適量の孤独 | ナノ


ちょっとした噂 参


「その噂は、本当です」

沈黙に支配された空気に場が持たなくなってきたと感じた俺が、ふと口から零しそうになった空気を吸い込むように彼女はぽつりと言葉を零した。
ゴクリと喉がなる。
緊張とは違う種類の神経を研ぎ澄ませていた思考が次の言葉を待っていた。

「女将さんのお客様なんですけど、私のことを気に入って下さったようで……」

御猪口に入った僅かな切れ目に、手入れの行き届いた爪を何度か引っ掛け話し出す様は、やはり見合いを前向きに考えていないことを表しているように思えた。
いくら熊の様だと揶揄される容姿をしていたとしても、その程度は察することが出来る。
と胸を張って言えるかは謎だが、彼女の様子からして何かを迷っているだろうことは確かだった。

「まぁ、なんだ。相談ぐらい乗ってやれるが」

かりかりと頭を掻き、乗ってくるかどうかも分からぬ提案をしてみたところで、はたと落とし穴に気付いた。
俺はこの手の話が上手くない。
色恋の経験はある。
もしかしたら将来一緒になるだろう女とも出会えた。
だからちょっとばかしの恋愛相談なら相槌とともに聞くことが出来る。と思っている。
しかし、この話はケースが特殊だ。
お見合いなんてこのご時世大名連中の間でしか見たことはないし、聞いたとしても整備の行き届いていない地方集落での話でしかないだろう。
ましてや火の国木ノ葉隠れの里、そのど真ん中で見合いなどという話を明け透けに出来る人材など火影様か相談役辺りしかいない。
ガイから彼女に見合い話が上がっていると聞いた時も、その特異話に耳を疑ったばかりではないか。

「……ありがとうございます」

飲み始めた頃とは違い、彼女の視線は一向に此方を向かない。
しかし、飲み干すのかどうか怪しかった残りの酒をくいと煽る仕草がこの話題の終わりを告げていることは理解出来た。

「お見合いの話があった、ぐらいなのでまだまだ先の話です」

そう空笑いを零す彼女に、俺は「そうか」と一つ告げ空になった御猪口へ酒を注いでやる。
店主のおすすめつまみのレパートリーが尽きる頃には、カカシの容態やら日々の息抜きに丁度良さそうなくだらない話で盛り上がっていた。

「今日はご馳走さまでした」
「いや、俺こそ付き合ってもらって悪かったな」

店の外へ出ると、もういい時間になっていたのかぽつりぽつりと輝く星を一つ二つと見つけることが出来た。
「それじゃあ、また」と告げゆるりと背を向け歩き出す彼女の背を見つめる。
カカシの想い人に突如として浮上したお見合いの話題に吊られ、運良く出会してしまった彼女を突き合わせてしまったものの、どうやらカカシにも彼女にも幸せと呼べる話ではなさそうだった。

「ガラにもないことはしないに限る、か」

そうぼやいた呟きは、少しばかり生温い風に誘われて喧騒に消えた。


後日。店主から漏れ聞いたのか、紅がツカツカと俺の元へ歩み寄って来たかと思えば「美人の注ぐお酒はさぞ美味しいでしょうね?」と可愛らしい嫉妬を見せてきたものだから、相手が沙羅であると誤解を解くのに奔走する羽目になった。
それを横目に見ていたガイが根拠のない励ましをするものだから、俺は溜息一つにこう思ったのだ。

人の恋路を邪魔するべからず、と。





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