Obliviator-忘却術士- | ナノ


05


「ギルデロイ・ロックハート……?」

ちぐはぐな香りの中で向かいのソファーに悠然と腰掛けるセブルスが口にした御仁の名は、何処かで聞いた記憶のある名前だった。

「お偉い作家だそうだ」
「作家…?」

皮肉たっぷりに告げられた情報を元に、淹れられた珈琲の存在すら忘れ思案を始めること数分。
はたと思いだしたのは、一ヶ月弱前のある出来事だった。

「あぁ……あの」
「知っているのか?」

紅茶に口付けていたセブルスは何を思ったのか、こちらを不愉快そうに見つめた。

「えぇ、丁度一ヶ月ぐらい前かしら。ダイアゴン横町に買い物に行ったのよ。その時に見かけたわ」

あの男かと一人合点がいった私は暖かい珈琲に口を付けた。
この豆もまた一級品のようで、一日の間に高級品に二回も出会えたことに頬を緩ませていると、現在進行形で眉間を寄せているセブルスからの変化球を正面で受けることになった。

「まさかお前もファンだとかのたまうつもりじゃあるまいな?」
「……」

一瞬言葉を理解しきれなかったためか、今世紀最大のあほ面を晒していることだろう。
妙な角度から飛んできた変化球はこの男が放つとは思ってもいなかったものであり、ロックハートの話を始めてからの怪訝な顔の意味を理解した。
ようはダイアゴン横町で出会ったような黄色い声を上げる魔女達の一人だと思ったのだろうか。
この私を。
お陰で香り高い珈琲の味がすっ飛んだ。
腹いせに盛大な溜息をついて帳尻を合わせることにする。

「……はぁ」
「なんだ」
「まさか、私があんな眩しい男が趣味だとでも思ってるの?」
「否定はせん」

先程まで過去の私と今の私は違うという話をしてきて、この男は珈琲が好きなら問題ないとまで断言した。
だが、過去や今以前の問題らしい。
彼の中の私はどんな男が趣味であるとして保存されてきたのだろうか。

「言っとくけど、昔からあのタイプは好きじゃないわ」

出会ってもいない男をタイプではないと言い切るのは申し訳ないが、本当にタイプではないのだ。
フローリシュ・アンド・ブロッツ書店の前で見たあの男の新作らしい本のポスター『私はマジックだ』を豪語する彼は、波打つ金髪に明るいブルーの眼とこれでもかという白い歯を見せて笑っていた。
そしてそれを取り囲む魔女達。
彼にそれ程魅力があるとは一見しただけでは分からない。
もしかしたら彼の本が期待を上回る程に良い出来の物であり、皆それに惹かれているのかもしれない。
どちらにせよあまり興味の無い話しではあるが。

「……で?そのお偉い作家さんがどうしたのよ」

気を取り直した私は眉間の皺が減った男に問いかける。
彼がロックハートの名を出すということはそれなりの内容があって話題に挙げているのだろう。

「ホグワーツの教員になった」
「教員?」

これはまた……、突飛な話である。

「科目は?」

聞いた途端、何故か彼の地雷を踏んだ気がした。
セブルスは男の趣味云々の下りとは比べ物にならない程の顔をして苛立たしげに言葉を紡ぐ。
ソーサーに置かれるカップが痛々しげに音を立てた。

「……闇の魔術に対する防衛術」
「……」

そういうことか。
闇の魔術に対する防衛術は彼の得意とするところであり、OWL試験では毎回見事な成績を収めていた記憶がある。
もっとも現在の担当科目である薬学についても文句なしの成績だった。
そんな彼が闇の魔術に対する防衛術の講師を目指していたというのは初耳だが、何故志願するのかという点については何となく分かる気がした。

彼は、とても不器用な人だから。


「彼に務まるの?」
「さぁな」

聞くだけ無駄だったのか興味が失せたのか、彼は冷笑を浮かべ他人事のように呟いた。
内心絶対無理だろうと思っているのは明らかである。
ポスターの中でしかロックハートを見たことはないが、ましてや出会い会話すらしたことの無い彼をタイプではないと断言してしまったが、どのような人物かということは向かいで不機嫌な態度を取る彼を見ていれば想像に難くなかった。
とりあえずロックハートの話は潮時だろうと判断した私は、フローリシュ・アンド・ブロッツ書店の前であったもう一つの出来事を思い出し、話題の転換を図ることにした。

「そういえば、その書店の前でルシウスに会ったわ」
「ルシウスに?」

彼は話題の転換を図ったことに反応したが、何事も無かったかのように紅茶に口付けた。
もう両者のカップの中身は底をついている。

「えぇ、息子のドラコも一緒だったわね」

思い出すように話している間に、カップには熱々の紅茶とコーヒーが再び用意されゆらゆらと湯気を立てていた。
二杯目は久しぶりに甘くしてみようかという思考からテーブルにあるミルクと砂糖に手を伸ばす。

「砂糖とミルク、いる?」

せっせと好みに調合している手を止め聞くと、彼は少し肉の付いた神経質そうな手で既に新しい紅茶を啜っていた。
「いらん」という一言付きで。
なので自分のことだけを考え手を動かしていく。
ミルクと砂糖の比率は8:2だ。
これが甘さ控えめを好みとする私の黄金比であり、この比率を発見するまで慣れない珈琲を飲み続けたのである。
今はそんな苦労をすることなく好きな時に黄金比で美味しくいただくことが出来るのだ。
出来あがったミルク珈琲に満足しながら話を続けた。

「ドラコって昔のルシウスそっくりね」

思ったことをふと口にすると、目の前の男はふっと鼻で笑った。
同感でもしてくれたのだろうか。

「確かに、純血主義はあいつ譲りだろうな」

同感してくれていることには有り難かったが、その後の言葉がいただけない。
容姿だけでなく中身まで似通ってしまったということだろうか。
そうならばこの上なくよろしくない気がする。
勿論、そんな人間を好む人もいるわけだから全面的によろしくないとは言えないが、とりあえず私が関わるという前提ではよろしくないのだ。

「純血主義まで折り紙つきとは……末恐ろしいわね」

肩を竦めてミルク珈琲に手を伸ばす。やはり淹れたては違う。

「そういえば、ドラコって何処の寮生なの?」

訊きそびれていたかのように質問してみるが、正直訊かなくてもなんとなく分かっていた。
が、一応念の為訊いてみる。
それはやや少し斜めの解答で返ってきたが、想像通りの答えだった。

「我輩の寮生だ」
「……あなた、寮監督までしているの?」

知らぬ間に随分出世したようである。
彼が寮監督ということは、ドラコはスリザリン生ということになる。
親子で揃いも揃ってというところではあるが、あの両親から生まれたのであれば逆にグリフィンドールや他の寮に入る資質の持ち主ではないのだろう。
本当の意味で純粋なスリザリン生ということだ。
そして私の後輩である。生徒を寮で優劣するというのは趣味ではないが、やはり自身の卒業した寮の生徒ならば可愛がってあげたくなる気持ちは少なからずある。
が、ルシウスの子供であるという事実もあるのだ。
だから嫌うというわけではないが、どの程度距離を保って接するかというのには、その事実を加味するかしないかによって大きな差が出るのだ。
結果、離れず近付かずというルシウスへの態度を参考にしようと思い至った。
その先は本当のドラコと触れあってみてからにしよう。

そうこうしている間に、この薄暗い部屋に入ってから何度目かになる古びた時計の鐘の音が響いた。
釣られて視線を向けると、その時刻は既に7時を回ろうとしていた。

「7時か……」

彼は目の前で同じように時計に視線を投げ時刻を確認するように呟くと、少し大きく息を吐いた。

「じゃあ、私そろそろ失礼するわ。あんまり遅くなっても迷惑でしょうから」

暫くこんな長話などする機会がなかったからか、少し話し込んでしまったようだ。
お互いに微かな疲労感が伺える。
彼にとってはどうだか分からないが、私としてはとても心地の良い疲労感だった。
久しく会っていなかったこの男も、そう感じてくれているだろうか。
心地良いとまではいかなくても、悪くない時間だったと思ってもらえれば幸いだ。
ソファーに掛けたローブを手に取り、ゆっくりと腰を上げる。
その動作に合わせて、セブルスもゆっくりと凭れていた椅子から腰を上げ、見送る体を作った。
ローブに身を包み、重厚な扉を開けてくれたセブルスを振り返る。

「今日はありがとう。楽しかったわ」
「あぁ」
「それじゃぁ、また」
「……あぁ」

相変わらずの不器用な笑みを覗かせて見送る彼を背に、私は“また”という再会の言葉を使うことのできた嬉しさに、心がほっと温かくなるのを感じながら、冷たくなってきた外気を受けるべく足を城の外へと向けた。




「あんまり生徒をいじめちゃだめよ」
「余計なお世話だ」

厳格な彼のことだから、きっと寮生や生徒に厳しいのだろう。

その裏返しに愛があるのは分かっている。

だが彼はそれをおくびにも出さないので、生徒がその真実を知ることはない。


まったく、不幸な役回りである。


「………またね」





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