の話し声が満ちるその扉の内側へと、彼に触れている肩と腕に伝わる熱を頼りに、一歩、踏み出した。

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