適量の孤独 | ナノ


願い 参


「それで、今日は何か良いことでもあったのですか?」
「ん?」

自来也様持参の上物を味わうために揃えられた料理の数々。
ちびりちびりと杯を傾ける情緒と、やけに酔いの回りが早い姿にやはり機嫌が良いなと呟く。
その声に敏感に反応した彼は酒を煽りながら饒舌に語り出したのだ。

「最近、面白い奴を見つけてのぉ」
と。

面白い奴。
その言葉にピンときた私は、つい最近出会った真っ直ぐな瞳を持つ少年の名を出そうとして、止めた。
何故ならちょっとした意地悪を思いついてしまったからだ。
彼がこの言葉にどんな反応を示すかが楽しみであった私は、お酌をしようと少し腰を浮かせ距離が縮まった瞬間。
期待に密かに胸を膨らませつつ、宙に言葉を発したのである。

「エロ仙人」
「……?!」

案の定。
面白いぐらい想像通りの反応を返してくれる姿にくつくつと笑みが溢れ出す。
煽った酒を術の如く吹き出すのはいただけないが。

「やはり、あなたのことでしたか」

エロ仙人とは、なんともあの少年らしい呼称の付け方である。
そして途轍もなく的を得ていた。
蝦蟇仙人なんて大層な言葉が霞んでしまうのではないかと思うほどのインパクトは、思い浮かべただけで更なる笑いを呼び起こした。

「ったく、何処で聞いたんだぁノォ?」

盛大な溜息を吐き尋ねられた言葉に対し、一言「ナルト君です」と答えれば、「知り合いだったか」と彼の顔に仄かな笑みが乗る。
ナルト君を思い出しているだろうその表情は、とても暖かい。

あの少年は、とても魅力的だから。

ましてや面白いと言って彼自らが関わっているのだとしたら尚更だ。
まるで息子を見る父親のような表情をしている仄かな優しさをたたえる横顔から、目を剃らせなかった。
いや、彼はナルト君を息子の様に思っているのかもしれない。
なにせ、自来也様の愛弟子である亡き四代目火影の忘れ形見なのだから。

「……あいつは化けるぞ」

宝でも見つけたような雰囲気を滲ませる言葉は、否応無しに期待を煽っていく。
それを助長させたのは、少し塞いだ睫毛の先に光を見つけたからかもしれない。
瞳に収まりきらぬ、眩い希望という名の光を。

「そういえばナルト君に……」
「……?」

「本戦、見て欲しいと言われました」

お酌に腰を浮かせると極彩色の着物が彼の顔に影を作った。
だからかもしれない。
彼が杯を持つ手を珍しくピクリと反応させ、何かを逡巡する複雑な表情を作ったことに得も言われぬ不安が去来した。
何でもない仕草だったのかもしれないが、何故か漠然とした予感のようなものが私の手をもピクリと反応させたのだ。

「行くのか?」
「……」

その響きは、暗に裏で何かが起きていることを示唆している。
彼がここまでの反応をするということは、大蛇丸絡みという可能性が高いことは明白だ。
忍をしていた身として、この状況判断に間違いはないという自負があった。

それでも気になるのは、裏でのあれこれではなく、彼が何を思い呟いた一言なのかということだ。

木ノ葉の現状ではなく個人的色恋の思考を挟む辺り、私は大分忍の道から外れてしまったのかもしれない。

たった今感じた自負は何処へやら。

まぁ、外れ始めたのはもう昔の話であるため、忍としてのあれやこれは時効だろう。
三代目様はお認めにならないだろうが。
あの方は、木ノ葉にいる忍には火の意志があると仰っていたし、実際私もその思想を仰いだうちの一人だ。
忍を辞めたとしても火の意志はお前の心にあると、譲っては聞いてくれなさそうである。
しかしそんな自問自答をしていても、やはり本能に勝るものはなかった。

彼が呟いた一言が何を思っての言葉なのか。

言うなれば、私を案じてくれたための一言なのか。

それが知りたかったのである。
忍としての私ならば決して欠片も考えつかなかったであろう思考が、辞めてからというものよく顔を出すようになったのだ。
本能や欲望に従うことに対する躊躇いも当初は存在したが、足が使い物にならなくなったという悲観とささくれ立った心が忍であった私の抑制された部分の枷を外していった。
何よりも、彼に好意を抱いていることを実感させられる時間が増えたことが欲望を生んだと言っても過言ではない。
だから口にしてしまうのだ。
彼が何と返答し、何を思い発した言葉なのかを探るための一言を。


「気が向いたら……ですかね」
「……」

ちらりと視線をやれば思考の為に瞑られた瞳と影がその色を濃くした。
暫くすると、彼は沈黙と共に注いだばかりの酒を勢いよく煽り一瞥を寄越す。
まるで裏に何かあると私が暗に感じたものを、一緒に飲み干しているようだった。


「行くな。と言ったら、お前はどうする」

投げ掛けられる質問に疑問符など見出せなかった私は、そうかと少なからず確信を持ったのだ。

彼は、私のことを少しは気にかけてくれているのだと。

でなければこんな疑問にかこつけた肯定の言葉など出てきはしない。
その一言が、私の気を良くしてしまうとも知らないで。

「自来也様なら、もうお分りでは?」

あなたのその一言が、本戦会場へ出向かせる覚悟を固めてしまったとは口にしない。
もう彼の言葉を聞けて満足なのだから。
くすりと笑んだ姿でもう何度目になるか分からぬお酌に腰を浮かせば、彼は分かっていたとばかりに盛大な溜め息をついた。
存外に行きますと宣言している私に呆れたのかもしれない。

「ったく。お前も聞き分けが悪い」
「あなたの愛弟子であるナルト君を見ないわけにはいきませんから」

そう笑みを濃くすれば、「あんなヒヨッ子まだ儂の弟子には早いノォ」と少しばかり酔いで染まる頬を緩め、彼はゆるりと杯を回した。
そして再び表れる暖かい瞳。

こっちを向いて。

どうしようもない欲望が胸をとくんと打った。
気が付けば彼に向かって伸びる細く頼りない腕。
木ノ葉を守り戦ってきた己の腕は、今ではただ一人の人を求めて伸ばすことにやっとなのだ。

「……」

その瞬間、彼はいち早く伸びる腕に気付き黒曜石の瞳を向けてどうしたと尋ねた。
その瞳にもう欲しいと願った暖かさは無い。

「いえ、少し埃が」

引っ込みの付かなくなった腕は堂々とした嘘と共に伸びる。
適当に付いてもいない埃を落とすふりをしながら、思考は飛んではいけない方向へと旅立っていた。
ナルト君に向けられている暖かい瞳を、彼は自来也様から向けられている。
羨ましさの種がむくりと芽を出し、覗く嫉妬という実。
なんとも浅ましい醜い感情に、何を考えているのだと冷静になる理性。
雑念を振り払うように私を引き戻してくれるのは、いつも決まって豪快で懐の深い大笑。
醜い感情を生む原因たる人物に鎮められるとは、何ともお笑い種である。
揚げ足を取る気は無かったが、囚われそうになった感情を吹き飛ばす為に彼の力を借りることにした。

「まだ。という事は、いつか弟子にされるのでしょう?」
「……」

呟いた一言に、彼はバツの悪そうな渋い顔でまたくいっと酒を飲み干す。
その仕草に図星だなとほくそ笑んだ。
醜い感情を定期的に一掃してくれる彼の大笑は、とても有難いものでもあり切ないものだった。
何せ毎回一掃されるのは彼絡みの感情なのだ。
果てしなく労力を使う作業であり、一掃された頃には脱力感が押し寄せて来る。
そんな脱力感から肩の力を抜こうと、体内で巡る蟠りをそっと吐き出した。

「さて、そろそろ帰るかノォ」

溜め息が合図だったかのように、彼はお酒で質量の増した体を持ち上げた。
立ち上がろうと出来た影にすっぽりと隠れてしまった私がどんな顔をしていたかなど、きっと彼は気付いていないのだろう。

遠くなっていく瞳に不安が過る。

何故かなど、もう疲れた体と脳で考えたくなかった私は咄嗟に手を伸ばした。
今度はきちんと目的が達せそうである。

「……」

そっと若草色の袖口と無骨な肌色に手を這わせば、見下ろす瞳が今度こそどうしたという色を覗かせた。
熱っぽい体温が伝わってくる右手に意識を持って行かれそうになりながら、黒曜石の瞳を見つめ返す。


「私は、見に行きますよ」

微笑んでみせれば、盛大な溜め息が降ってくる。
今日、この部屋ではどれだけの溜息が吐き出されたのだろうか。
そんなどうでも良いことが頭を過ぎった時、彼は私の手をやんわりと解き視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
沈黙に交差する視線。
確固たる決意を持った私が、彼の瞳の中にいた。
ちらりと動いた視線は着物に隠れた足をとらえ、一度の瞬きと共に帰ってくる。
言いたいことは多分にあるのだろう。
それでも、たったの一言。

「……そうか」

それだけを言葉にしたのだ。
含まれる意味の数などこちらが想像出来ない程に、彼は一言に多くの意味を詰め込んで呟いたのではないか。
そう思わせるほどに重い響きを持っていた。
見送りはいらないと告げて背を向けて去る後ろ姿。

この背中を何度見つめたことだろうと思いながら、ふと窓の外を見つめる。

しかし見えたのは微笑みの中に切なさや期待を織り交ぜた、複雑で疲れた表情をする自分だけ。
本戦に対する懸念材料と、私の気を良くしてしまった彼の言葉。
ほんの数時間共にしただけだというのに、詰め込まれた感情の多くに酷く疲弊した体は冷たさを求めた。

ゆっくりと寝そべり頬を付ければひんやりとした畳が心地良く、とろんと意識が微睡む。



起きた時、彼が側にいてくれたらいいのに。


そう願いながら。





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