この心に 壱
様子がおかしいことは、あの時から気付いていた。
服を握り締める手が、何かを求めるように頼りなく伸ばされてきたからだ。
それでも、何を求めているのかは口にしない。
多くを語らないくせに、瞳は誰よりも強い意志を示したかと思えば絶望に揺らぐ。
そして、決して言葉にはしない感情を宿らせ語るのだ。
その瞳の饒舌さを知っていながら、毎度慄く自分がいる。
若さ故なのか、沙羅の境遇がそうさせるのか。
とにかく、あいつの瞳はよく語る。
良くも、悪くも。
そんなあいつのことだから、木ノ葉崩しを経て何を思ったのかは手に取るように分かる。
いや。
分かっているつもりになっているだけかもしれないが、あいつならこう思うだろうと勝手に作り出した幻影をなぞって分かっている気になっているだけなのかもしれない。
それでも分かってやろうと努力はしてきたつもりだ。
それこそ、『ずっと見てきた』なんて小っ恥ずかしい台詞が浮かぶほどに。
それでも、おかしいと気付いていながら顔を出さなかったのは、勿論理由がある。
あの瞬間。
鳩尾に灯った熱が脊髄を這い上がる感覚に、脳の隅でピンと細い糸が張り詰める音が響いたからだ。
あの瞬間感じてしまった感情を誤魔化し、灯った熱を有耶無耶にして体内から吐き出すため。
大切だと理解しながら目を逸らして見て見ぬふりをする。
己が何に慕情を抱こうと世間様には関係無いが、沙羅にだけはそんな感情を抱いてはいけない。
そう思っている。
そのせいか昔から小さな兆候の現れ始めた心を察知する感覚だけは研ぎ澄まされ、その芽を摘む技術は高めてきたつもりだった。
しかし、毎回毎回出会う度に灯される熱に手を持て余してきたのも事実。
摘んでも摘んでも芽を出すものだから厄介なことこの上ない。
それでも、この感情を放置してしまっては悲惨な末路が待っていることも知れていた。
だから、儂は幼い頃の延長のように綱手にちょっかいを出し続けてきたのだ。
見事な返り討ちをくらうことが常であったが。
それが今はちょっかいを出す相手が放浪癖のある自分と同じように旅をしているようで、里にはいない。
よって痛恨の一撃を喰らうこともない。
おかげで、摘み取り作業に二日もかかってしまったことは、誤算以外のなにものでもなかった。
そんなことをしている間に、すっかり木ノ葉は三代目の葬儀一色に変わりその日を迎えていた。
三代目との思い出を手繰り寄せながら、昔の浅はかな自分を悔いる。
その繰り返し。
強くなる雨足に曇天を見上げれば、沙羅の顔が浮かんだ。
あの日も。
こんな雨があいつの頬を冷たく濡らしていたと思い、また自分のした行いを悔いる。
抱いてしまった感情、おこなってしまった行為。
折り合いをつけたと思っていたあれやそれは、やはり心に抜けない棘のように深く食い込んだまま、今までもこれからもあやふやにしていこうとしていたのだ。
だから、こんな天罰が下ったのかもしれない。
「助けて」
眉根を寄せて苦しげに零された言葉を追えば、ぽたりと目尻に降ってくる雨。
それが涙であると知った時、とくりと打っていた鼓動が急激に肥大化し全身を波打った。
目尻に落ちてきたそれは耳へと流れていき、微かに瞳に染み込んできた塩気に目が充血していくのが分かる。
これは、自分の心を誤魔化し有耶無耶にしようとした罰なのだ。
沙羅の瞳から目を逸らし、寄り添わなかった罰なのだ。
「沙羅」
無意識に溢れた名前。
堰を切ったように溢れ出す涙と嗚咽を己の全てで受け止めようと伸ばした手が、さらりと流れる髪を梳いた途端に動きを止めた。
ぴたりと扉の向こうで止まる足音を聞いたからだ。
そして自分が今伸ばしていた手の理由を知り、愕然とした。
「……」
長い長い息を吐く。
肺の細胞という細胞。
身体の隅々にまである酸素を全て外へ出し切る努力をした。
まるでそうしなければ、この手が。
この心が。
何をしでかすか分からなかったからだ。