願い 弐
「今日は機嫌が良さそうだノォ」
「そこでずっと私を観察していたのですか?」
気分良く思い出の回想に浸っていたというのに、やはり自来也様は唐突として現れる。
いや、先程から襖の外で私の気配を探っていたのだ。
もっと言うのであれば、店の二階窓枠から眼下に彼の姿を見つけていた。
彼がいることを承知で、迎えにも行かず回想に浸っていたのは私の身勝手な意地と、最後に別れた記憶が気不味さという重石となって腰を上げさせなかったからである。
「流石に気付いておったか」
「当たり前です」
豪快に大笑を飛ばすと、彼は鼻歌混じりにいつもの席へどかりと腰を据えた。
機嫌が良いのはあなたの方ではないか。
この前、あんな別れ方をしたというのに。
「今日はどんな御用で?」
「おぉ!そうだそうだ」
自分の口から出てくる言葉一つ一つに小さな苛立ちが募る。
鼻歌まじりに机の上に極上の一升瓶を置く自来也様の余りの通常運転な対応が、私の神経を少しずつ逆撫でているのだろう。
この前口にしてしまった、
私からこれまで奪うのですか。
その一言を何日も悶々と考え込んでいた私が馬鹿みたいではないか。
そもそも、何故こんなにも平然としていられるのだろう。
心にある贖罪という傷を抉ったことはあの瞬間、彼の顔を見れば一目瞭然だったというのに。
それでもこうして目の前に何事も無かったかのように現れる彼は何がしたいのだろうか。
未だに私を見る瞳には混沌とした感情が渦巻いている。
そんな瞳と心を持って会いに来るのは、それだけ彼の中にある罪の意識が重いことを表しているといえないだろうか。
それとも、全て無かったことにしようというのだろうか。
彼が私に諜報活動を止めろと言ったこと。
私が彼に、これまで奪うのか。
と言ったこと。
あの日あった何もかもを、彼は無きものにしたいのだろうか。
「砂の里から持ってきた上物だぞ」
「……」
歯を見せてにかりと笑う姿が視界一杯に広がる。
仄暗い部屋にぼんやりと灯る明かりが、そっと彼の笑い皺に沿って影を作った。
その姿にじわりと腹の奥から溢れ出る愛おしさと揺らいでいく瞳に小さくかぶりを振る。
あぁ。
それでも、会いたかった。
混沌とした瞳でも、全てを無かったことにしようとしているのでも、傷付いた心でも構わない。
私の身勝手であることは百も承知だ。
彼の側で、彼の空気に触れていたい。
そこに存在し手を伸ばせる距離にいてくれさえすれば、それでいいのだ。
それは、喉が砂漠の空気に晒され渇く感覚に似ていた。
自来也様という水を求めて渇望していたのかもしれない。
酒を飲んでも、酔い潰れても物足りなかったのはそのせいだ。
私にとって現実的な水の潤いなどどうでもいいことだった。
精神に注がれる存在がなければ、意味がなかったのだ。
それならば、
私のとる態度など決まっているではないか。
この姿勢を、彼は望んでいるのだろうから。
窓際からゆっくりと立ち上がった私は、
”いつも通り”
いつもの様に、彼の横にゆるりと腰を下ろした。
やはり、あなたはとても酷い人。