駒の申込書


あの衝撃的な出会いから、既に3日が経った。

あれから無理矢理地下牢に入れられ連日連夜過酷な拷問が行われている、−−−わけでもなく。

大きな屋敷の二階一番奥、与えられた部屋から出るなと言われ、大人しく毎日を引きこもって過ごしていた。

その間、今の現状について、ずっと考えていた。

ここは、本当にハリー・ポッターの世界なのか。
本当にあの人はヴォルデモート卿なのか。
わたしは、もう帰れないのか。

3日間考え続けた答えは、全てYES。
ここはハリー・ポッターの世界で彼はヴォルデモート卿その人、そしてわたしはもう帰れない。

帰る方法があったとしても、ヴォルデモート卿の元にいる以上帰ることはできないだろう。

そのことがわかった今、心配なのは家族や友人たちのことだ。しかし揃いも揃ってドライな奴ばかりだから、まあ何とかなっているだろう。
…………何よりも、せっかく異世界なるものに来たんだ、思い切り楽しみたい。

少し不安もあるが、あの場で殺さず手元に置く、ということは危害を加えてきたりはしないだろう。アカリのその読みはどうやら当たっていたようだった。

ヴォルデモート卿は3日間毎日部屋に来ては紅茶を飲みながら読書や書類仕事に勤しんでいる。
それを横目に、アカリも読書をして過ごしていた。

ちなみに、初対面でかけられた魔法は翻訳魔法、というらしい。
今わたしが喋っている言葉は英語だし、わたしの耳に入ってくる言葉も英語、らしい。しかしわたしには全て日本語にしか聞こえない。
英語で書かれた本は何故かスラスラと読めるうえに英語で文章が書ける。
魔法とはつくづく便利なものだ、と思った。

そしてアカリはヴォルデモート卿が持ってきた本を借りて読書に勤しんでいる。元々本は好きな方だし、内容も元の世界にはないようなものばかりだからとても面白い。ただ、かなり難解な上にかなり分厚いから1日に3・4冊しか読めないのが難点。
そして今まさにその読書会(?)の真っ最中だ。

「………………………」

ちらり、と向かいのソファに座るヴォルデモート卿を盗み見る。

原作でのあの醜い容姿とはかけ離れた、彫りの深い顔立ちに蝋人形のような真っ白な肌。サラサラとした黒髪に伏し目がちな緋色の瞳。うーん、とんでもない美形だ。

整った顔に見惚れながら、ふとアカリは疑問を浮かべた。
この人、今何歳なんだろう。というか、今何年だ?
悪戯仕掛人が活躍する世代なのか、それとも既にポッター夫妻殺害事件に近い年なのだろうか。

内心で首を傾げていても、答えは出てこない。こうなったら、本人に聞くしかないだろう。よし。
覚悟を決め、アカリはおずおずと口を開いた。

「あ、の」
「…………なんだ」

ヴォルデモート卿は顔の向きをそのままに、目線だけこちらに寄越した。
無機質な瞳と目が合い、アカリはびくりと肩を揺らす。

「………今、西暦何年か知りたくて」
「1974年だ」
「74年………………」

素直に答えてくれたことに対し内心動揺しつつ、アカリは頭の中で年表を開く。

確か、ジェームズ達親世代がホグワーツに入学したのが71年だから………うっわまさかの親世代真っ最中!?マジかあの登場人物達と同じ時間を生きているんだ…………!

…………トム・リドルが生まれたのは1926年。ということは、…………45歳!?は!?

衝撃の事実に、思わず目の前にいるヴォルデモート卿の顔を見つめる。
どこからどう見ても20代後半の紳士だ。とてもアラフォーには見えない。

「なんだ人の顔をジロジロと」
「ごめんなさい」

アカリの視線を感じたヴォルデモート卿に鬱陶しそうに睨まれたアカリは反射的に謝ってしまった。いやそれにしても45歳。アラフォー。うわあマジか…………。
アカリは何故か軽くショックを受けていた。

「……ヴォルデモートさんって中年なんですね」
「……………中年、だと…………?」

ぽつり、とショックのあまりつい呟いてしまったアカリの言葉を聞いた瞬間、ヴォルデモート卿がぴしりと固まった。
しかしそれも一瞬のことで。
すぐに回復し何事かを呟いたかと思えばいきなり懐から杖を取り出した。

………取り出した?

「いやいやいや魔法反則!!禁止!!」
「知ったことか、貴様は眠って反省するといい」
「眠るって強制失神ですよね!?」

額に青筋を立て、どう見ても怒っているヴォルデモート卿が杖を振りかざす。

アカリは悲鳴に近い声を上げるととっさに身を縮め、頭を抱える。
そしてぎゅっと思い切り瞼を瞑った。

−−−パンッ

すると、耳元で、何かが弾けるような軽い破裂音がした。

………あ、れ?起きてる?

「……え?魔法は?」
「まさか…………」

そろそろと瞼を開けると、ヴォルデモート卿が杖を構えた格好のまま目を見開いていた。えっなに怖いんだけど。

「ッ来い!」
「痛っ」

目を見開いていたヴォルデモート卿は突然そう声を荒げると、アカリの腕を思い切り掴んだ。
その力強さに思わず声を上げるも、力で敵うわけもなく。そのままソファに投げ出されてしまった。

「じっとしていろ、動くな」

仰向けに転がったアカリの上にヴォルデモート卿が覆いかぶさるようにして馬乗りになる。

って近い!顔が近い!……この人睫毛長すぎじゃない?本当に男?

パニック状態に陥ったアカリの腕を掴んだまま、ヴォルデモート卿のもう片方の手が額に触れる。
彼が異国の言語のような呪文を呟くと、額が熱を持ち始めた。

「な、に…………」

熱い。身体の中の熱が全部額に集まっているようだ。
……なんだかクラクラしてきた。目が、開けられない。

瞼を閉じたアカリが唯一認識出来るのは、ひんやりとしたヴォルデモート卿の手だけ。
その心地よさに思わず息を吐いた瞬間に手が離れた。少しだけ残念な気がしながらも無理矢理身体を起こす。

「あの、今のなんですか?すごい熱かったんですけど」
「……貴様が熱を感じたなら、それは貴様の持つ魔力だろう。それを俺様が集めていた」

魔力。ヴォルデモート卿の言葉を頭の中で反芻する。

わたしが、魔力を、………持ってる?

「わ、わたしって魔力あるんですか!?」
「ああ、しかも量が尋常じゃない」

不可解そうな表情を浮かべるヴォルデモート卿の顔を見て、舞い上がりかけたテンションが萎れていく。

「貴様のいた世界で魔法は存在したのか?」
「いえ………」
「となると、この世界に来た時手にしたというわけか」
「……………あの」

なにやら考え込んでいるらしいヴォルデモート卿を伺い、アカリは大きな期待を胸に、おずおずと口を開く。

「わたし、魔法が使えるってことですか?」
「訓練次第だろうがな」

訓練次第だとしても、魔法が使える。
その言葉に、アカリは瞳を輝かせた。
当たり前だ、魔法が使えるだなんて。
あんなに憧れた、魔法が。

「あの、魔法は使えるようになるには、どうすればいいんですか?」
「大抵の者は世界中にある魔法学校に通う。それが叶わない者は魔法に長けた者に教えを請うな」
「ちなみに魔法学校には」
「行けると思うのか?」

だとすれば救いようのない頭をしている、と馬鹿にしたように鼻で笑われアカリはがっくりと項垂れた。

分かっていたことだ。すんなり行っていい、なんて言われたら逆に怪しんでしまう。だけど、分かっていながらも期待してしまうところはあるもので。

「そもそもこの屋敷にいる限り貴様の存在を知る者は俺様以外いないことになる。敷地内に検知不能呪文を掛けているからな。
ホグワーツ入学者の名が連なる名簿に貴様の名が刻まれることはない」

あっさりとそう言われるのと同時に、パリンとアカリの心が砕け散る音がした。


………………こうなったら最終手段だ。


「なら!ヴォルデモート卿がわたしに魔法を教えてください!」
「…………は?」

ガバッと顔を勢いよく上げたアカリに、ヴォルデモート卿は一体なんだとでも言いたげな顔を向ける。

「闇の帝王様なんでしょう?ならわたしみたいな子供に魔法を教えるのくらい簡単ですよね?」

ここで諦めるわけにはいかない。
魔法が使えるかもしれないんだ、このチャンスを逃す馬鹿がどこにいる?わたしはそんなに馬鹿じゃない。

「…………貴様に魔法を教えて、俺様にどんな利益がある?」

頬杖をついたヴォルデモート卿は目の前にいるアカリを見据える。真っ直ぐに向けられた瞳が、どこか愉快そうに細められた。

………来た。
この人は、合理主義者だ。
物事を全て損得で考え、判断する。
考えろ。きっとあるはずだ。わたしにも、利点が。

わたしの利点。それは−−−………。

「わたしは魔力が多く、そして誰にも存在を認識されていない。
それって、訓練次第では最高の駒になると思うんですけど」

どうですか、とヴォルデモート卿の赤い瞳を真っ直ぐに見返す。

そう、これこそが、わたしの利点。
正直言って彼がわたしをいつまで生かせてくれるかわからない。肝心のことは話せないし。痺れを切らして殺される可能性もあるだろう。
その前に、わたしに存在価値を見出してもらえばいいのだ。わたしを殺して生じる利点よりも、生かしたことで得られる利点を。

所有する膨大な魔力。
そして、未来の記憶。
これを使いこなせば、きっと存在価値を見つけてくれる。有難いことにこの人には恐ろしいほどの収集癖がある。だから、一度気に入ってもらえば殺されることはないだろう。…………多分。

わたしは、本気だ。駒でもなんでもいい。
………どうせ、わたしは元から何も持っていないんだから。

アカリは覚悟を決め、彼の赤い瞳を見つめたまま、ぎゅ、と唇を引き結んだ。

「…………なるほど」

どれほどの時間が経っただろうか。
そろそろ唇が痛くなってきた頃、その間ずっと無表情を貫いていたヴォルデモート卿がふいに、ふ、と息を漏らした。

「真正面から駒にしろと、お前は言うのか」
「………そうです」
「そうか」

く、と再び声を漏らしたヴォルデモート卿は、口角を上げ心底愉快だとでも言いたげな表情を浮かべていた。
この3日間、彼の表情と言えばしかめ面か無表情しか見たことがない。

この人も笑ったりするんだ、とぽかんと口を開けてしまっていたアカリにヴォルデモート卿は挑戦的な目を向けた。

「いいだろう、そこまで言うなら俺様が教えてやる。ここで生きていく術を、魔法を、この世界の全てを。
−−−覚悟は、したな?」
「……………………はい!」

アカリは正座をして頭を思い切り下げる。
ありがとうございます、と呟いた声は歓喜のあまり震えていた。
そろそろと頭を上げた先のヴォルデモート卿は、やはり愉快そうに笑っていた。

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