適量の孤独 | ナノ


そんな都合の良い感情 壱


儂が選んでしまった選択によって、沙羅の忍としての人生を絶ってしまったあの日。
空が大粒の涙を流し、あいつの頬を冷たく濡らしていた。
途切れ途切れな意識を気力だけで繋いで言葉を紡ぐ姿に、目を背けたくなったことを覚えている。
しかし背けようとした視線とは裏腹に、耳は驚くほど研ぎ澄まされていて苦しげに紡がれた言葉を一言一句聞き洩らしはしなかった。

私の力不足です。

その言葉を聞いた瞬間、頭を鈍器で殴られた気がした。
違うだろう。
お前は何一つ過ちを犯してはいない。
お前を利用し、ホムラのオッチャンやコハル先生、三代目の意見に首を縦に振ってしまったのはこの儂だ。
しかし、そんなことを悔いてももう後の祭りであることは、目の前で意識を飛ばした沙羅を見れば一目瞭然だった。
自分が仕出かしたことの重大さは、後になって「もう、戻れないそうです」そう仮初めの笑みを張り付けて言う白い病室に溶けて消えそうな存在を見留めて知ったのである。
こいつの全てを変えたのは自分なのだと。
あの事件以降関わることを極力避けようとしていたのに、結局このザマだ。
そんな中で、後悔ばかりが押し寄せる心中にあいつは小首を傾げくすりと笑みするりと入り込んで来たのである。
忍としての再起が見込めないことを知った儂はどうにかして生きていく場所を確保してやろうと奔走した。
女将のもとへ紹介したのも、沙羅への罪滅ぼしの一つだった。
いいや、結局は自分の為だったのかもしれない。
女将のもとへ始めて沙羅を連れて行った時、女将は儂の背中に向かってこう言ったのだ。

お前の自己満足に私を巻き込まないでおくれ。

その言葉は、嫌が応でも胸に刺さった。
無理矢理目尻を下げて微笑み、適当な冗談を飛ばすことしか出来なかった頭でも、それが真理であることは理解できた。
逃げる様に店を後にした儂に、女将がどう思ったかは分からない。
それでも、距離を置こうとしながら罪滅ぼしという名をつけて沙羅に会いに来る儂を、女将は決して追い返したりはしなかった。
使い物にならなくなった脚で忍としての道を諦め、過去を抱えながら、それでも真っ直ぐこの瞳を見つめ返して来る紫暗に魅入られていることを、女将はもしかしたら気付いていたのかもしれない。
今更そんな考えに至り苦笑が漏れる。
あいつの為と言いながら生きる道を創ってやることで、どんな形であれ沙羅に惹かれていく自分とせこくバランスを取っているのだ。
全く、我ながらしょうもない人間である。

誰が心の中にいるのか。

問われてはじめに浮かぶ沙羅の姿に、戸惑わないかと言われれば否だ。
しかし、心のどこかで予想してもいた。
幼い頃から綱手に抱いてきた感情とはまるで違う想い。
二人に対する想いは正しく静と動。
長年を掛けて、それこそ家族のように気持ちを傾けてきた綱手への想い。
対して沙羅は老成し始めた儂の心にするりと入ってきて、水面を吹く風のように気持ちを揺さぶっていった。

儂にとって沙羅という存在はどこか四季に似ている。
沸き立つ想いも、募る感情も。

雪のように積もったかと思えば瞬く間に溶けてゆく。
そしてまた積もり始める。


綱手が心にいながら、儂の視線はいつも沙羅を気に掛けていた。





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