語る瞳
「またオレから逃げるのか?」
随分と安い挑発だった。
それでも口をついて出たのは、カブトの視線が殺気を放ち沙羅を捉えたのが分かったからだ。
舌打ちがマスクの内側で木霊する。
しかし安い挑発だと分かっていたからか、カブトの口から嫌味が飛び出してきても思考は冷静さを保っていた。
これから起こり得るだろう状況を何パターンも頭でシミュレーションしていく。
カブトが向かってきたら。
大蛇丸の援護に向かったら。
沙羅を人質に取ろうとしたら。
逃げたら。
どれもこれもあまり歓迎出来るものではないが、出来るなら戦況を把握して逃げることを選択してくれると有難い。
そんな事を思いながら、でもと逆説が浮かぶ。
カブトが大蛇丸を置いて戦場から離脱するとは考え難い。
どうしたもんかね。
絡まっていく思考を解すように、浅く息を吐く。
すると、こちらがあれやこれと思考を巡らせるのなんて御構い無しのカブトは、平然と撤退を口にした。
何故だ。
と思ったのも束の間、けたたましい音と共に屋根上の結界がするすると解かれた。
茂る木々の間から大蛇丸と結界を張っていた忍がぞろぞろと飛び出していく。
その光景は俺の中に最悪の結末が訪れたのではないかと予感させた。
飛び出して行こうとするガイを引き止めカブトに視線を戻せば、此奴はこうなることを読んでいたのかニヒルな笑みを覗かせた後、あっという間に姿を消したのである。
残されたのは、戦場独特の香りと荒廃した景色。
そして、得も言われぬ静けさだけ。
毎度、戦争の後というのはなんともやり切れない気持ちになる。
もっと自分に力があれば。
そう何度思ったか分からない。
戦うことに意味など無いのではないかと思ったことすらある。
それでも、戦わなくては殺られる。
大切なものを守るためには戦わなくてはいけない。
当たり前のような答えに、戦う意味はそれで十分だと悟った。
例え、守るためという大義名分を掲げ、武器を取り人を殺していると理解していても。
凪いだ風が肩越しに吹き上げ沙羅へと導く。
手摺りを握り締め空を見上げる姿は、まるで人間の争いを嘆く神を具象化しているかのようだった。
その姿に胸がさわさわと揺らぐ。
このまま、大気に溶けてしまうのではないか。
そう思うのと同時に、俺は消えてしまいそうな存在を確かに留めたくて、地を蹴った。
「沙羅」
「……終わったんですかね」
遠くを見つめたまま感情なく呟かれた言葉に、俺は肯定の言葉を示すのが精一杯だった。
その横顔が、あまりにも憂いに満ちていたから。
「分かりませんでした」とそっと目を閉じ告げられる言葉を聞いた時、カブトが何故沙羅を視界に入れたのかを理解した。
やはり、彼女は腐っても忍なのだ。
自分の持ち得る情報の中から、カブトを探して思考を巡らせていたのだろう。
何か情報が掴めるかもしれないと考えて。
そして、見つからなかった情報に不甲斐なさを感じているのだ。
あの時の様に。
「沙羅、それは
「沙羅!」
「!」
突如上空から聞こえてきた声に、俺と沙羅の視線が一点を捉える。
喉から出かかった言葉がストンと腹に落ちてきた。
空を飛ぶ様にして現れたのは、行方不明だと噂されていた自来也様。
その身とは裏腹にカランと軽々音を立て目の前に降りてくる。
この戦場だった場所にひらりと舞い降りる姿はまさに神出鬼没だ。
豪放磊落を地でいくような御仁故に、何時でも飄々とした姿で現れる者だから驚きを禁じ得ない。
しかし、久しぶりに見るそのお姿は、俺に少しの違和感を与えた。
「沙羅、無事か」
そう問う姿に、まるで父親が娘の心配をしている様だと感じ、だから違和感を覚えたのかと一人ごちた。
実際、昔から二人のやり取りを見てきた上で、年齢がそう見せるのか自来也様の態度は父親のそれとよく似ている。
だが、沙羅は違った。
「はい」
そうたった一言呟いた中に、俺は彼女が自来也様へ向ける気持ちを読み取っていた。
なにせ、こんな表情を俺は一度として見たことが無いのだから。
自来也様の無事を確認して安堵したのか、手摺りを握り締めていた手はするりと解かれ、胸を撫で下している。
自来也様の心配を口にする唇。
そっと存在を確かめるように草色に添えられる指先。
大切だと語る瞳。
まるで内と外で隔てられた空間に放り出された俺は、ただその外側で愛を伝える彼女を見つめていることしか出来なかった。
そう。
沙羅は自来也様を父親などとは思ってもいないのだ。
そして気付いてしまった。
数多の死線を潜り抜けて来た男が、その手で壊れ物を扱う様にそっと沙羅の肩に手を添える。
その表情が、俺の心をぞくりと締め付けた。
もしかしたら自来也様も、
同じではないかと。