適量の孤独 | ナノ


ちょっとした噂 弐


噂をすれば何とやら。
とはこのことである。早急に任務を終えることが出来た俺は、腹ごなしに何かつまもうと大通りを歩いていた。
そんな時、偶然にも目の前から噂の張本人がゆるりと杖をつき歩いて来たのだ。
正に棚から牡丹餅。とまでは言わないが、噂を確かめることが出来ると確信した俺は、直ぐさまその人物の足を止めに向かったのである。

「沙羅」
「アスマさん」

片手を上げて名を呼べば、彼女は直ぐにこちらの存在を見留めた。
商店の明かりが闇夜を照らし、その中で佇む姿は・・・確かに艶っぽい。
加え、どこか浮世離れした雰囲気も醸し出ていた。それは身を置く世界の違いかもしれない。
しかし、濃紺をさらりと着流し柔らかく波打つ黒髪の揺れる様が、その違いに磨きをかけていることは事実だった。
それ以上に、蜘蛛の糸のように伸びる睫毛が瞬く間に現れる紫暗の瞳を何よりも印象的に見せた。
昔噂話程度に彼女のことを小耳に挟んだことがあるが、その時話題に上っていた女郎蜘蛛という渾名がとても良く似合う瞳だ。
カカシが熱を上げるのも分からなくはない。

「こんばんは。任務の帰りですか?」
「あぁ。お前さんはこんな所で何してんだ?」

何気なく問えば、彼女は久しぶりに貰った暇を何処かで食事をする時間に当てるべく商店街をふらふらしていたという。
これは好都合。
俺は噂の真相を確かめるべく、迷い無く次の段階へ足を運んだ。

「じゃあ一緒に食事でもどうだ?そんな洒落た店は知らないが、味なら保証する」

我ながらベタな誘い文句であったかもしれない。
彼女は突然の申し出に数度瞳を瞬かせたが、何かを考えるような素振りを見せた後、「ご一緒させて下さい」とこちらの申し出を受けたのである。


「それで、アスマさんは私に何を聞きたいのですか?」
「え」

行きつけの居酒屋に彼女を連れて行き、店主のオヤジに紅はどうしたとからかわれ、出てきた酒をぐいっと飲み干し一息ついた矢先の出来事である。
同じ様に酒にちびりと口を付けた彼女の口からは、まるで俺の思考など筒抜なのではないかと疑うような言葉が飛び出した。

「何か私に聞きたいことがあるのでしょう?」

そっと小首を傾げる姿にいったいどれだけの男が虜にされたかしれない。
しかし今の俺が感じている彼女への感情はそんなものではなかった。

「何でそう思う」

素知らぬふりをしてちびりと酒を含む。
店主がオススメだと出してきたつまみの数々を眺めて彼女の視線から逃れる。でなければ、一瞬にして全てを読み解かれてしまうような気がしたからだ。
まぁ、読み解かれて困る内容ではないのだが。
忍としての習性がそうさせるのかもしれない。

「アスマさんからこうしてお誘いを頂くのは初めてですから」

そうつまみを一口頬張り答える彼女に、俺はデタラメをと口走りそうになった。
彼女といえど、初めて誘われたからといって相手が自分に聞きたいことがあるなどと分かるはずもない。
それは本人も理解しているはずだ。
それでも、彼女は御構いなしにそう口にする。
こちらの反応を伺っているのだ。

「そういやそうか」

じわりと酒が喉を焼く感覚を味わいながら、俺は適当な返事を返す。


「というのは冗談で」
「……」

どこからが冗談なのだろうか。
隣で再び酒をちびりと含んだ彼女は、くすくすと笑みを溢しながら感嘆の溜息と共に店主オススメの酒に賛辞を呟いた。
そして酒に侵された口内から、仄かに熱い吐息と共になんとも曖昧な言葉を放ったのである。

「なんとなく、ですかね」
「なんとなく?」

俺はその曖昧な言葉の意味を知りたいと、阿呆のように鸚鵡返しを繰り出す。

「えぇ。アスマさんからお誘いを頂くのが珍しいというのも事実ですけど、カカシさんやナルト君のこともありましたから」

だから、聞きたいことがあるのかと。

そう思っただけです。

言葉尻からそう続くだろう答えに、頭を鈍器で殴られたような気がした。
浮かれた思考で彼女を呼び止め、居酒屋にて真相を聞き出そうなどと不埒な作略を巡らせている間にも、彼女はずっとカカシやナルトのことを考えていたのだ。
ぎくりと顎が引く。
聞ける雰囲気ではなくなってきた空気と、不埒な作略を読み取られまいとする思考が更に酒のスピードを速めた。
狭くも広くもない店内に響く喧騒がいやに耳につくのは、意識を彼女から逸らしたかったからかもしれない。

「……でも、私の予想はハズレみたいですね」
「っ」

ほんの少し上気した頬を緩ませ、彼女がぽつりと呟く。
こくりと角度をつけて覗き込まれた表情に吹き出しそうになった酒が喉に引っかかった。
ゴホゴホと咳き込めば、そっとお手拭きと水が差し出される。
大きくも小さくもない、しかし酷く女性らしい手が背中を優しく撫でた。

「……わ、わるい」

苦笑混じりに答えれば、また彼女はくすくすと長い睫毛を震わせた。

「いいえ。それより、アスマさんがそこまで動揺される内容というのを教えて下さい」

まるで子供の悪戯を見つけた母親のような笑みに、自分にもこうして目尻を細めて笑う母がいたことを思い出す。
彼女は時に女性よりも女性らしく見え、そして母親のようにも見える。
女性という存在は紅を通して一応理解を示してはいたが、彼女は紅とはまた違う女性像を俺の中に植え付けた。

「いやぁ、その……だな」

ここまできたら話さないわけにはいかないだろう。
そんなことを思いながらも歯切れの悪い俺に、彼女は口一つ挟むことなくじっと言葉を待っていた。
焼き鳥を串から箸で一つずつ外したり、ちびりちびりと酒を口にしたり。
その反応が、今まで言葉を濁していた気持ちに区切りをつけさせたことは間違いない。
友であるカカシのためにと大義名分を心に掲げたことも、また背を押す材料にもなった。

「噂……なんだが」
「噂、ですか?」

先ほどとは逆の展開に、彼女も純粋にこちらの言葉の内容を知りたいと思い鸚鵡返しをしているのだろうと悟る。

「あぁ。沙羅が見合いするってのを聞いてな」
「……」

瞬間、目の前で優雅な動作で酒に伸びた手がぴたりと止まった。
それは、まずいことを言ってしまったと後悔させるには十分な反応であり、俺をまた別の意味で動揺させるものだった。
店主があれもこれもと良い酒を出してくれていることだけが、この気まずい空気を和らげてくれている。
ややあって、少し和らごうとしている空気にそっと小さなため息が溶けて消えた。

「そのことですか」

ぽつりと呟かれたニュアンスに、俺は何故かアレ?と疑問に思ったのだ。
まるで見合いに良い感情を抱いていないようなそれは、彼女から艶の良い血色感を奪っていた。

「いや、悪い。余計なこと聞いちまって」

すかさず零れ出たものは謝罪に他ならない。
何故と疑問に思った心は、次の瞬間にはまずいことを言ってしまったと後悔に変わった。
伸びている髭を掻く仕草は、どうにかこうにかこの重い空気からの脱却を試みたものであったが、そんなことを彼女は知る由もない。
こんな場合、紅ならば冗談の一つでも飛ばせば有耶無耶に話は流れるだろう。
後になってデリカシーが無いなどとお小言をくらいそうだが、この状況では寧ろそちらの方が有難い。
しかし彼女の場合は、話を誤魔化して有耶無耶にすることを妙に躊躇わせるのだ。
余計なことを聞いたと謝罪を口にするくせに、本当のところはどうなのだろうと探りを入れたくなる。
それが友の想い人であるからなのか、それとも靄のように纏った女らしさの奥に隠れた彼女自身を知りたいと思ったからなのか。
正直俺にも分からない。
とかく、彼女は謎が多かった。





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