適量の孤独 | ナノ


来訪者 弐


そこにいたのは、もう何年と顔も見ていない木ノ葉の里の相談役が、くいと酒を煽って鎮座していた。

「ホムラ様、お久しぶりでございます」

座敷へ入り、そっと襖を閉めた私は折り目正しく三つ指をついて頭を垂れた。
突然の来訪者に、火影が不在という状況はこのようなイレギュラーのお客まで招くのかと一人ごちた。
そっと視線を戻すと、ホムラ様はまたくいと酒を一飲みにお猪口をコトンと置く。
木ノ葉を見渡し見定めてきた瞳がスッと細められた。
ぼんやりと漂う灯りの中で浮かび上がる表情に、私はあの日を思い出した。
そして悟ったのである。
ホムラ様は、何か重要なことを伝えに来たのだと。
それも、命令に近い何かを。

「相変わらずのようだな」

まるで通過儀礼のごとく飛び出してきた台詞に、ちらりと視線を自身の下肢へと向ける。
正座とは言い難い形で座す姿に、そう告げたのだろう。

「お陰様で。恙無く過ごしております」

言うが早いか、極彩の裾を難なく捌いて見せ、ホムラ様の傍へ寄り熱燗を掲げてみせた。
ちょっとした意趣返しのつもりだったが、如何せん人生経験に雲泥の差がある。
こんな程度では、御意見番の眉一つ動かすことは叶わないらしい。
とくとくと注がれる透明の液体から放たれる芳醇な香りが視線を釘付けにする。
女将さんも里の御意見番とあっては酒に糸目をつけないのか、このお店でも一二を争う高級銘柄を提供していた。
確か自来也様にも振る舞ったことがある品ではあったが、あのお方の口には合わなかったのかもっとキツイ酒をと言っていた気がする。
ホムラ様はどうだろうか。

「美味い」

ふぅと感嘆に似た溜息が漏れた様子で、眼鏡にかなったことは一目瞭然だった。
空のお猪口をこちらへ向けたことが何よりの証拠である。と、少しのご機嫌を取ったところで、私はすかさず本題を切り出した。

「今日は、私に何の御用ですか?」

空になったお猪口に再びとくとくと酒を継ぎ足す。

「相変わらず察しが良いな」
「まぁ、伊達にこちらで奉公はしていません」

苦笑を漏らした私に、ホムラ様は意外にもいいやと頭を振った。

「お前は昔から察しが良かった。相手の思考を読むのも、自分を犠牲にするのも」
「……」

注がれた酒の波紋をじっと見つめる姿に、三代目火影の影がちらつく。
それでも、この姿には三代目火影とは決定的に違う部分があることも理解していた。
それが二人の間にある木ノ葉という大きな組織を守るための考え方に起因していることは、言わずもがなであろう。
木ノ葉を我が家と言った三代目火影の、大らかな優しさで他者と結び付き対話を重ねる感情的な考え方とは違い、ホムラ様は木ノ葉を維持していくには感情に左右されてはいけないという合理的な思考の持ち主だった。
だからホムラ様はこの場所へ足を運んだのかもしれない。
それが、今の言葉で確実になった。

「私に、何をさせたいのですか」

熱燗を置いた手が静かに膝に戻る。
大方ホムラ様の口から出てくる言葉は予想できていたが、それを二つ返事で受諾することは、今の私には出来なかった。

「単刀直入に言う。お前から自来也に、五代目火影になるよう進言するんだ」
「……」

やはり。
そんな言葉が浮かぶほどには、この事態は私の予想していたものと相違なかった。
三代目火影という柱が消えた今。
大蛇丸首謀による木ノ葉崩しがなされた今。
そう。
今だからこそ、木ノ葉は自里の戦力を整え更なる被害を未然に防いでいかなくてはいけない。
それには、勿論信頼に足る強い指導者が必要なのだ。それはまぎれも無い事実である。
よって、木ノ葉の上役たちが自来也様をリーダーにと仰ぐのは考えれば当然の成り行きだった。
そして、私の所へ来たことも。
自来也様が私に目を掛けていたことを知っていて、事故による負い目があることで私の言葉になら耳を傾けるかもしれないという可能性につけ込む算段なのだろう。
しかし、それを自来也様に進言することは私の本望ではなかった。
何故なら、自来也様が火影になることを、私の心が拒否していたからである。
何てことはない。
ようはただの我儘である。
自来也様が火影になってしまえば、木ノ葉の里には居てくれるかもしれないが、私のもとへはそうやすやすと来られなくなるだろう。
そして、火影は里の人々全てを守り導いていかなくてはいけない存在である。
そうなれば、自来也様の心にいる私の居場所は少しずつ消えていってしまうかもしれない。
何よりも、自来也様の中から私の存在が消えることが怖ろしいのだ。
更に言うなれば、自来也様の心を占めるのは私であって欲しい。
人間という浅ましい生き物に生まれた性かもしれないが、愛する人の中には自分に向けられる感情が多くを占めていて欲しいと願うものである。
少なくとも、私はそういう人間だ。
だからこそ、ホムラ様の言葉には従うことが出来ないのである。

「それは出来ません」

お猪口に伸びていた柔らかい皺の寄る手がピクリと動きを止めた。眼鏡の縁に沿った眉が眉間に寄るのを横目に、私は言葉を重ねる。

「里の危機は重々承知しております。ですが、あの方を火影にと進言するのは私の役目ではないと存じます」
「何故だ」

「フェアじゃありません」

薄ら笑みを浮かべて呟けば、隣からはいやに長い沈黙の後、「お前ならそう言うだろうと自来也にも言われた」と何度目かのお酒をくいと飲み干したホムラ様の呟きが返ってきた。

「自来也様が?」
「あぁ。実はもう自来也には火影の話をしてある。が、あいつは見事に断ってきよった」

自来也様のことだ。
きっとスッパリ相手が二の句も継げられないほど潔く火影の話を断ったのだろう。
その姿を想像するだけで笑いがこみ上げ、同時に心底安心もした。
自来也様は、まだ遠くへは行かないと。

「で、儂等はお前ならば自来也を火影に出来るかもしれないと考えたが。あいつはそこまで見通していたのか、お前に話を振っても無駄だと言い切られた」

まるで昔話を語るような口調に、もしかしたらホムラ様は進言するよう命令に来てはいたが、その実私の返答にはそれ程期待していなかったのかもしれないと思った。

「事実、お前も自来也同様きっぱりと断ってくれたがな」

その言葉はどこか嫌味にも似た響きを含んでいたが、ごくりと嚥下した喉と酒で仄かに頬を染める姿に、さほど深い意味のある言葉では無いのだろうと悟る。
だからこんな言葉がぽつりと溢れたのだ。

「自来也様は、火影の椅子に座るような方ではないでしょう」

自来也様の人となりを知っている人間ならば、彼が火影の座につくような人間ではないと分かるはずだ。
たとえ、軽薄な印象を相手に与えるような言動を繰り返していたとしても。

「それは自来也の意志を汲んだものか?それとも……お前の願望か?」
「……」

溢れるように紡いでしまった言葉をホムラ様に告げてしまったのは失敗だったのだろう。
ホムラ様は私という人間などお見通しなのだろうから。
きっと、尋ねながらも答えは後者なのだと確信しているに違いない。

「さぁ、どちらがホムラ様の意向に沿うのでしょうか」

敢えてホムラ様の意向と名付けることで、我が願望に向いた矢を逸らす。
それでも年の功には敵わない。
それならば、いっそのこと相手に匙を投げてしまうのも一興。
こちらの思惑に気付いたのか、眼鏡の奥で酒に飲まれそうな瞳が笑んだ。

「ずる賢いな、お前は」

そう呟き、杯の中で揺らめく酒を飲み干す。
まるで杯という世界でゆらゆらと波打つ不安定な酒が、木ノ葉の里に見えたとは口が裂けても言うまい。
ホムラ様はそういった迷信的なことでさえ合理的という秤にかけて物事を進めようとするお人だからだ。

「ずる賢いかは分かりませんが、世の流れに従うことは覚えました」
「進言を断った口がよく言う」

まるで放っては帰ってくる手毬遊びのようなやりとり。
杯から消えた酒を継ぎ足そうと熱燗を掲げると、ホムラ様はぴたりと手を翳しこの手を止めた。

「今日はもういい。久しぶりに上手い酒が飲めた。女将にまた来ると伝えてくれ」
「畏まりました」

そっと頭を垂れ、幾分重い体を持ち上げるホムラ様を見上げる。
覆われるようにゆらりと影が伸びた。
それを見つめ、自来也様が毎度私の上に作っていく影とを比べる。
第一線で今尚戦っているからか、元々の体格差か、その違いに私はふと不安が襲ってきた。
それはいつもと違う影だからか、そうかもしれない。
しかし、そこに自来也様がいないという事実がえもいわれぬ不安を増長させていた。

「どうした」
「……いいえ。何でもありません。お見送り致します」

覗き込まれた瞳に、嫌な予感という不安に付きまとわれた思考が戻ってくる。
ホムラ様は何だという顔をしながら、私の勧めに従い座敷を後にする。

そろりと後ろに付いた自身の足音が、何故かいつもより心細く感じた。





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